つらつら書いてみようと思う
ちなみに書きためてもいない。
まあ、タイトル通りの話だ。
数年前の話だ。俺は、死にたかった。
なぜって、俺はいじめられっ子だった。
言えば、わかるわかる、って言ってくれる人もいるかもしれないが、
そう言われると、本当のところはわかんねえくせにって、
思ってしまう自分がいるんだ。ひねくれてるとは思うけど。
あのとき、教室で一人だった俺の気持ちなんて、
誰が想像できるんだって。
それは追々語ってくことになると思う。書くの遅いけど。
続ける。
でも、いじめって離れてみるとと不思議なもんだよな。
あの教室って空間には、何かすごい圧力みたいなもんがかかってて、
誰もそこから逃れられないみたいな、そんな感じってある。
何だろう、あそこだけ世界中のどこからも切り離された空間で、
普遍的なルールに一切縛られないみたいな、そんな場所。
だからいじめが普通に行われる。
いじめっ子と、いじめられっ子がいて、
それを普通の生徒も教師も見て見ぬふりをする。
どういう仕組みなんだろうな、あれ。
まあ、俺は個人的にはそれもそうかなって思う。
けど、何の理由もなきゃあいつらは誰もいじめない……・ってことにはならない。
だって、どんなことにも理由なんて山ほどある。
理由をあえて探す必要はない。
それがどんな理由か知らないが、とにかくあいつらは俺をいじめた。
教師も見て見ぬふりをした。
かろうじて会話が続くって程度の友達(とはいわねえか……)も
いつの間にか離れてった。
普通のやつらは、初めから俺の存在が見えてなかったのかってほど
普通に学校生活を楽しんでるように見えた。
俺は学校を休みがちになった。
子供がいじめにあってるってのはうすうす気づいてただろう。
けど、そんなことは信じたくないみたいだった。
他の親がどうかはしらないが、うちの親は何でも遠回しに聞くんだ。
仕事帰りにケーキ買ってきて「甘いもの食べたくない?」とか
休みにどこか行こうって言う代わりに「今日は外に行ったら気持ちよさそう」とか
息子の俺でも正しく察すのが無理だろってレベルで。
だから、俺がいじめにあってるかもって思っても、
「最近○○くんってどうしてるの?」
それはあいつらに目をつけられた瞬間、俺から離れた知り合いですが何か?
もともと触れても来ないレベルが、数キロ先で見守ってるレベルにまでレベルアップした。
そりゃいまならわかる。
親だって悪気があってそうしたんじゃないってこと。
俺も触れるなって空気を出してたんだろうし、それを精一杯受け止めようとしたんだって。
けど、俺は俺でこう思ってた。
「親なら俺を助けろよ! あのいじめっ子とクソ教師をどうにかしろよ!」
けど、実際の話、それはないものねだりしてるだけだった。
「あんたいじめられてるんでしょ! お母さんが学校にいってあげる!」
そんなこと言われても、俺はますます追い詰められただけだろうから。
不登校になった俺は、家の外にも出なくなり、やがて部屋からも出なくなった。
食事は親が廊下に置いてくれたものを、寝静まった夜中に食べる。
誰とも会わない。誰ともしゃべらない。
ゲームやパソコンで一日が終わる。
見事な引きこもりの完成だ。
あまりに辛かったからか、それとも毎日同じことしかしてないせいで
刺激がなんにもなかったからか。
いま思うと、あれはコールドスリープみたいなもんだったんじゃないかと思ってる。
よくSF映画とかで、遠い星にいくときに使う、あれだ。
あんなふうに冷たく感覚を麻痺させて、まるで眠ってるみたいに、俺は生きていた。
ただ息をして、ただ心臓を動かしてることが、それでも「生きてる」って言うならだけど。
ある日、俺は死のうと思った。この苦しくてどうしようもない人生を終わらせようと思った。
その考えは、ずっと前から考えてたことみたいに、ずっと胸に落ちた。
俺はやり方を検索した。
自殺、方法、失敗しない……
ずらりと結果が並んだ。俺はその一つ一つを丁寧に読み込んだ。
特別な道具なんて必要なく、勇気さえあれば引きこもりの俺でも
いつでもできる方法も見つかった。
その日は、下調べだけで終わったが、これでいつでも死ねることがわかった。
けど、方法がわかったからといって、俺はすぐに自殺を決行することはなかった。
何でだろうな? でも、たぶんそういうもんだ。
死にたい! じゃあ死のう! だなんて、人間そんなに簡単じゃない。
それにいま思えば、自殺の方法を調べる行為自体が一種の息抜きになっていたと思う
疑似自殺ってのかな。そんな言い方ないと思うけど、そんな感じ。
だから、取り憑かれたように俺はいろんなやり方を調べた。
それをいつ実行するだとか、実際どの方法を選ぶだとか、妄想するのは楽しかった
それは久々に感じた「生きてる」って感覚だったかもしれない。
死にたいと思うながら死なずに、その方法だけ調べ続けること。
何て言ったらいいか、そうすることは以前より多少は幸せだった。
遺書にはもちろん、あいつらとクソ教師の名前を書いてやろう、
そう考えるだけで嬉しくなった。
そんな遺書を残して自殺したら、学校は大騒ぎになるだろう、
俺を苦しめたやつらは傷を負うだろう。
いじめなんてできるやつの心なんか傷つけられるわけないから、
俺が思ってたのは、やつらの人生とかって意味ね。
一生陰口たたかれて、学校も退学になって、人生終わればいい。
俺はそれを高みから見物するってわけだ、なんて本気で思ってた。
まあ、実際の話、そんなことになるはずないんだけどさ。
人殺したやつだって、大手振って生きてる世の中だ。
もし俺が死んでたって、全国ニュースで一介でも流れれば御の字だ。
でも厨房だった俺にそんなこと考えられるはずもなく、
俺は毎日パソコン画面とにらめっこした。
そして、自分が死ぬところを想像してうっとりした。
親が泣くところを想像して、もらい泣き?もした。
それから、やっぱりシメにあいつらがうちひしがれてるところを想像してにやにやした。
ああ、いじめられっ子で引きこもりの俺でも、あいつらに仕返しできるんだ!ってな。
いままで鬱だったのが、一気に躁になった的な?
その頃になると、肝心の方法も決定していた。
やっぱり簡単で確実な首つりだろう。
ヒモは探せばあるだろうから、外へ出なくていいのもポイント高い。
あとは一歩踏み出すだけだ。
その気の緩みが、俺の生死を分けた瞬間だったかもしれない。
その中には、出会い系のようなサイトもあった。
自殺でなんで出会い系かって言うと、一人じゃ怖くて死ねない人が、
仲間を募るためのものだ。
俺は別に仲間が欲しかったわけじゃないが、
自殺を考えている人がたくさんいるというだけで何だか心強かった。
そこには連絡手段として掲示板があったけれど、掲示板は無難な言葉ばかりで、
本格的に仲間を探す人はメッセージアプリ的なものを使っているらしかった。
まあ、LINE的な?
俺は、どんな会話がされてるのかとか、あと自殺の情報?も知りたいと思い、
そのアプリをインストールしていた。
もちろん、掲示板に載っている仲間募集のアドレスも登録した。
けど、恥ずかしながらそういうSNS的なものに縁のなかった俺は、
それがどういう仕組みなのかいまいちわからないまま放置していた。
みんな個人個人でやりとりしているのか、表立って会話は見えなかったし、
情報が載ってるようなものでもなかったからだ。
もちろん、前もって日にちを決めてたわけじゃない。
けど、その日起きた瞬間、俺は、今日だ!って直感したんだ。
なぜって聞かれても、直感だから理由はないんだけど、
目の前のもやが晴れたような気持ちだったのを覚えてる。
例えば、昔、子供がお祭りでもらったかなんかした風船をうっかり離して飛んでっちゃった、
ってな場面に遭遇したことがあって。
その風船、一気に空まで飛んでいかないで、一回木の枝に引っかかったんだ。
でもその木が高かったもんだから、みんな、あーあ、って見上げてるだけなんだけど。
俺はそのとき暇だったんだろうな。
当の子供が親に連れられて行っちまったあとも、その風船を見てたんだよ。何となく。
そのときは別に風も吹いてなくてさ、風船はずっとそこにあるわけ。
それ見て、物心ついたときから厨二な俺は、
「あいつもどうせなら広い空に飛んでいきたかっただろうになあ」
とか思ってるわけw
だけど、どっかに引っかかってるわけだから、
そのうちガスが抜けてそのまま落ちてくるんだろうなーとか思ってたわけよ。
その風船、突然ゆらっと動いたと思ったら、ふっと空に上ってったんだ。
絶対風なんか吹いてないのに。誰かが木を揺らしたわけでもないのに。なぜか。
本当に、ふっと、まるで自分だけのタイミングを待ってたってな感じで。
ふわふわ遠くの空に消えてったんだ。
……長くなったけど、その日の俺はそんな感じだった。
まるであのときの風船みたいに、どっか引っかかってたものが解けて、
あっ飛べるんだ、って気づいた、みたいな。
身体のどっかから根拠のない自信が湧き上がってきて、
今日だ、今日がその日だ、って理解した、みたいな。
余談だけど、天啓を得たりしちゃう人って、こんな感覚なのかなとも思う。
少なからずあった死への恐怖はさっぱり消えていて、
どんな障害があったとしても、俺は今日死ぬんだなと思った。
俺という存在が今日消えることを不思議にも思った。
自分のことだというのに、とんでもなく他人事に思えた。
いままでの躁とはまた違う、変な感覚だった。
そして、その感覚のまま、俺は普段なら絶対にしないことをした。
例の自殺仲間募集のアプリに、今日、死ぬということを宣言したのだ。
だって、ここにいるやつらは、まだ生きてるやつらばっかりだ。
だけど、俺は先に行く。
自殺という、簡単にはできない偉業を成し遂げるんだ。
そんな気持ちだった。
ラリッたような台詞からも、どんなに俺がはしゃいでたかわかるだろう。
「明日、中学生自殺のニュースが流れたら、それが俺!」
わくわくは最高潮だった。
興奮で震える手で、探しておいたヒモを結んだ。
梁なんかはなかったけど、木造だったから、壁の一箇所をぶち抜いて
その穴からヒモを通して固く縛った。
その穴は、いまも実家の俺の部屋に残ってる。
椅子に立った状態でギリ首にかかるようにした。
この椅子がコロ付きなもんだから、その上に立っての作業はぐらついて大変だったが
首を入れた後はそのほうが楽だろうと思った。
だって、ドラマとかじゃうまく椅子を蹴ってぶら下がるけど、
あれ、現実じゃなかなかうまくいかないんじゃないかと思ってさ。
蹴れないとかっこわるいし、思い切り蹴ったとしてもでかい音が響くだろ。
そしたら親が起き出してくるかもしれないし、そうなったらもう最悪だ。
俺は引き出しの中から遺書を出して、きれいにした机の上に置いた。
恨みを込めて書いた遺書だ。これだけは読んでもらわないと、死ぬ意味がない。
少し考えて、ベッドも何となく整えた。
机とベッド以外はいつものようにぐちゃっとした部屋を見回して、
掃除しとけば良かったかななんて思った。
でも、首吊ったらその下はウンコだらけになることも知ってたから、
掃除してないからどうってこともないか、と思い直した。
そうそう、ドアノブも聞くよな。
けど、あれってホントにできるのかって不安にならないか?
何て言うか、理論上はいけるんだろうけど、もっと確実性が欲しい、みたいな。
あー確かに失敗できないもんな、二度とチャレンジ出来なくなるかもだし
目を閉じて、いえーい! って声には出さずに叫んだ。
いま考えると、まじテンションおかしい。
それから、つけっぱなしだったパソコンを閉じようとした。
画面には、俺の書いた例の馬鹿みたいな台詞が二行、表示されていた。
レスは何にもついてなかった。
いまならわかる。いくらラリってるとはいえ、俺は寂しかったんだろう。
一人きりで死んでいくのが怖かったんだろう。それがその一瞬に繋がったんだ。
けど、そのときの俺にはもっと怖いものがあった。
それはこの興奮状態が消えてしまうことだ。死ねなくなってしまうことだ。
パソコンなんてつけっぱなしだって構わない。
早く、死ななきゃ。この感覚が消えてしまわないうちに。
そうして、画面から目を切ったときだった。
聞き慣れない音がした。
何も考えずに、俺は画面を振り返った。
そこには三行目の文字列が出現していた。
「何で死ぬの?」
それはシンプルな質問だった。
自殺ハイが一気に消え、別の衝動が胸を襲った。
なぜ死ぬの、なぜ俺は死ぬのか、聞いてくれる人がいる。
知って欲しい、知ってくれ、俺がなぜこんなにまで追い詰められているのか知ってくれ
自殺なんていつでもできる、いまはただこの人に知って欲しい
俺の指はキーボードに伸びていた。
この顔も名前も知らない誰かが、悪魔だということも知らずに。
どんだけ急いてたのか、俺はそれだけ書いてエンターキーを押しちまった。
「いじめにあったから」
慌てて書き直して、もう一度エンターキーを叩いた。
口から心臓が飛び出るんじゃないかと思うくらいどきどきしてた。
文字にしなくてもいいような言葉を、その人は表示させた。
俺は反射的にびくっとした。
これがいじめられっ子の性と言われればそうかもしれないが、
俺は相手が退屈そうだったり不満げだったりするとすぐにへりくだってしまう。
「いじめられて、不登校になって」
俺は頼まれてもない事情を打ち込んだ。
とはいっても、こんなチャットじみたことなどしたことがないため
入力速度は無茶苦茶遅い。
その上、文章をまとめるのもへたくそだ。
書いては消してを繰り返しているうちに、相手の文が表示された。
それは誰でも見られるオープンチャットじゃなくて、
プライベートなチャットへの誘いらしかった。
俺はおっかなびっくり、リンクになってるそのメッセージを押した。
〈KBES20341さんが入室しました〉
そんなメッセージが画面に現れた。
このKBなんとかってやつが自分を表してるってことに、俺は今さら気づいた。
プライベートチャットに入ると、そんなメッセージが表示されていた。
メッセージの前にはアイコンがついていて、
それはアンドロイドっぽい女の子の画像だった。
本当はアンドロイドじゃないのかもしれないけど、何て言うか無表情キャラ的な、
綾波レイ的なって言えばいいかな。そんな感じの。
相手がそれを意識してるのかどうなのかは知らないし、
ましてや相手の性別や年齢なんてわからなかったが、
そのアイコンのせいで、台詞は抑揚のない例の感じで、俺の中で再生された。
小心者の性で俺はそう断った。
「時間はあるから」
相手は気にしてないふうだった。
そして、口調はやっぱり綾波レイっぽかった。
……というか、当時は綾波を知らなかったから、いま思い返してみると、なんだが。
(ちなみに、その後名乗られた名前はあるが、
仮の名前として、これからこのチャット相手をレイと呼ぼうと思う)
俺はレイを相手に、夢中になって語った。
いじめがどんなにひどいものだったか。
それを見て見ぬふりする教師がどんなにクソなやつか。
遠巻きにするクラスのやつらも同罪だ、なんてぶちかましたりもした。
レイはそこにいることを示すように、時々「へえ」とか「そう」とか言うだけだった。
けど、俺はそれで十分だった。
この数時間だけでタイピングが目に見えて早くなるほど、
俺はしゃべり続けた。
けど、話すことが同じことばかりになってきても、俺は話し続けた。
初めて俺の話を聞いてくれるレイから離れちゃいけないと思った。
「もういっぺん聞くね」
それでも俺が沈黙しがちになった頃だった。レイがそう言った。
「何で自殺するの?」
こいつは人の話を聞いてなかったのか?
俺は少しむっとした。
けど、すぐにレイは言葉を継いだ。
「どうして、いじめられたあなたが死んで、 いじめたあいつらが生き続けるの?」
臨場感たっぷり
身辺整理中なので体験談は、とても助かります
ありがとう
身辺整理はとりあえず思いとどまって下さい。そんな思いで書いてます。
「死は罰よ。そうでしょ、死刑は法律で一番重い刑罰なんだから」
「何だってそうでしょ。死ぬべきは悪いほうだって決まってる。
なのに、どうしてあなたが死ぬの? あなたは悪いの?」
「いや、俺は悪くはないけど……」
「悪くないなら、どうして死ななくちゃならないの?」
「ほかに死ぬべき悪い人がいるっていうのに」
疑問が頭を駆け巡ったが、答えは分かり切っていた。
「ねえ、これはゲームみたいなものだと思わない?
あなたの命は一つ、相手の命も一つ。
そのどちらかが失われなきゃならないなら、どっちが残るべきだと思う?」
感情の読み取れない、無機質な文字が俺の前に並んだ。
やっぱりだ。
レイは、俺にあいつらを殺せとそそのかしている……?
「俺はただ自殺するって決めて……」
「それに、そんなの犯罪だろ」
俺は話を戻そうとした。
このままチャットを閉じるなんてことは、自殺を決行するよりも難しく感じられた。
レイはただそこにいて、俺の話を聞いてくれればいい。自殺したい俺の話を。
「犯罪?」
けど、レイはたじろぐことなく言った。
「私は犯罪の話なんか、してない」
回らない頭でそう思ったが、どうやらそれは違ったようだった。
それどころか、レイの思考はぶっ飛んでいた。
「犯罪というのは、法律に触れる行為のこと」
「けど、法律というものは国が大人数を統制するためのものであって、
個人の〈正しさ〉とは乖離がある」
「それなら、あなたの自殺は正しい? それとも彼らの死が正しい?」
正しさ。
それは俺の思考にはなかった言葉だった。
自殺ってのはさ、いいか悪いかじゃない、単純に「敗北」なんだよ
もし自殺してたらイジメなんかやるような連中なんて大人の前だけ神妙な顔して仲間内ではゲラゲラ笑うだろうね
したたかに生き延びること、それが生物にとっての勝ちなんだよ
そのどちらが正しく、どちらが正しくないのか。
死が正しくない者に与えられる処罰ならば、それを受けるべきはどちらなのか。
そんなの、決まってる。
「俺じゃない、あいつらだ」
レイの質問は振り出しに戻った。
「あなたは正しくない人たちに正しくない扱いを受けて、
その上、正しくない終わりを選ぶの?」
「そんなこと言われても……」
ほかに何ができるってんだ。
そう思うと、敗北感がこみ上げた。
あれほど誇らしく崇高に思えた自殺が、負け犬のすることにしか思えなくなった。
いや、ハイな感覚でそれを見ないふりしてただけで、
本当は俺も知ってたはずだった。
自殺は、この辛い現実から逃げ出す手段なんだって。
俺はそれを選んだんじゃなく、選ばざるを得なくなっただけなんだって。
それは深く考えて出た言葉じゃなかった。
けど、自分のことをどんぴしゃで表した言葉だと思った。
俺は生きる価値のない人間だ。
繰り返すと、自分が真っ暗な穴に落ちてくような気分がした。
よくわからんが、概念化ってやつかな?
ある現象があるとして、それを言葉で定義した瞬間、理解できるようになる、みたいな。
生きる価値がない。
俺は自分をそう定義すると同時に、本当に価値がないと思い込んじまったんだ。
だから、あいつらが俺をいじめたとしても、それは仕方ないことだったんだ。
だって、俺に価値はないから。キモくて最底辺のクソだから。
そうだ、俺はクソなんだよ。だから死ぬんだ。
こんなクソが生きてたら、みんなが迷惑だからさ!」
これでもかってくらい自分を貶めると、心臓が痛んだ。
けど、その痛みは快.感.でもあった。
この期に及んで新しい性.癖.が開花したのかと思うくらい。
でも、その快.感.はレイの一言で吐き気に変わった。
「自殺の次は、自己憐憫? 忙しそうね」
俺は思った。でも、思っただけだった。
いまや俺の中は、虫のサナギ並みにぐちゃぐちゃだった。
何にも形を成してないどころか、核もない、どろどろの液体だ。
チョウみたいなきれいなものになれるなんてこれっぽっちも思ってないが、
少なくともこの状態から抜け出すにはレイの力が必要だ。
……いや、というより、必要だと思い込んでいた。
俺はとにかく、レイに放置されたらどうなるかなんて想像もしたくなかったんだ。
レイは唐突な質問をした。
「いや、全然……」
そう答えると、レイは文字で笑った。
「だと思った。私は得意よ。
順番に正しく考えれば、絶対に正しい答えが出るから」
「これは問題」
「あなたは問題を抱えている」
「私はそれを正しく解く手伝いがしたいだけ」
「どうして? 君には何の得もないだろ」
「そうね」
「なら、どうして」
「別に必要ないなら構わないから、そう言って」
「すぐに消えるから」
そう言われてしまうと、俺は何も言えなかった。
黙った俺の隙を突くように、レイは言った。
「また明日。同じ時間に」
「ちょっと待って」
俺は慌ててタイピングしたが、レイが応えることはなかった。
俺の台詞を最後に画面は動かなくなった。
チャット画面を残したまま、俺はベッドにダイブした。
いつもなら漫画に埋もれてるはずのそこがきれいな理由を思い出しかけたが、
それよりも断然眠気が勝った。
窓の外はすっかり明るくなっていた。
小学生の甲高い声が路地に響いてうるさかった。
けど、頭から毛布を被ると、光りも声も全部消えた。
レイは一体何者なんだろう。
俺は眠りに引き込まれながら、そんなことを考えた。
チャットアイコンのあの無表情キャラ、その背後には必ず現実の人間がいるはずだ。
そんなことくらい馬鹿な俺にもわかってる。
けど、すでにレイはあの無表情キャラとして俺の中に存在している。動いている。
まるでアニメキャラがそのまま飛び出してきたみたいに。
三次元の法律や常識に縛られない、突拍子もない感覚を携えて。
そんなはずはない。そう思っても、俺はそんな想像を打ち消すことができなかった。
俺はいつもより早く目が覚めた。
それでも十分睡眠は取れたはずだったが、何だか眠った気がしなかった。
眠ってる間中、俺は夢を見ていた。
立ってる地面にずぶずぶと飲み込まれていく夢だ。
誰かがひっきりなしに俺を罵倒してる夢だ。
逃げたいのに身体が重く、少しも動くことができない夢だ。
「なぜあなたは自殺するの」
そう聞き続けるレイの声が聞こえ続け、
「俺はクズでクソなんだ」
答え続ける俺がいた。
マウスに触れると不機嫌そうな音を立てて立ち上がった。
画面には昨日の会話が並んでいた。
俺は読み返すでもなく、それをぼうっと眺めた。
それからぼんやり考えた。
レイの言うとおり、俺は問題を抱えている。
それも生死にかかわる、とびっきりのやつを。
そしてレイの言い方を借りれば、俺はそれを「解決」しようとあがいてた。
で、出した答えが・・・・・・片付けもせずに垂れたままの、この首つりひもだ。
俺が死んじまえば、それで全部が終わりだ。
苦しいことも、悲しいことも、死は全部断ち切ってくれる。
それは、俺が起こすことのできる唯一のアクションだ。
俺が、世界を切り離すんだ。何もできないクズでも、精一杯やればこれくらいできるんだ。
そんな「答え」」に行き着いたから。
自殺なんて誰でもできることじゃない。
それを俺はやり遂げるんだ! なんて、テンションが上がっちまったからだった。
きっと、あのままのテンションを維持できたなら、
俺は昨日死んでいただろう。
首にヒモが食い込み、苦しさに思わずあがいたとしても、
俺は今死んでる! って興奮に包まれたまま、死んでっただろう。
レイが画面に現れたから。
「なぜ死ぬの」
そう聞いてくれたから。
ぽーん
そのとき、昨日と同じ音がして、画面に新しい文字が現れた。
「問題を正しく解いてみる気になった?」
相変わらず、冷めた口調のレイだった。
それから、横目でぶら下がったヒモを見た。
壁をぶち抜いて結ばれたそれは、部屋の中で異様だった。
確かに俺が結んで垂らしたものだったけど、まるで別の誰かが用意したものみたいだった。
そして、そう見えるのはきっと、あの変な感覚が消えたからだった。
そうすると、俺はもう認めざるを得なかった。
あの変な感覚で見ないふりしてきた、死にたくないって感情を。死への恐怖を。
その間に挟まれて、俺は文字通りどっちつかずの中間にいた。
首をつるのはもう怖かった。
けど、レイの言う正しさを知るのはもっと怖い気がした。
でも、そのどちらも振り切り、一人で立つことなんか俺にできるはずもなかった。
静まりかえった一人の部屋で、
俺は首つりヒモに背を向けた。
レイの質問には答えず、とりあえず俺はそう打ち込んだ。
「それで?」
レイは一瞬で打ち返してきた。
そんなことはどうでもいいって感じで。
俺は精一杯レイの機嫌を損ねないように言った。
「聞いてもいいかな。どうして俺なんかを助けてくれるの?」
「その質問には昨日答えたはず」
「私は問題を解決したいだけ」
どんだけだよって思うほど、レイのタイピングは早かった。
そして、毎度どきっとするようなことを言う。
「それに〈助ける〉は間違い」
「問題解決があなたを〈助ける〉ことになるかどうかは、わからない」
「その通りの意味」
「それ以上も以下もない」
そして、毎度にべもない。
俺は答えた。というより、これ以外の返答は思いつかなかった。
それに、今の俺は相手をしてくれる人がいるだけで素直に嬉しかった。
それが得体の知れない誰かでも。
引きこもってから、ずっと誰とも話してなかったんだ。当然だっただろう。
こんな、無機質な会話でも・・・・・・
けど、レイは何を思ったのか、突然言った。
「問題を解決したいだけ、その言葉に嘘はない」
「けど、私の本心も言っておく」
「信じてもらえないかもしれないから、もしそうなら言う意味なんてないけれど」
「なに」、そう俺が打つ前に、再びレイが言う。
「だから、これは自己満足」
「信じてくれなくていい」
「なに」
ここで俺がやっと打ち込んだのと、レイの台詞は同時だった。
「生きる価値のない人間なんていない。あなたには生きる価値がある」
そのあと、ふふっと(実際はもっとキモい感じだと思うが)思わず笑った。
〈俺には生きる価値なんてないんだ〉
それは昨日、俺が言った台詞だった。
けど、画面の向こうの誰ともわからん人に急にそんなことを言われても
信じられるどころか、突拍子もなさすぎて真面目に受け取ることさえできない。
そう思わないか?
レイもそれを十分わかっていたんだろう。
だから、信じてくれなくていい、自己満足だ、とあんなに予防線を張ったんだ。
あのとき、レイを素直に信じることができたら、どんなによかっただろう。
いまはそう思う。
現実にはどんな反応をしたにせよ、俺は文字ではそう偽った。
だってほかになんて言えばいい?
そっか、俺にも生きる価値があるんだ、気づかせてくれてサンキュな!
・・・・・・キャラ的にも空気的にも、これじゃ絶対おかしい。
「別に」
俺の感謝をどう受け取ったのか、レイは簡潔に答えた。
けど、どうせ信じてないくせに、そう見透かされてる感じがした。
変だよな、画面から気配なんて感じ取れるわけがないのに。
霊だったのです!!
・・・・・・って、そんなわけあるかいっ(テンションおかしい)(あれ、違う?)
ちょっとわろた
「殺されることよ」
「いじめっ子に殺されるの」
「そうかな」
「そうよ」
「さっきの言葉、私は本気だから」
「なに」
「生きる価値のない人間なんていないってこと」
「あなたも、いじめっ子も、それぞれ一つの命」
「同じだけの価値がある、命」
そのときの俺は、レイの言葉を信じることなんかできないと思ったけど、
それでもその台詞で、彼女に対する信頼みたいなものが芽生えたんだと思う。
どうして俺なんかに関わってくれるのか?
レイはその質問にきちんと答えてくれたとは言いがたい。
けど、少なくとも悪意を持って接触してきたんじゃないって
俺のためを思ってくれてるんだって、ほんの少しだけど、そう思えたんだ。
卑下じゃなく、そう思ったから俺は言った。
「命は平等ってよく言うけど、でも」
アメリカ大統領の命と俺の命が同じ価値のはずはない。
「・・・・・・アメリカ大統領?」
「え、・・・・・・なんとなく出てきただけ」
「あなた、バラク・オバマだったの?」
「だから違うって!」
「でしょうね」
「私は大統領の話なんかしてない」
「あなたと、いじめっ子の話」
そこまで書いて、俺は苦しくなった。
昨夜、自殺していたら、今日は俺の通夜だった。
いじめられっ子で、引きこもりだった俺の通夜に、一体誰が参列しただろう。
いや、生徒が死んだんだ。学校はクラスの生徒を参加させるに違いない。
けど、それは形だけだ。俺の死を本当に悲しむやつなんていない。
両親は悲しんでくれるだろうけど、それだけだ・・・・・・
「それなら、いじめっ子の葬式に来るのはどれくらいだと思う?」
「クラスの奴ら、みんなじゃないかな」
「あと先生も」
「じゃ、あなたと同じじゃない」
「違う。俺のに来るのは形式だけだけど、あいつらのは・・・・・・」
「本心から?」
「そう」
「でもそれって、そんなに大事なことかしら」
大事に決まってるだろ。ってか、それが一番大事なことだ。
俺は身構えた。レイが突拍子もないことを言い出す気配を感じたからだ。
そして、それはその通りになった。
「他人の心なんて自分がどうにかできるわけじゃないし、見えないし、どうだっていいことよ」
控えめに、俺は逆らった。
心は確かに目に見えないかもしれないが、感じることはできる。
その証拠に、俺はいじめてくるやつだけじゃなく、
遠巻きにしてる奴らの視線にだって傷ついていた。
あいつらの心が、俺を傷つけたんだ。
「どうでもよくない」
「そう」
「わかった」
すると、意外とあっさりレイは答えた。
「じゃ、言い方を変えるわ」
「あなたを傷つけるようなことや、決して口にできないようなことまで」
「他人はあなたを攻撃する」
「たとえ、顔に笑みを浮かべていたって、心じゃ何を考えてるかわからない」
その通りだ。
俺の気持ちを完璧に表現して見せたレイに、俺は驚いた。
「そうだろ? そうなんだよ! みんな思ってても言わないだけで、
俺をいじめる奴らと変わんないんだよ!」
「学校の奴らだけじゃない。ここの近所の人たちだって、
引きこもりになった俺をクソだって思ってるんだ」
「俺は好きで引きこもってるわけじゃないのに!」
レイは言った。
俺は少し嬉しくなった。
褒められた、そう思ったのだ。けど、それは勘違いみたいだった。
なぜなら、レイは続けてこう言ったのだ。
「でも、世界中の人があなたに関心を抱いてるとでも思ってるの?」
「言ってない?」
「なら、〈あなたに会う人すべて〉とでも言い方を変える?」
「そういうことじゃ・・・・・・」
「あなた、誰かと偶然目が合ったとしても、その人が自分のこと考えてると思ってない?」
「教えてあげるわね。それって、自意識過剰って言うのよ」
俺はうなだれた。
けど、それくらいでレイは攻撃の手を緩めなかった。
「私は、あなたの感じていることが嘘だなんて言ってない」
「すべてが被害妄想だとも言ってない」
「けど、その誰かがあなたのことを考えてる時間なんて、ほんの一瞬」
「アリを一匹潰すくらいの時間だけ」
「逆を言えば、現実を生きていない」
「だから、他人の一瞬の攻撃を、永遠の拒絶に感じる」
「想像の中で永遠に苦しみ続ける」
「・・・・・・それは俺が引きこもってるってこと?」
自分の創り上げた世界。
この誰の干渉もない、安全な部屋の中。
レイはそこから出ろと言ってるのだろうか。
しかし、レイはそっけなかった。
「あなたは自分の世界に引きこもってる」
「頭の中の世界」
「そこであなたを攻撃している他人は、現実には存在しない」
「その他人はあなたが創り出した幽霊にすぎない」
一気に言うと、レイは少し黙った。
それから、ぽつり、と言った。
「本物を、現実だけを、見てみて」
夢見がちな人間にこそ言われる言葉を、俺は反芻した。
俺は夢なんか見ていない。
第一、夢ってのは、もっと楽しくて明るい未来のことだ。
こんな苦しくて暗い夢なんか、見ろと言われてもお断りだ。
こんな、辛い夢なんか・・・・・・
そう思ってから、俺はふと部屋を見渡した。
現実。本物。俺の頭の中以外の、確かなもの。
窓にかかった、古くさい柄のカーテン。
床に散らばった漫画本。
ほこりの積もった教科書に、ゴミために埋もれた学生鞄。
まっすぐに垂れ下がった首つりヒモ。
いじめっ子たちが家の前で騒いでるわけでもない。
もっと言えば、俺が不登校になったその瞬間から、
あいつらとの縁は切れている。
クソ教師は家に電話もして来やしないし、
クラスメイトが訪ねてくるわけでもない。
この部屋に俺は一人きりで、それを邪魔する人間は誰もいない。
あれ、どうして俺はそこまで追い詰められてたんだ?
一瞬、俺は心底不思議にそう思った。
どうして壁に穴を開けてまで、ヒモをつるしたのかさえ、わからなくなった。
だって、俺はいじめられている。
不登校をしている。引きこもっている。
不当な扱いを受けている。
だから、自殺を考えて当然だ。俺は自殺して、あいつらに復讐したいんだ。
自分だけに焦点を当てれば、それは当たり前の成り行きだった。
自己憐憫から抜け出して、自分以外に目を向ける。
そうすると、いまの状況はそんなに悪いものでもないようにも思える。
だって、親がどう思ってるにしろ、俺は結果的には引きこもることが許され、
嫌な環境から逃げていられるんだから。
・・・・・・ということを、レイは言いたいんだろう。
見計らったかのように、レイは短く訊いた。
「それとも、理解してもまだその世界の中で生きていたい?」
嫌な質問だった。
理屈ではなく、感覚的に、俺は逆らおうとした。
「俺は引きこもりを満喫してるわけじゃない」
「いまはこうしていられたって、いつまでもしてるわけにはいかないし」
言い訳みたいにそう言ううちに、引きこもりの高齢化みたいなニュースを連想した。
「このままずっと引きこもってるより、自殺した方が親だって楽だし」
「俺だって、おっさんになってまで引きこもりたくないし」
しゃべり続けるうちに、自殺の理由も曖昧になった。
ふと、レイが言った。
「そうじゃないけど・・・・・・」
話を引きこもりをした挙げ句の孤独死まで進めていた俺は、どきりとした。
「あなたはどうでもいいことばっかり考えるくせがあるのね」
これもなんとなくの気配だが、呆れたようにレイが言った。
「いまから老後を心配? むしろ、そこまで健康で長生きできるつもりなの?」
「いや、それは・・・・・・」
「自分の価値との引き合いに、アメリカ大統領まで出してくるし」
「身の程をわきまえたほうがいいと思う」
「・・・・・・」
「頭の中だけで生きてるから、そんな見当違いの心配ばかりするのよ」
レイはなかなか辛辣だった。
「脳みそで考えられることなんか、限られてるのに」
「じゃあさ」
あんまりな言われように、俺は考えるのを放棄したくなった。
「俺はどうすればいいの?
考えるのをやめたって、俺の〈現実〉は変わらないだろ」
「当たり前でしょ」
「そこまで馬鹿なの?」
強烈なカウンターパンチを食らってしまった。
「問題解決のための」
「算数で言えば、足し算や引き算の記号の解説をしただけ」
「記号の解説・・・・・・」
「そう」
「あなたが理解できたかどうかは別として、私は説明したつもり」
「じゃ、これから本題ってこと?」
「まだよ」
「一番大切なことを聞いてない」
「一番大切なこと?」
「そう」
「これだけは、私も教えることはできない」
「あなたが出すべきもの」
何だか嫌な予感がした。
だいたい、俺は自分の意見を出すというやつが大の苦手なのだ。
班になっての話し合い、とか、学級会での発言、とか、
読書感想文だってうまく書けたためしがない。
だって、一学期のクラス目標だなんて俺は何だっていいし、
本の感想なんて、ほぼ面白いかつまらないの二択だ。
それを何でも良いから発言しろとか、何でも良いから書けとか言われても、困るだけだ。
そうだろ?
あれ、その言葉を鵜呑みにして本当に思ったことを言ったりなんかした日には、
冷たい視線と最悪の待遇が待ってる。
小学校の頃、思ったことを素直に書けと言われた読書感想文で、
「蜘蛛の糸一本だけ地獄に垂らしてみせて、やっぱりムカついたから切るだなんて、
お釈迦様はひどい人だと思いました」
って書いて、むちゃくちゃ怒られた俺が言うんだから間違いない。
珍しく柔らかい口調でレイは言った。
「言ったはずよ」
「私はあなたの手伝いはするけれど、それがあなたを助けることになるかはわからない」
「だから、あなたは何も気にせず、自分の答えを出せば良い」
「・・・・・・それで、俺は何を答えれば良いの?」
「それは、あなたの答え」
「あなたがこれからどう在りたいかの、答え」
「どう在りたいか?」
「何になりたいとか、進路とか、そういうこと?」
「違う」
レイはきっぱりと言った。
「つまり・・・・・・〈現実〉?」
そう聞き返すと、なぜかレイが微笑んだような気がした。
「そう。〈現実〉」
「あなたの手が届くくらいの、近い未来」
「そのとき、あなたはどういう状態で在りたいのか」
「それをはっきりさせることが必要」
「なぜ?」
俺は聞いた。けど、レイは答えなかった。
「答えは本当に何でも良い」
「引きこもりの生活をしていたい、でも構わない」
「どうしても自殺したい、でも」
「明日また私はここに来る」
「そのとき決まっていなかったら、またその明日」
「考えてみて」
「それじゃ」
窓の外にはまた朝が来ていた。
俺はレイの言葉を繰り返しながら、ベッドにもぐった。
そうしながら、明日という日に期待している自分に気がついた。
〈明日、また私はここに来る〉
それは約束に違いなかった。
そして、それは同時に俺が失ってしまった人とのつながりに違いなかった。
明日来る、レイはそう言ったけれど、本当に来る保証なんてどこにもない。
すべての主導権を握っているのは、レイだった。
彼女はほんの気まぐれ一つで、俺の前から消えることもできるのだ。
俺を、この白い画面の前に放置したまま・・・・・・
眠った後の、ぼんやりとした頭で考えたのはそんなことだった。
「蜘蛛の糸」で例えるなら、レイはお釈迦様で、俺は地獄の亡者なんだ。
少しずつ少しずつ、その顔色をうかがいながら上っていくしかない。
〈あなたの本当の答えなら、何でも良い〉
レイは昨夜、消える前に確かにそう言った。
だというのに、俺はもうそれを忘れかけていたんだ。
レイが気に入りそうな〈答え〉。
レイを満足させる〈答え〉。
レイをあっと驚かせるような〈答え〉。
それは簡単なことじゃなかった。
だって、俺はレイを知らない。
・・・・・・いや、この二日間で、俺は今までできた友達の誰よりレイと話しているから、
知らない、というのは間違ってる。
けど、あの無表情キャラの向こう側にいる〈本当のレイ〉は、
あれだけ話したというのに見えてこなかった。
俺は自分でも知らないうちに、半分くらいはそう信じていたと思う。
だって、昔の自分をこう言うのも何だが、
俺は周りの現実が見えていない、頭でっかちの厨二だった。
だから・・・・・・ぶっちゃけて言えば、・・・・・・しょうがなくね?
不幸どん底の自分に手を差し伸べてくれる美少女の存在を信じちゃって、
それに恋心っぽいのを抱いちゃっても、仕方なくね?
俺からレイへの矢印は、妄想に任せてぐんぐん大きくなっていた。
・・・・・・こういうところが、レイの言う〈自意識過剰〉の〈頭の中の世界の住人〉で、
それを何度も注意されてるというのに、浮かれた俺は気づかなかった。
〈あなたには生きる価値がある〉
そう言ってくれたレイが、俺のことを悪く思ってるはずもない。
レイの質問そっちのけで、俺は彼女が現れるのを待った。
俺の自殺を止めたんだ。きっと、レイは俺に生きていてほしいに決まってる。
けど、もう俺は大丈夫だ、なんてことは例え嘘でも言えない。
なぜなら、そう言ったら最後、レイは俺の前から姿を消すかもしれないから。
それならなんて言ったら良いだろう。まだ自殺したいって言ってみるか?
それから、さりげなくレイ自身のことについて聞き出してみるか?
彼女の写真が見てみたい。けど、さすがにそれは引かれるか?
そして、その世界の中で、俺とレイは相思相愛のカップルだった。
・・・・・・少しでも現実が見えてちゃできないことだ。
ほんとに、できることならあの頃の俺を殴り倒したい。
けど、この数年間でタイムマシンは開発されなかったし、
俺もタイムリープの能力を身につけることができなかったので、
あのころの俺は、馬鹿面さらしながら、思いっきり甘美な妄想に身を浸していた。
こんな俺に美少女の彼女ができたって知ったら、
学校の奴らはどんな顔するだろう。
これで俺は俺を馬鹿にした奴ら全員を見返すことができるんだ! ・・・・・・・ってな。
レイは真面目に聞いてくれてたってのに、俺は最低だ。
ふいに画面が一行分、スクロールした。
レイだ。
俺は馬鹿みたいに顔を赤くしながら、キーボードに触れた。
「うん」
心臓はばくばくだった。
「出たよ」
さあ、ここからが勝負だ。
まず、殊勝なところを見せてみた。
「君の言うとおり、自殺なんかしちゃだめなんだ」
「俺だけじゃなくて、みんな」
「生きる価値があるんだからさ」
これはレイの話への迎合。
指が震えるから、文章は変に切れ切れになった。
「っていうか、君が気づかせてくれたんだ」
エンターキーを押してから、クサかったかと心配になる。
ってか、「君」って呼び方がクサいんだと思ったが、いまさら変えられないし、
ほかの言い方もわからない。名前を呼ぶのもなんとなく、だし。
「君が話しかけてくれたとき、俺、まさにヒモの輪っかに首を入れたとこでさ」
ここは少し話を盛った。そのほうが運命っぽいだろ?
「君に命を救われたんだなって」
「ありがとう」
「こんな俺を救ってくれて」
レイは沈黙を続けている。
「いや、前にも聞いたけど、そういう意味じゃなくて」
この二行は、タイムラグができないように、あらかじめ書いてからコピって入れた。
「なんて言うか、生きる価値があるとか、誰にも言えることじゃないなって思って」
「すごいなって思っただけなんだけど」
レイの答えはない。
タイピングの遅さもあって、ここまで夢中で書き込んでいた俺も、
ようやくおかしいと気がついた。
「君も俺と同じだったのかななんて思ったりしたんだ」の、「君も俺と」までを
打ち込んでいた指が、ぴたりと止まった。
そう思った瞬間、体中から血の気が引いた。
まさか、レイはいない? 去ってしまった?
慌てた指が、エンターキーを押した。
「君も俺と」
中途半端な言葉のかけらが飛び出して、俺のパニックに拍車をかけた。
俺は初めて彼女の名を呼んだ。
「あれ、なんか回線おかしい? 俺逃しかみえないんだけお」
確かめずにエンターキーを押すと、無様な言葉が表示されてた。
「俺のしか、見えないよ」
打ち直す間、みじめな気持ちに襲われた。
打って変わってどん底の気分で、俺はつぶやいた。
この期に及んで、自分の何が悪かったのかなんて考えることもなかった。
レイの気持ちも考えず、気分よく自分語りした結果だってのに。
「君も俺を見捨てるんだ」
まだレイがいないと決まったわけじゃない。
ちょっと席を外してるだけなのかもしれない。
それなのに、自分のことしか考えられない俺は、被害妄想に陥った。
「君もみんなと同じじゃないか!」
「みんな俺を見捨てるんだ!!」
「みんな俺なんか死ねって思ってるんだ!」
「うざくてキモくいクズなんか死ねって!」
「俺なんか死んだ方が世界のためなんだ!」
我ながら、醜いわめき方だと思う。
けど、あのときの俺はレイに捨てられたって感覚でいっぱいで、
ほかのことなんか何も考えられなかった。
〈生きる価値がある〉
そう言ってくれたのは何だったんだ、
それとも、それは全部嘘で、天上から俺をおちょくって笑ってたのか!
惨めさと、怒りと、悲しみとで、おれはぐちゃぐちゃになった。
そうすると、驚くべきことに永遠にも感じたあのレイの沈黙は、
時間にしてたったの三十分ほどのことだった。
たったの三十分だ。
俺はその間、死ぬほど罵倒と卑下を繰り返した。
そうしながら、このまま狂い死にするんじゃないかと思った。
いや、そうなればいいと思った。
そして、俺が死んだことをレイは一生後悔すればいいと思った。
画面の向こうの彼女が、俺の死を知ることができるかどうかは置いておいて。
俺に想像できるのは、あのキャラと同じく冷静なレイの表情だけだ。
ロボットのように感情がなく、設定されたプログラムだけを確実に遂行するような・・・・・・。
だから、レイが俺を見捨てなかったのは、
「俺を見捨てないこと」
それがレイに組み込まれたプログラムだったんじゃないかとさえ思えるほどだ。
それくらい俺はひどかったし、だというのにレイはそこに居続けた。
「私は、答えを聞くためにここへ来たの」
俺の罵倒に埋もれるように、たった一行、レイが言葉を放った。
それに気づいた瞬間、書きかけのクソみたいな文字を連ねる手が止まった。
その一言だけで、ヘドロと化していた俺は浄化された。
恥も外聞もなくすがった俺を遮って、レイの冷たい言葉が並んだ。
「聞きたいのは、それだけ」
「けど、答えが出ていないのなら、また明日来る」
「え、でも・・・・・・」
俺は焦った。
せっかく会えたんだから、少しでも話がしたかった。
俺の話を聞いてほしかったし、レイのことが知りたかった。
でも、レイは一度言った言葉を覆したりはしなかった。
「また明日」
レイは言った。
それから、去り際に捨て台詞のように言った。
「あなたはすぐに、みんなが、みんなが、って言うけど、その〈みんな〉って誰?」
「何度でも言うわ」
「頭の中で生きるのをやめて」
その言葉を最後に、画面はぴたりと動かなくなった。
俺は今度こそ、レイが去ったことを知った。
けど、さっきのようにパニックにはならなかった。
レイはまた約束を残してくれたから。
蜘蛛の糸が切れなかったことに、大げさじゃなく俺は感謝した。
今日は去ってしまったけれど、レイは明日も来てくれる。
それはもはや、俺の生きる意味だった。
それがたった一日二日の出来事であっても。
それは俺がレイの言うとおり、〈頭の中の世界〉で生きていたからにほかならないだろう。
〈頭の中の世界〉では、時間の経過や常識的な尺度なんかは通用しない。
だって、そこは俺が創り出した世界だ。
優先順位は、世界の主である俺が決める。
そして、いま、そのトップに輝いているのがレイの存在ということなのだ。
そうして、彼女の後ろ姿を眺めていた。
それから、おもむろに立ち上がり、部屋の扉を薄く開けた。
そこには丁寧にラップのかけられたサンドイッチが置かれていた。
そこに誰もいないことを素早く確認すると、
俺はサンドイッチをわしづかみし、再び部屋の中に引っ込んだ。
中身も見ずに一口ほおばると、たらこバターの味が広がった。
小さい頃、俺が好きだったたらこスパゲッティを
そのままサンドイッチにしたような味だった。
・・・・・・そんな母親の意図のこもった味だった。
レイが聞いたら、被害妄想だと言うだろうか。
けど、俺の母親に関しては、俺の方が正しい。
そんなひとすくいの砂くらいじゃ、何も埋まらんだろ!
そんな突っ込みをしたくなるくらい、
遠回し遠回しに外堀を埋めてくる親なんだ。
けど、腹が空いた俺はそれを飲み込む勢いで口に入れた。
たらこバター臭のゲップが出た。
「〈みんな〉って誰なのよ」
同時に、レイの言葉が頭に浮かんだ。
少なくとも、母親は俺のことを見捨ててなんかない・・・・・・か。
俺はしぶしぶそれを認めた。
頭の中のレイがそう言った。
それが文字よりもさらに冷たく聞こえるのは、俺の妄想だからだろうか。
「〈みんな〉は、〈みんな〉だろ」
相手が頭の中のレイだから、俺は強気にそう答えた。
「俺以外のやつらだよ。大勢の他人だよ」
「でも、あなたのお母さんは〈みんな〉に含まれてないんでしょう?」
「まあ、でもそれは親だから」
「親なら無条件であなたの味方であるべき?」
「そりゃそうだろ。親の勝手で俺は生まれたわけだからさ」
「それって本気?」
「本気だよ。・・・・・・っていうか」
どうして俺は頭の中のレイにさえ、言い負かされようとしてるんだ?
俺はさらに強気で言った。
「俺は産んでくれなんて頼んでない。
ってか、こんな人生なら、生まれない方が断然よかった」
「おめでとう。また、自殺の理由が増えたわね」
レイのあの無表情に、微かな嘲笑が浮かんだ。
「生まれてこない方がよかったなら、いま死んで当然だものね?」
「何が可笑しいんだよ」
「何も。でも、あなたが生まれたのが完全なる親の意思なら、
いま無価値なあなたを殺すのも、親の意思であるべきじゃないかって、
ただそう思っただけ」
「親が、俺を殺す?」
「そう。あなたの論理で言えば、そういうことにならない?
あなたの命は親のもの。それをクズなあなたが勝手にしていいのかしら」
俺は叫んだが、それは敗北を宣言したのと同じだった。
「クズはクズね。あなたに希望を託したご両親も、気の毒に」
頭の中のレイは狂ったように笑った。
笑い声はぐるぐる渦を巻くようにこだまして、俺の気まで狂いそうになった。
「うるさい、うるさい、うるさい!」
頭から毛布をひっかぶって、俺は叫んだ。
けど、高笑いは消えることがなかった。
〈頭の中の世界から、出て〉
小さく、本物のレイの声が聞こえたような気がしたが、
そのときにはもう手遅れだった。
俺はその日一日を、頭の中の狂ったレイとのやりとりに費やした。
「答えを聞かせて」
夜中、再びレイが現れたときには、俺の精神状態は最悪で、
彼女の言う〈答え〉なんて、まるで頭になかった。
「俺はクズだ。クソだ。おまえだって本当はそう思ってんだろ!」
頭の中のレイに狂わされた俺は、本当に狂いかけてたんだと思う。
レイのことを「おまえ」呼ばわりするほどに。
「前にもそう言ったはずよ」
それが〈答え〉じゃなかったにも関わらず、レイはなぜかそう答えた。
おまえ呼ばわりしたことにも、俺が昨日とまったく変わってないことにも触れもせず。
けど、攻撃的になっていた俺は、そんなことに気づきもしなかった。
「どうだっていいわけないだろ!」
「俺を笑って、おちょくって、馬鹿にして!!!」
そして、ネットでは当たり前の、けれど現実では吐いちゃいけない言葉を吐いた。
「死ねよ!」
「おまえなんか死んじまえ!」
「俺を馬鹿にする奴らは、全員死ね!」
エンターキーに指を叩きつけたその瞬間、俺の頭はサッと冷えた。
やばい。
そう思った。
俺は頭の中のレイじゃなく、〈現実〉のレイを相手にしていることに気づいたんだ。
「そんなつもりじゃ」
次の瞬間、俺は二重人格かってくらい気弱な言葉を吐いた。
「その、君にまでそんなことを言うつもりは」
「っていうか、そうじゃなくて」
俺は謝罪の言葉っぽいものを並べ立てた。
けど、そのときは気づいてなかったけど、これは謝罪なんかじゃなかった。
なぜなら、俺は「死ね」と言われたレイの気持ちなんか、これっぽっちも考えてなかったから。
俺は俺が演じた失態を馬鹿みたいに取り繕ってるだけだった。
わかっていて、それでいて見て見ぬふりをしてくれたんだと思う。
・・・・・・もちろん、いい方にとれば、かもしれないけど。
とにかく、レイは「死ね」って言葉にはそれほど動じなかった。
代わりに、彼女はこう言った。
「あなたにそう言われても、私に死ぬ義理はないわ」
「言葉なんてそんなもの」
「他人の本心なんてそれ以上にどうでもいいこと」
「見えないし、聞こえもしないのだから」
それから、一呼吸置いて続けた。
「〈現実〉に手を出されない限り」
得体の知れない予感に、背中に寒気が走った。
俺はなんとはなしに、後ろを振り返った。
けど、もちろんそこにはドアがあるだけで、誰の気配もない。
それでもしばらくドアを見つめてから、もう一度画面に目を戻すと、
そこには新しい文字が並んでいた。
「あなたがその〈本心〉とやらで何を思っていようと、私は痛くもかゆくもない」
「〈現実〉に危害を加えられるわけじゃないから」
「あなたに私は殺せないから」
殺す。
自殺も、「死ね」も、命が失われるという意味では同じだというのに、
俺は画面の前で固まった。
「心の中ででも憎まれてる相手と仲良くなんかできないだろ?」
動揺した俺は、反論を試みた。
「死ねって思われながら、友達でなんかいられないし」
「逆に聞くけど、どうして自分を憎む相手と仲良くしようと思うの?」
「そういう性.癖.?」
「いや、それは・・・・・・」
俺ははっとしながらも、性.癖.なんて言葉をさらりというレイにどぎまぎした。
「ぼっちはいやだし」
「そいつにもいいところはあるし」
俺が思い浮かべていたのは、もちろんあいつだった。
俺がいじめられた瞬間、何の関係もなかったかのように振る舞ったあいつ。
少なくとも、俺は友達のつもりだった。
よく知らないアニメの話にもつきあって、
もっとわからない声優?の写真集も一緒に買いに行った。
あいつらが俺をいじめてなきゃ、いまでも友達だったと思う。
友達だと思ってる。
そう言うと、レイは冷ややかに言った。
「そう」
「じゃ、その人はさっきの暴言の対象外なのかしら」
「さっきの、俺を馬鹿にする奴らは死ね、っていう」
俺は口ごもった。
「それは勢いで言ったっていうか、なんていうか」
「〈本心〉じゃない?」
「だから、許される?」
それだけでも皮肉だって言うのに、レイはもっと辛辣に言った。
「それとも、自分だけは許してあげる?」
「いいのよ、誰でも自分には甘いものだから」
「でも、そういうものよ」
「それなら、問題は臭いじゃないわ」
「他人の臭いを気にすること。そう思わない?」
「俺もほかの奴らと同じだって言うのか?」
「俺を馬鹿にする奴らと?」
「違いがあるなら、そうね」
レイは俺の問いを暗に肯定して言った。
「あなたは誰よりも自分のことを大切に思ってる」
「そういうことかしら」
意味がわからずに、俺は聞き返した。
だって、俺はたった三日前、自殺しようとした人間だ。
この世から自分を抹消しようとした人間だ。
それが、自分を大切に思ってるって?
本当に意味がわからない。
レイは言った。
「それは、あなたが脆くありたいと思っているから」
「そのほうが格好がいいと思っているから」
「そんなこと・・・・・・」
「あなたは傷つきやすい」
俺を無視してレイは続けた。
「それはあなたが敏感でありたいと思っているから」
「それが自分の特性で才能だと思っているから」
否定しながら、俺は思い当たる節を感じていた。
他人の心が読める俺。
そうして読めてしまうからこそ、敏感で傷つきやすい俺。
悪意の中を他人が平気で生きていられるのは、
俺のように鋭敏ではなく、鈍感だからだ。
俺はそう感じていた。
確かめるように、俺は言った。
生まれつき鈍感で身勝手な奴らがいるように、
俺は生まれつき鋭敏で繊細なんだ。
そういうこともあるだろ?
足が速いとか、遅いとか、そういうような、生まれ持っての違いってのは。
「そんなのはただの恥ずかしい妄想よ」
「あなたがそう信じ込んでいるだけ」
「人間なんて、みんなそう変わらない」
「あなたも普通の人間の一人」
「普通の人間って・・・・・・」
俺は少し傷ついた。
そして、傷ついたと感じた自分が嫌だと思った。
けど、嫌だと思った自分も嫌に感じて・・・・・
それはつまり、俺は自分が特別な人間だと思いたがってるって証拠だった。
情けないかもしれないけど、俺は確認するようにそう言った。
それは俺が特別である証拠に思えた。
〈あなたには生きる価値がある〉
そういってくれたレイは、少なくともそう思ってくれてるはずだ。
そして、レイは俺の思った通りに答えてくれた。
「ええ」
「そう言ったわ」
けど、それからこう続けた。
「でも、それはあなたがほかの人間と比べて特別だ、という意味じゃない」
俺は特別じゃない。
そう言われたことは、俺にとって「死ね」と言われたのと同じだった。
〈現実〉を考えれば、俺がレイにとって特別じゃないだなんて、当たり前のことだろう。
俺はたった数日前に出会った、しかも顔も見えないチャット相手なんだから。
けど、俺の関心がほぼ100%レイにあるというのに、
レイはそうじゃないってことが、俺には我慢できなかった。
ほんとどうしようもないな、俺。
むっとした俺は言った。
「人類愛的な、っていうかさあ」
女子に「好き」って言われて舞い上がってたら、
「あ、異性としてじゃなくて人間性が」とか言われた気分だった。
いや、全然好きとか言われてないだろ、昔の俺よ。。。。。。
「前にも言ったはずよ」
「だから、俺にも価値がある?」
「そう」
「だから、自殺はいけない?」
「正しくない選択だと思うわ」
「じゃあさ、正しい選択って何だよ」
「正しい選択をするには、あなたの〈答え〉が」
「違う。俺じゃなくて、君の思う正しい選択って?」
ふてくされ気味の俺は、レイを遮って聞いた。
俺がレイの「特別」じゃないなら、焦らされるのは面倒だった。
それに、そんなことを聞いても、どうせレイは答えてくれないと思った。
けど、それは違った。
レイは言った。
「あなたも、いじめっ子も、あなたを見捨てた友達も」
「みんなそれぞれ、一つの命がある」
「一回きりの人生」
「一度きりのゲームオーバー」
「誰も蘇ることはできない」
「不死身でもいられない」
「その命をどう使うのか、制限されることはない」
「戦争の最中でもない、少なくともこの日本においては」
「現にあなたはいま、ある選択をしている」
「いじめっ子から逃げるため、学校に行かないという選択」
「そして、それは引きこもりという現状につながった」
「でも、あなたは初めから一生引きこもる覚悟があったわけじゃない」
「それはとりあえずの、一時避難だったはず」
「けれど、あなたもうすうす気づいているはず」
「一度引きこもると、もう元には戻れない」
「その部屋は呪いがかかったようにあなたを閉じ込める」
「あなたは自分が望んでも、そこからでることができなくなる」
「けど、呪いが強まれば強まるほど、その代償は大きくなる」
「だから、いまのうちに、払うべき」
レイは息継ぎをするように黙ってから、言った。
「あなたをいじめた人間の命をもって」
そう思って、俺は現れた文字列を何度か読み返した。
慌てて読んだ俺が、文字の意味を飛ばしてるだけで、
よく読めば全然別の意味だったなんてことはよくある。(俺だけ?)
それに、レイの言い回しはなんとなく難しげなことがよくある。
だから、馬鹿な俺はそれを理解できずに・・・・・・
けど、どう考えてみても、それは文字通りの意味に思えた。
「どういう意味?」
そうする以外、どうしたらいいのかわからず、俺は聞き返した。
そうして打ち込まれた二行は、レイの言葉に比べるとものすごく間抜けだったが、
それはこの際、仕方なかった。
「わかるはずよ」
しかし、レイはあっさりと言い切った。
「あなたの問題を解決するには、その根本を断つ必要があるわ」
その根本を断つって、それってやっぱり・・・・・・
「あなたの命は一つ。彼らの命も一つずつ」
「あなたを自殺に追い込み、先に命を奪おうとしたのは、彼ら」
「ゲームはもう始まっている」
「でも、でもさ・・・・・・」
俺は反論を試みた。
けど、何にも言葉は出てこなかった。
それどころか、俺は・・・・・・認めたくないけれど、認めちゃいけないんだけど、
レイの言葉は俺の心に突き刺さっていた。
それを見透かしたようにレイは言った。
「あなたはこの問題を解決する必要がある」
「あなたの命を守るために」
「呪いがこれ以上強まる前に」
いまでも俺はそう考えることがある。
初めてレイと話したとき、レイはそのときも俺にそんなことを言ったはずだ。
いじめっ子たちが消えることが正しい、そんなことを、犯罪めいた言い方で。
そして、俺はそれに反発したはずだった。
だって常識的に考えて、そんなの普通じゃない。
俺と、いじめっ子、どちらが消えるのが正しいか、なんて。
〈生きる価値のない人間なんていない〉
そう言ったのは、レイだったはずなのに。
そのときの俺も、レイの矛盾に気がついた。
ただ、それはいまの俺のように「だからそんなことしちゃだめだ」って思考には続かず、
単純な疑問として思い浮かべただけだった。
「でも、あいつらにも生きる価値があるんだろ?」
俺は聞いた。
「そうね」
すると、こともなげにレイは答えた。
「その質問にはこう答えるわ」
「あなたは船上にいて、いまにも溺れそうな二人を見下ろしている」
「一人は見知らぬ人。そして、もう一人は・・・・・・そうね、私」
「あなたの手には浮き輪が一つ」
「さあ、どちらを助ける?」
「架空の話だから、お礼は言わないでおくわね」
答えも待たずにレイは言った。
「でも、そういうこと」
「生きる価値は同じでも、そこに差別は存在する」
「私はあなたを手伝いたい」
「・・・・・・それが正しいことだと思うから?」
「覚えていたのね」
レイの微笑む顔を、俺は久しぶりに想像することができた。
俺はつぶやくように言った。
殺す。
実は、チャットにこの二文字を打ち込んだのは、俺が最初だった。
レイはいままで、それをはっきりと口には出してなかったんだ。
ほのめかすことはあったにしろ。
俺は手段を問いにした。
「どうやったら・・・・・・」
そうつぶやいた。
だってこれは、このとき俺が口にしたのは、恐怖や不可能を表す言葉じゃない。
「どうやったら」
どうやったら、あいつらを殺せるだろうか。
どうやったら、それをやり遂げることができるだろうか。
それは人殺しを前提にした言葉だった。
わかってもらえるだろうか。
俺はこのとき越えちゃいけないハードルを無意識に飛び越えてしまったんだ。
思い出そうとしても、うまく思い出すことができない。
でもきっとそれは思い出したくないからって訳じゃない。
ならなぜか。
きっと、あのときの俺には、何かをするのに確固たる理由や感情なんてなかった。
俺は潮に流されるままの空っぽの小舟だった。
何の主体性もなく、ぐるぐる同じ場所を回っているだけの。
レイの言葉は、そんな閉じた潮流に突然現れた、新しい流れだった。
そして、あのときの俺はタイミングよくその流れに入ってしまった。
以前の俺は入れなかったその流れに。
きっと、それだけなんだ。
俺の意思なんて、舟の流れる先を決められるほど確かなものじゃなかったんだ。
静かに、レイが言った。
「私がいる」
「うん」
「ありがとう」
俺はなぜか礼を言った。
画面の向こうの名前も知らない誰かが、共犯者になった瞬間だった。
疲れているはずなのに、頭は覚醒しきっていて、すぐには眠れそうもなかった。
あいつらを、殺す。
それが怖いことだという感覚はもちろんあった。
けど、同時に背中がぞくぞくして、それは認めたくないけど、「快.感.」に似ていた。
しばらくは眠ろうと努力していたが、
結局俺はもぞもぞと起き出して、何ヶ月もしてなかったオ○ニーをした。
一回きりじゃおさまらなくて、数回はしたと思う。
それから、やっと疲れ切って眠りに落ちた。
パソコンの前でレイを待っていた。
今夜はおかかのおむすびに、じゃがいもが溶けかけた肉じゃがだった。
冷えてもうまいもんを置いとけよ、気が利かないな。
俺は感謝もせずにそれをほおばった。
けど、あのときの俺に、
「その飯、誰がどんな気持ちで毎日作ってんのかわかってんのか?」
って聞いたとしたら、きっと「わかってるに決まってる」って答えると思う。
何だろう。
そりゃ、他人の気持ちがわからないわけじゃないから、聞かれればそう答えられるんだ。
けど、それは本当に「わかってる」わけじゃなかったと思う。
それは質問されて初めて気づいたことだから。
それまでは、改まってそんなことを考えたりもしれないんだから。
自分のことに夢中で、他人(親だけど)のことなんてどうだっていい。
俺はまだ〈頭の中の世界〉の住人だった。
あいつらを殺す、という計画。
その方法がどういうものであれ、計画は俺の目を外に向けさせた。
自分のことだけを考えていた俺は、自分以外のことを考え始めた。
どうやったら、あいつらを殺せるか。
俺が苦しんだ以上に、あいつらも苦しめなきゃいけない。
だって、それが正しいことだ。それが正義ってやつなんだ。
あれこれ計画を想像するのは楽しかった。
何か新しいことを始めるとき、一番楽しいのはその計画だ。
ああでもない、こうでもない、あいつらの苦しむ顔を思い浮かべて、
俺はにやにやと笑った。
レイが来る前に、俺はチャットにそう打ち込んだ。
「やるなら、完全犯罪だろ。そうしないと、捕まるし」
「証拠とかを残さないでさ」
「理想は、仲違いさせて、あいつらが殺し合う的な?」
・・・・・・いまとなっては、ちょっと解説不能な考えだから、
ここは当時の台詞のまま、羅列するにとどめておく。
「影武者をつくる」
だとか、
「学校内でのトラブルは消される」
とかいう文字が散見されるが、
同じく、まあ、いまとなってはよくわからん。。。
「まずは、そこから」
不意に画面が動き、レイの言葉が並んだ。
「あいつら、あなたはそうひとくくりにするけれど」
「その全員に手を下すつもりなの?」
「その分、リスクは高まるけれど」
「たしかに・・・・・・」
俺が馬鹿なだけかもしれないが、レイの指摘はいつも的確だった。
すぐさま俺が名前を挙げたのは、主犯格のAだった。
ちなみに、ここではAとするが、
実際のログでは俺はやつのフルネームを書き込んでいる。
もし、チャットが誰かに見られたら・・・・・・なんて思いもしなかった俺の愚かな行為だった。
名前を思い出すだけで、いまでもあいつのにやけ顔が頭に浮かぶ。
別のクラスではあったが、Aは同じ小学校出身で、
それまでチビだったくせに、中学に入ってから驚くほど身長が伸びたやつだった。
よく知らない俺でも、140センチが170くらいになったくらいの印象だったから、
本人はそれで一気に自信をつけたのかもしれない。
身長って、少し高いだけで女子にもモテるし。
今考えれば、だからAは背の低い俺をいじめたのかもしれない。
それまで感じてたコンプレックスを、俺にぶつけたんだろう。
けど、どんな理由があったとしても、いじめが許されるわけじゃない。
その取り巻きも同罪だ。
だけど、Aに比べればそいつらはまだましと言えた。
「A、ね」
レイは言った。
このときばかりは、その冷たい言い方が気に入った。
レイがAを見下してるように聞こえたからだ。
俺は千人の味方をつけたような気分だった。
レイは聞いた。
「なんで?」
間抜けにも俺は聞き返した。
俺は〈頭の中の世界〉から、やっと鼻の先を出してるに過ぎなかった。
つまり、殺す殺すとわめいていても、トリックだ何だ考えていても、
現実の実行可能性なんて、これっぽっちも考えてなかったんだろう。
いまじゃ笑えるような、そうじゃないような。
レイは二度、同じ質問を繰り返すことになった。
「○○地区だと思ったけど・・・・・・」
「知らないのね」
「どこ、ってのは・・・・・・」
「誰かに聞けば知ってるかもしれないけど」
「あなたにそれを聞けるような人がいるの?」
レイの放った氷が胸に刺さった。
・・・・・・レイの職業は魔法使いなのかもしれない。
「いないけど・・・・・・」
うなだれた俺に、
「じゃ、調べる必要があるわね」
レイはあっさり言ってのけた。
「やりようはいくらでもある」
「本人を尾行する」
「その家を探してるふりをして、近所の人に尋ねる」
「SNSから情報を拾う」
「世帯主名から検索する」
「家が自営業をしていればもっと単純」
まじか。
ほかにもつらつらと並べるレイに、俺は驚いた。
個人情報って、意外とパソコンがない昔の方が堅かったりして。
そのとき、ぱっと見覚えのある住所が並んだ。
とはいっても、途中までだ。うちの住所じゃない。
「これって・・・・・・」
俺はおずおずと聞いた。
「お望みの住所」
「彼の祖父は県会議員をしてるのね」
「自宅の隣が事務所になってたわ」
Aの祖父が県会議議員をやってたなんて、知らなかった。
あいつ、いいとこの坊ちゃんだったのか。
取り巻きも、それを知って金魚の糞をしてるんだろうか。
衝撃は徐々に苛立ちに変わった。
少しでも気に入らないと、すぐに放り出したくなるところからも、
どんなに俺の意思ってやつがあやふやか、わかるだろう。
「県会議員の子供なんて殺したら、俺が社会的に抹殺されるじゃん」
完全犯罪を狙ってる段階で、この発言も解せない。
「子供ではなく、孫、ね」
レイは冷静に間違いを正した。
「それに、怖いならやめる?」
俺はやっぱり日和見だった。
きっと、意思なんてない俺は、何でも強い方に流される。
この場合は、つまりレイの意思に。
「じゃ、続けるわ」
レイがそう言ってくれたことに、俺はほっとした。
もし、「続ける?」と疑問形で聞かれたら、俺はどうしたらいいのかわからなかったから。
「わかった」
俺は言われたとおりにした。
ネット時代ってのは便利だ。
部屋から一歩も出ないで、やつの家が見れるんだから。
「この、白い家?」
都会風の、小ぎれいな一軒家。
それを睨んだ俺に、レイは首を振った。
「違う、その右隣」
「これ?」
俺は画像を見直した。
そこにはほかとさして変わらないような、田舎の家が鎮座していた。
これが県会議員の家?
さしたる興味もないような口調で、レイは言った。
「中には本当のお金持ちもいるかもしれない」
「それとは逆に、負債を抱えた人も」
「破綻するまで誰も気づかないなんて、よくある話」
「そうなんだ・・・・・・」
俺は馬鹿みたいにそう言った。
それから、願わくばあいつの家が破綻して一家離散してしまえばいい、なんて思った。
俺はここでも馬鹿っぷりを発揮した。
「あいつのじいさんのコンピューターとかに入り込んで、
ちゃちゃっと不正の記録なんか見つけて、
あいつらを社会的に葬ってやれるのに」
・・・・・・何言ってんだかわからんが、馬鹿だということだけはわかるな。
「住所一つ、調べられなかった人が?」
レイも間違いなく、いまの俺と同じ感想を抱いたらしい。
レイはさらに冷たく言った。
「目標をはっきりさせて」
「あなたは何をしようとしているの?」
「何を・・・・・・って?」
「あなたの目標は、なに?」
「Aではなく、Aの祖父を破綻させることなの?」
「目標を変えることは構わない」
「けれど、変えたなら教えてくれないと困る」
「えっと・・・・・・・」
ちょっと言ってみただけじゃん、俺は思った。
少しの冗談も許されないのかよ、って。
レイが誰のために聞いてくれてるのか、考えもせず。
「Aを殺す」
ゲーム上で、今日はどのモンスターを狩りにいくのか、
そんな調子で俺は言った。
「だけど、そうやって不幸が降りかかるみたいのもいいかなって」
「そう」
言葉少なにレイは答えた。
「標的はA。変更はないのね」
「もちろん」
意味はないけど、力強く俺は答えた。
そうしたほうが、レイに良く思ってもらえると思ったからだ。
けど、この虚勢は一気に崩れることになる。
「観察?」
嫌な予感に俺は聞き返した。
「そう」
「観察」
「目標を達成するには、彼の動きを正確に知る必要がある」
「違う?」
「ちょっと待ってよ」
俺は焦った。
「それって、」
「だって、俺が外に出て」
「「出るってこと?」
「それで、あいつを見張る?」
「無理」
「無理だって、」
「そんなこと、できない」
部屋の外にすら出たくないのに、あいつを見張るなんてもっと無理だ。
絶対気づかれて、、、考えたくもないような地獄を見ることになる。
そんなの絶対に無理だ。
するとレイは冷ややかに言った。
「また計画変更なの?」
「違うよ、そうじゃないけど」
「それなら」
「最終的に、あなたはどうやってAの命を奪うつもり?」
「そこから出ることもなく」
「超能力でも使えるというの?」
・・・・・・そんなもの、使えるわけがない。
俺は意地悪なレイにむっとしながらも、どうしよう、そう思った。
考えてみれば、それは限りなく物理的なことだった。
つまり、俺がここに引きこもったままじゃ、Aを殺すことなんかできない。
どんなに頭の中で策を練って、パソコンでレイと話し合っていても、
最終的には俺は外に出て、Aと対峙することになる。
もちろん、毒殺とか、手段によってはAに会う必要はないのかもしれないけど、
それでもAの家や学校に行く必要は出てくるわけだ・・・・・・。
そこまで考えて、俺はふと思いついた。
「殺人を誰かに頼むってのはどう?」
嘱託殺人ってやつだ。
「そこで、俺の代わりにやってくれる人を見つける。ってのは?」
「聞きかじっただけの話でしょう?」
「そんなものを、安易に持ち出さないでほしい」
「でも、実際そういうのあるんだろ?」
「あるんならさ・・・・・・」
突き放すレイに、俺は珍しく食い下がった。
きっと、それだけ自分で手を下すことが嫌だったんだろう。
そりゃそうだ。人殺しなんて、できるもんならやりたくない。
「相応の報酬は用意できる?」
「お年玉を貯めたってレベルじゃないわよ」
「念のため、だけど」
いつものように、俺は撃沈した。
それでも、どうしても外に出たくない俺は言った。
「あいつの行動なんて、だいたい知ってるよ」
「学校行って、放課後はだいたいゲーセンで」
「それより、どうやって完全犯罪にするのか考えた方がよくない?」
「あいつなんかのことで捕まりたくない」
「完全犯罪、ね」
「それなら、なおのこと詳細に目標の行動を知るべき」
レイも譲らなかった。
「家もわかったし。それで十分だろ」
「いいえ」
「それじゃ不十分もいいところ」
「目標を観察する」
「すべてはそこから」
「このままじゃ、本番のシミュレーションも不可能」
「運を天に任せることしかできない」
「でも・・・・・・」
「じゃ、どうやって殺すか考えるってのは?」
「ナイフでぶっ刺すとか、毒のませるとか、トリック使うとか」
馬鹿丸出しだから、一度、トリックから離れろと俺は言いたい。
しかし、レイは言った。
「それはあとからついてくるもの」
「行動を起こしてみるのが先」
「そうすれば、何が必要で、何が必要じゃないのかがわかる」
「どういう意味?」
よくわからずに俺は聞いた。
きっと、それは俺のやり方と真逆とも言える方法だったからだと思う。
何か新しいことを始める際に、俺が選ぶ方法と。
「彼の動きもわからない」
「実際の彼を観察するべき」
レイはそう言ったが、俺はやっぱり実感がわかなかった。
なぜなら、ナチュラルにネット世代な俺は、
何をするにしてもまずパソコンを開くのが常套手段で、
たいていの場合、そこにはすべてが載っていた。(と、思っていた)
だって、夏休みの天気を毎日書くのをサボっても、
自由研究を自分で考えてやらなくても、
ネットにはすべてが載っていて、俺はそれをただ写すだけでよかった。
情報はすべてこの画面の中にあった。
だから、レイの言う「行動を起こす」というのは、
俺にとって「自分の足を使う」ことではなく、この部屋の中で画面に向かえばできることだった。
しかし、レイは言った。
「画面に向かって、誰かの書いた情報を眺めても、それは〈何かをした〉とは言えない」
「あなたは画面を眺めていただけ」
「ほかには何もしていない」
「でも、情報は大事だろ」
腑に落ちずに、俺は言った。
「何かを始めるには、情報が必要だし」
「そう言って、そんなに大層なことを始めたことがあった?」
「あなたは情報を調べて、何かしたような気分になっただけ」
「実際は、その椅子から立ってさえいないのに」
俺は小学生の頃、大冒険がしたくて、電車の旅を計画したことを思い出した。
そのときも、俺はパソコンの前にいて、時刻表や観光スポットを調べていた。
何日も調べて、俺は完璧な旅のしおりを作り上げた。
「それで?」
答えを知ってるくせに、レイは尋ねた。
「・・・・・・結局行かなかった」
俺は仕方なく答えた。
「この計画も実行せずに終わる」
「あなたはどうしたい?」
「も、もちろん、最後までやるさ」
言いながら、
「俺が何か最後までやり通したことなんてあったっけ・・・・・・」
そう思ったような気もする。
だって、部屋のそこら中に、
組み立てないままのプラモデルや、やりかけの参考書なんかが転がってんだ。
そう思わない方が不思議だろう。
「あなたに必要なこと」
「それはとにかくやってみること」
「考えるのはそれから」
「わかったよ。やればいいんだろ」
半ばやけになって、俺は言った。
けど、Aを尾行して観察するなんて、そんなことができると思えるわけがなかった。
行動を起こす?
そして、Aを観察する?
無理だろ。
はっきり言って、めんどくさいことになったなと俺は思った。
Aを殺すって思いつきは、怖いけど最高だと思った。
あいつがこの世から消えてなくなる、こんな愉快なことはないだろう。
あいつの苦しむ顔をどうやって眺めるか、考えるのは幸せだった。
なのに、だ。
レイは考えるより、行動を起こせという。
この部屋を出て、Aを観察しろという。
Aを殺すためでも、そんなことしなきゃならないんなら、
はっきり言って自殺の方が数倍簡単に思えた。
そこに結んであった首つりヒモは、いつまでもぶら下がってても不気味だから、
束ねて壁の穴に押し込んでいた。
あれを、もう一度使う?
ちらっと考え、俺は首を振った。
自殺なんかいつでもできる、自分にそう言い聞かせた。
気づかないふりをしていたが、俺はたぶんこのとき、もう死にたくなくなっていた。
なぜって、理由は簡単だ。
レイが俺のそばにいてくれるから。
俺だけじゃなく、きっと誰にとっても。
レイはいつでもあんなふうに冷たかったけど、
俺を見捨てることはしなかった。
絶対に見捨てない、そう確信を持てたわけじゃないが、
何時間も俺の話につきあい、明日の約束をしてくれた。
それは存在の肯定だった。
俺がここにいることを、レイは許してくれたんだ。
ほんのわずかだけだけど、俺はそう思った。
何もAの観察なんかしなくてもいい。
久しぶりに外に出るのもいいんじゃないか?
〈あなたに必要なことは、とにかく行動を起こすこと〉
レイの言葉が頭の中で繰り返された。
俺はベッドから起き上がった。
少しだけ、ほんの少しだけだ。
ドアノブに手をかける。
そして、俺はその行動の問題点に気づいた。
俺は時計を振り返った。
午前五時四十五分。
普通の人たちが目を覚まし、活動を始める時間だ。
普通のサラリーマンや、普通の学生、普通の主婦が起き出して、
一日を始める時間だ。
俺はドアを背に床に座り込んだ。
心臓がばくばく音を立てている。
手のひらがじっとり汗でぬれて、足が小刻みに震えている。
〈あなたは自分が望んでも、そこから出ることができなくなる〉
レイの声が頭に響いた。
「うそだろ・・・・・・」
俺はリアルにつぶやいた。
だって、引きこもる前には、俺だって「普通の学生」だったわけで、
「普通の暮らし」をしていたはずだ。
それに、不登校を始めた頃は、普通にコンビニくらい行ったこともある。
だってのに、なんで俺はここから動けない?
ぐるぐるとそんな文字が頭の中を回った。
これがレイの言ってた〈呪い〉ってやつか?
ってか、これ以上〈呪い〉が強くなったらどうなっちまうんだ?
俺はおびえた。
そういえば、重度の引きこもりはトイレにさえ行けないって話を聞いたことがある。
俺もいずれそうなっちまうのか・・・・・・?
俺は思ったが、だからといってどうしたらいいのかわからなかった。
「レイ、俺、ここから出られない」
すがるようにパソコンに飛びつき、そう打ち込んだが、反応はない。
「レイ・・・・・・」
家の外に出て、他人の視線にさらされる。
そう考えただけで、動悸はひどくなった。
〈見えもしない、聞こえもしない他人の心なんてどうでもいい〉
必死な思いでログをたどると、そんなレイの言葉が見つかったが、
やっぱり俺はどうでもいいだなんて思えなかった。
結局、俺はいつものように毛布をかぶり、暗闇に逃げた。
この毛布をかぶるという行為も、部屋の中からさらに引きこもっているのだと考えると、
どうしようもなく辛かった。
次の夜、チャットに俺が大騒ぎした跡を見つけて、レイは言った。
「そうなんだよ」
俺は感情を込めて言った。
少々大げさに言っているという自覚は・・・・・・認めたくないけど、少しはあった。
でも、当然だろって気持ちも同時にあった。
だって、外に他人がいるって思うだけで、部屋から出られないんだぜ?
明らかに異常だ。それを認めてほしかった。
「冷や汗が出て」
「足なんか、もう震えちゃってさ」
「全然止まらないんだよ」
ここぞとばかりに俺は力説した。
すると、レイは意外なことを言った。
「午前六時に出てこれる?」
「○○公園で待ってるわ」
「ブランコのところ」
「それじゃ」
「え、それって」
動揺した俺が何度もタイプミスしているうちに、その日のレイは消えてしまった。
俺は何度もレイの言葉を読み返した。
これって、俺と会ってくれるってこと・・・・・・だよな?
降ってわいたような幸運に、俺は興奮した。
レイが俺と会ってくれる。
謎の美少女が、その姿を俺の前に見せてくれる!
保守ありがたい。いままでの人も。ありがとう。
服はどうしよう。
髪が伸びっぱなしなのは、帽子でごまかせるか?
それなら、風呂は? やっぱ入っていくべきか?
会ったら、まずなんて言う?
おはよう? それじゃおかしいよな。片手をあげるくらいでいいか?
どうでもいいようなことばっかだったが、あのときの俺には大事なことだった。
俺は浮かれたまま出かけられたかもしれない。
昨日感じた動悸や冷や汗も何のその、レイに会いに家を飛び出したかもしれない。
けど、浮かれ終わった俺が気づくと、時間はまだ午前三時ごろだった。
約束までには三時間もある。
この三時間で、俺はあることに気づいてしまった。
そう、レイの約束は本当かどうか、ということである。
黒いTシャツに縞のシャツを羽織り、下はジーンズという、
当時の俺が思ってたイケてる格好で鏡の前に立ち、俺はふと考えた。
そういう実体のない疑いは、考え出すと止まらないもんだ。
俺はどんどんその疑いの虜になった。
○○公園で待ち合わせ、レイはそう言ったけど、そもそもそれはおかしくないか?
Aの家を探すときに、俺の住んでる場所に見当をつけたとしても、
どうしてレイがそこまで来れる?
だって、レイはインターネットの向こうの人間だ。
それが、たまたま俺の家の近くに住んでた、なんて偶然、ありえるか??
可能性としては車で来るっていうのはあるが・・・・・・
レイが車を運転できるような年だなんて、あまり考えたくはない。
いや、十八とか、二十歳とか、それくらいだったらアリか?
俺の思考はほんの少しそれた。
レイの顔が、綾波レイじゃなく、一瞬ミサトさんに変わった。
いやいやいやいや。
俺は自分でツッコんだ。
そういう問題じゃない。
問題は、レイが本当に待ち合わせ場所に現れるのか、だ。
俺をだますわけじゃなく、本当に来てくれるのか。
午前四時。
午前五時。
午前五時半。
俺の家から○○公園までは、徒歩で十五分。ダッシュで十分。
午前五時四十五分。
ああ、もう出ないと間に合わない。
俺は土壇場でそう決めると、ドアノブを握った。
親が起きるのは、いつも六時過ぎだ。
けれど、俺は音がしないように、細心の注意を払ってノブを回した。
そのときだった。
カタン、郵便受けが音を立てた。
そうだ、昨日もこの時間に新聞配達が来たんだ!
見られるわけでもないというのに、俺は反射的に床に座り込んだ。
ややあって、バイクの音は遠ざかっていく。
けど、俺はしばらくそこから動けなかった。
時計の長針の立てた、やけに大きな音に顔を上げると、
それはちょうど五時五十分を指したところだった。
ばくばくいう心臓を抱えて、俺は必死で立ち上がろうとした。
けど、一旦縮こまってしまった体は言うことを聞かず、
時計はその間も進み続けた。
五時五十一分、
五時五十二分、
五時五十三分、、、、、、
行かなきゃ。
俺は震える足で立ち上がった。
まだ間に合う。
レイはきっと待っててくれてる。
慌てたもんだから、久々の靴下を履いた足が廊下を滑って、
危うく階段からも落っこちそうになった。
後ろを振り返らずに、玄関に走った。
そして、思わず舌打ちをした。
やべえ、俺の靴がねえ。
使わない人間の靴なんて、出しておいてもしょうがないんだから。
「あーもう・・・・・・」
俺は小さくつぶやきながら、手当たり次第に靴箱を開けた。
でも、慌ててるせいか、どっか奥にしまわれちまったのか、全然見当たらない。
「くそっ」
俺は口汚くつぶやくと、便所サンダルを突っかけて外に出た。
小学校の頃買ってもらったマリナーズの帽子を目深にかぶって、鞄も何も持つことなく。
初対面の女子に会う、というよりは、完全に不審者の格好だった。
はよ
こんなサクサク作り話が書けるなんて、俺って才能があるみたいだ!(まじか!)
家の中の空気とは違う、なんか冷たいっていうか、さらっとしてるっていうか、
そう、新鮮な、っていうのが近いかな? そんな空気が俺を包んだ。
あたりはまだ暗かった。
近所の家の窓からは明かりが漏れていたが、道を歩く人は誰もいなかった。
午前六時に家を出るなんて、たぶんラジオ体操のとき以来だ。
俺は一瞬ぼうっと立ち尽くし、それから慌てて下を向いて歩き出した。
犬を連れたじいさんが角を曲がってこっちに来るのが見えたからだ。
じいさん&犬に驚いた俺が向かったのは、公園とは逆方向だった。
やばい。。。。。。
後ろを振り向けないまま、俺は後悔した。
ただでさえ時間に遅れそうだってのに、走らなきゃ間に合わないってのに!
どうして俺はとっさに歩き出しちまったんだろう。
じいさんを避けたいなら、もう一回、玄関の中に引っ込めばよかっただけなのに。
そしたら、いまごろ安全な場所に、ベッドに潜り込んでいられたのに。
とっさの二択で、俺は引き負けたんだ・・・・・・
この格好で走ったら、まじやばいやつだよな。
ってか、不審者だって通報されたらどうしよう。
いや、とはいっても、チビの俺ならそこまで思われないか?
でも、家出だって思われても・・・・・・
頭の中を渦巻く思いに吐き気がしてきたときだった。
コツコツコツコツコツ・・・・・・
後ろからハイヒールが俺を追い越した。
うわあ、やべえ!
何がやばいかっていうと、その瞬間弾けたように走り出した俺が一番やばいんだが、
ギョッとしたように振り向いたハイヒールOL?を振り切るように、
俺は公園に向かって全速力で走り出した。
白塗りお化けの中身がただのバイトだって知ってても、だめ。
パニックになってとにかく叫びながら、出口に突進していく。(それが入り口の場合もある)
だから遊園地バイトの方々には、まあ迷惑な人間なんだが、
このときの俺の状況もそんな感じだった。
家の外は、俺にとって、でっかいお化け屋敷だった。
通行人は全員お化けで、俺をとり殺そうと追いかけてくる。
だから、俺は逃げなきゃいけなかった。
レイのいるその出口、つまり公園に。
辛うじて奇声は押さえながら、俺は走った。便所サンダルで。
足は思うよりも重く、全然前に進まなかった。
すぐに脇腹が痛くなり、息が苦しくなった。
それでも、お化けから逃れようともがくうちに、緑色のフェンスが見えた。
公園だ。
赤信号を無視して道を横切ると、俺は公園に飛び込んだ。
入れ違いに、今度はおばさん&犬が通り過ぎたが、
安堵の気持ちからか、俺はそこまでパニックにはならなかった。
この公園は広くはないが、常緑樹の木と岩?でエリアが遮られている。
手前は滑り台が一つだけ設置されたエリアで、
道なりに進むと真ん中に岩?のエリア(なんか謎だけど岩が並んでるんだ・・・・・・)と
右側にタイヤでぐるぐるするやつ、
その向こうに、公園内のどこからでも見える時計台が設置されてる。
ブランコは、その時計台のある広場の一角にあったはずだ。
けど、一応、ここはレイのためにも、きちんと公平を期すために言っておく。
そのとき、時計台の時計、その長針は数字の「4」を指していて、
つまり、時刻は午前六時二十分だった。
レイの言った時間は、午前六時。
俺は約束に二十分も遅れていた。
だって、そうだろ?
レイは約束してくれた。
どこか遠くに住んでるかもしれないのに、わざわざこの公園まで来てくれるって。
それが、二十分遅れたくらいで、さあ。
どきどきしながら、俺は木陰からその方向を覗いた。
広場では、何人かのじいさんばあさんが体操をしていて、
その向こうのブランコには人影がなかった。
そう思った瞬間、さああっと全身から血の気が引く音が聞こえたような気がした。
いない。
俺は目をこらして、まるで間違い探しでもするみたいにブランコのあたりを見た。
いない。
木陰の俺を、一人のばあさんが見とがめた気がして、俺は顔を引っ込めた。
俺の体をここまで引っ張ってきた力が急激に失われて、俺はふらふらと踵を返した。
けど、そのままじゃやっぱり帰ることもできなくて、
何回も場所を変えてブランコの方を見た。
けど、結果は同じだった。
レイはいない。
来てくれなかった。
約束したのに、俺はそれを信じたのに、レイは嘘をついたんだ。
「誰かを待ってる風な人がいませんでしたか」
そう勇気を出して聞いていれば、と俺は今でも悔やんでいる。
そうすれば、レイが本当は何者で、なぜ俺の前に現れたのか、
少しはその理由がわかったかもしれないと思うからだ。
もちろん、わかってどうなるってこともないかもしれない。
けど、すべてが過去になってしまったいま、俺はそれだけを悔やんでるんだ。
それはあんまり面白くもないから端折ることにする。
時間が経ち、人が増えてきた町を、俺が胸を張って帰れたはずもない、ということだけ。
とにかく、それが運がよかったのか悪かったのか、
考えられないような時間をかけて俺が家にたどり着いた頃には、
親はとっくに会社に出かけて、家はもぬけの殻だった。
家の鍵は開けっ放しにして出て行ったが、
まさか俺が外に出たとも思わずに、自分が閉め忘れたとでも思ってくれたんだろう。
鍵は閉まっていたが、俺は外に置いてある合い鍵で中に入った。
くたくたに疲れてはいたが、眠れそうになかったので、
冷蔵庫の中からビールを一缶拝借してみた。
初めて飲んだビールは、まずくて酔っ払えるようなもんじゃなかった。
俺はそれ半分以上残したまま、眠った。
寝ても起きても、俺の心は傷ついたままだった。
俺はパソコンの前でレイを待った。
そして、最低の言葉を選りすぐった。
俺が傷ついたのと同じくらい、レイを傷つけてやろうと思ったんだ。
音がして、レイが現れた。
「この嘘つき」
「クズ、クソ」
「裏切り者」
「俺を操って楽しいか?」
「俺がどんな思いであそこまで行ったと思う?」
書きためておいた言葉を、怒濤のようにコピペした。
「おまえもAと同じなのか」
「俺を馬鹿にして、こそこそ陰で笑って」
「最低だ!」
「人間としてやっていいことと悪いことがあるだろ」
「俺は約束を信じたんだぞ!」
コピペし終わると、俺は一息ついた。
言ってやったぞ、変に満ち足りたような気分だったかもしれない。
言い返せるもんなら言い返してみろ、そんなふうに思ってたかもしれない。
けど、レイの反応はいつもとあまり変わらなかった。
「謝罪?」
「なんで俺が」
嫌な感じがした。
レイを前にすると、なぜだかいままで見えなかったものが見えるようになる気がする。
それはきっと、レイは俺に感情を抜きにした、〈現実〉を見せてくれるからだった。
そして、このときのレイもそうだった。
「約束を破ったのは、あなた」
「午前六時、私はあそこにいた」
「あなたは姿を見せなかった」
「私が知っているのは、それだけ」
淡々と言われて、俺は詰まった。
だけど、俺はまだ言い足りてなかった。
「すげえ一生懸命努力してさ」
「俺、ずっと家の外なんて出たことなかったんだぞ」
「それを、君が待ってるからってさ」
「でも、あなたは現れなかった」
にべもなく、レイは言った。
その思いやりのない言葉に、俺は少しキレた。
「俺だって努力したんだ!」
「実際、公園にも行った!」
「そりゃ、結果的には遅刻したかもしれないけど」
「俺がどれほど大変だったか、少しは考えてくれてもいいんじゃないか?!」
しかし、レイの返事はさらに思いやりのないものだった。
「私にとっての事実は、一つ」
「私は行った。あなたは来なかった」
「それだけ」
「俺の努力は見えない? 努力なんて見えるもんじゃないだろ!」
俺は怒鳴った。・・・・・・怒鳴るような勢いでエンターキーを打ち込んだ。
「あなたが私の前に現れること」
「それがあなたの努力が可視化したということ」
「どういう意味だよ!」
俺はやはり怒っていた。
しかし、レイはいつもの調子で続けた。
「〈努力をした〉」
「人はその言葉をよく口にする」
「他人に認められたいから」
「その欲求を否定するつもりはない」
「けど、その言葉を聞くたび、私はこう思っている」
「〈努力は申告制〉」
「その本人の感じ方次第」
「日に一時間、何かしたことを〈努力した〉と言う人もいれば」
「十時間やって〈努力した〉と言う人もいる」
「どれだけ集中しているのかもわからない」
「だから、努力は本人の申告制」
「他人である私に、あなたがどれだけ〈努力した〉かを計る術はない」
「そうよ」
涼しげなレイの言葉に、俺はぽかんとした。
〈努力した〉という言葉が他人に受け入れられないなら、
それなら、〈努力〉するは無駄なことなのか?
つまり、結果が出なければ、どんなに努力したって無駄だって言いたいのか??
「そうは言っていない」
俺の疑問を、レイは否定した。
「積極的にするべき」
「けど、そんなのやっぱおかしいよ」
俺は言った。
「だって、君が言ってるのは、結果が出なきゃ〈努力〉を認めないってことだろ?
世の中には結果が出なくても、本当に〈努力〉を人だっているはずだ」
もちろん、それは俺だ! なんて言うつもりはないけど、
例えばオリンピックに出たくて努力してる人たちが、全員、そこに出られるわけじゃない。
選考から漏れる人が必ずいる。
そして、それは(たぶん)才能とかの差であって、努力の差じゃないはずだ。
でも、出場できなければ、結果は出たことにならない。
レイはそういう人の努力まで否定するつもりだろうか。
レイは俺の質問に答える前に、少し皮肉を言った。
「あなたはもう少し身の丈に合った想像をしたほうがいいと思う」
「すぐにトップの人たちと自分を並べるのは、いいことだとは思わない」
「目指すべき位置に彼らを置くならいいのだけれど」
「・・・・・・どうせ俺は底辺の人間だよ」
「そうやって、自分を貶めるのもあなたの悪い癖」
「トップはいても、底辺はいない」
「私はそう思ってる」
俺の自嘲を、レイは真面目に諭した。
レイはすぐに話を戻した。
「結果がすべてだとは思わない」
「努力しても報われないことは多い」
「けど、その努力は認められるべき」
「さっきと言ってることが違うだろ」
俺は顔をしかめた。
「さっきは、結果=努力が可視化した状態って言っただろ。
結果が出ない努力は計れないって。
その計れない努力を、どうやって認めるんだよ」
「〈自己申告制〉の努力をさ」
「正確には」
「それは本人にしかわからないこと」
「じゃ、やっぱり・・・・・・」
「けど、努力には見えるものもある」
「他人は、そういうものを指標にするしかない」
「受験勉強なら、解き終えた参考書の数」
「スポーツなら、練習量」
「それが他人に見える努力」
「本当に努力をしているなら、必ず記録としてあとに残るもの」
俺は今朝の自分を思い浮かべた。
確かに、約束の時間には間に合わなかった。
けど、俺は努力した。
引きこもってた部屋を飛び出して、
ほとんどパニックになりながら公園に行った。
「その俺の努力はどうなるんだよ。
何の記録も残らないし、結果も出せなかった。
なら、俺はなにもしてないってことになるのか?
俺の努力は全部無駄だったのか?」
レイは言った。それはいつになく優しい言い方だった。
でも、俺はそれに反発した。
「何でだよ。君は俺の努力を認めてくれないんだろ? 見えないから」
「ええ」
「私はあなたが努力したことを知らない」
「あなたは現れなかったから」
「じゃ、やっぱり無駄・・・・・・」
「無駄じゃない」
「そう言ってるでしょう」
レイは続けた。
「確かに、私はあなたの努力を知らないかもしれない」
「けど、あなた自身は?」
「あなたは誰よりも知っているはず」
「自分が努力して、その結果行動が起こせたことを」
「その部屋から出たことを」
「他人は所詮他人。あなたじゃないから」
「だから、それは仕方がないこと」
「あなたの努力は、あなた自身が一番認めてあげるべき」
「その努力はあなたを裏切らない」
「あなたの中で着実に積み上がっていく」
「例え、誰もそれに気づかなくても」
珍しく、レイの言葉からは熱のようなものが感じられた。
だから、俺は言い出すことができないでいた。
でも、俺は認めて欲しい。
俺じゃなく、他人に。・・・・・・というよりも、君に。
そんなことを言ったら、甘えてるみたいでかっこわるいと思った。
黙ってる俺に、レイはこう言った。
「あなたの努力を認めない、そう言ったけれど」
「私はあなたのことを信じてる」
「あなたは努力して部屋から出た」
「そして、公園に来てくれた」
「会えなかったけど、私はそう信じてる」
「だから」
「私も証拠を残してきた」
「ブランコから見て右の植木の根元」
「土に埋まった青い小瓶」
「探してみて」
それだけ言うと、レイはチャットから消えた。
俺は驚いて、何度もその言葉を読み返した。
信じてなかったわけじゃない。
でも、まさか、本当に・・・・・・・・・・・
「それから」
そのとき、突然文字が現れて、俺は覗き見されたようにびくりとした。
もちろん、言葉の主はレイだ。
「忘れないで」
「今回の外出は目標への第一歩」
「あなたがしなければならないのは、彼の観察」
「記録をつけて」
「その記録が、あなたの努力を可視化する」
「それじゃ」
一方的に言うと、今度こそレイは画面から消えた。
俺が口を挟む暇なんて、少しもなかった。
ありがとう!
俺は目先のことに一喜一憂して、
すぐに目標を忘れてしまうところがあって、
このときもその状態だった。
そうだった。
とりあえず、レイの〈証拠〉は置いておいて、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
俺は、Aを殺すために行動を起こしたんだ。
俺は部屋をゆっくりと見回した。
そして、思った。
俺は、ここから出たんだ。
それは俺にとって本当に不思議なことだった。
だって、俺はここから出られないと思ってたんだ。
出られるわけがないと、出たら死ぬってくらいの勢いで。
けど、俺は出た。ここから出たんだ。
レイの言葉が、いまさら胸を熱くした。
俺、できたんだよな。
やり遂げたんだよな。
大げさかもしれないけど、ガッツポーズしたいような気分がこみ上げた。
けど、そのときだった。
「ホント、大げさね」
誰かが俺の中でくすりと笑った。
俺が勝手に創り上げた、頭の中のレイだった。
頭の中のレイは嘲笑した。
「引きこもりが部屋から出て、醜態さらして、
それの一体どこが偉いわけ? 努力なわけ?」
「あなたの姿なんて誰も見たくないのよ」
「気持ち悪いったらありゃしない」
「ああ、ホント気持ち悪い」
頭の中のレイは俺を見下すように嫌な目で見た。
彼女の目論み通り、身体を強ばらせた俺を。
その台詞は容易に俺を麻痺させた。
レイのおかげで暖かくなった胸は、すぐに熱を失い、
俺は光じゃなくて暗闇に目を向けた。
こそこそ、ひそひそと囁き合う他人でひしめいた、暗闇を。
「みんなそう思ってるわよ」
頭の中のレイはそうささやいた。
「みんな、みんなそう思ってる」
「みんな、世界中の人たちが、あなたのことをそう思ってる」
暗闇の他人がわらう。
俺のことを指さして、わらっている。
「みんな・・・・・・」
俺はつぶやいた。
足はもう膝まで暗闇に飲み込まれていて、
それはすぐに全身を覆うだろうと思われた。
それが常だった。
そうして、前向きになろうとする俺は、いつも暗闇に消えてしまうんだ。
そして、再び後ろ向きになってそこから吐き出される。
二度と立ち上がれないように、、二度と希望なんか持てないように、
徹底的に刻み込まれて。
レイはそう言った。
けど、変わってないよ。
俺はずぶずぶと闇に飲まれながら、そう思った。
それとも、やっぱり俺の行動は認めるに値しないちっぽけなもので、
それくらいじゃなにも変わらないっていうのか?
何からの連想かわからないが、俺はふとレイの最後の言葉を思い出した。
〈記録をつけて〉
記録。
記録って?
わからないまま、俺は引き出しからノートを引っ張り出した。
暗闇はその腕まで絡め取ろうとする。
けど、俺はそれを振り切るように、ページを開くとそこに殴り書きをした。
『今日。久しぶりに部屋を出て、公園へ行った。レイとの約束のため。』
ぱっと今日の日付がわからなかったから、少し変な書き付けになったが、
その後日付を調べて、書き足した。
『3/9』
そうか、もう三月なんだ、なんて驚いたことを覚えてる。
あのクソ教師のクラスも終わりか・・・・・・。
俺はしばし、ほとんど行くことのなかった教室のことを考えた。
不登校してても、あと一年で卒業できるんだな、そんなことも思った。
でもその前に、あいつを・・・・・・。
俺の思考がそれたためか、気がつくと暗闇は消えていた。
あとに残ったのは、ノートに書き付けられた俺の汚い字だけだった。
『今日。久しぶりに部屋を出て、公園へ行った。レイとの約束のため。』
『3/9』
俺はその文字を目に焼きつけるように、何度も眺めた。
記録。
レイの言葉通り、それは俺の行動したという証となってそこに存在した。
努力が可視化されたんだ。
それを見ていると、嬉しさがこみ上げた。
身体に再び熱が戻り、ほんの少しではあるが、自信のようなものが湧いた気がした。
ノートに書いた文字は、あやふやな言葉よりもずっと確かに俺の努力を証明していた。
俺はなにもしなかったわけじゃない。
確かに行動をしたんだって、自分でもそう思えるような気がした。
・・・・・・俺がいまでも記録魔なのは、きっとこのときの快.感.を覚えているからだろう。
再び浮かれてそう思った時だった。
俺はある問題に気づいた。
それは・・・・・・時間だ。
ようやく明るくなってきた窓を見て、俺はうなり声を上げた。
朝寝て、夕方起きる。
この生活リズムは、果たして計画実行に向いているのか・・・・・・?
いやいや、でもそれは手段にもよるだろ。
ナイフで刺すのと、毒殺じゃ、全然違うわけだし。
でも、あいつの行動パターンによっては、その手段も限られて・・・・・・
ってか、夜なら見つからないってわけでもないし。
あ、というより、監視カメラの位置とか・・・・・・
しかし次の夜、そう相談した俺を、レイはあろう事か一蹴した。
「何でだよ、俺、ずっと考えて眠れなかったのに」
「じゃあ、どうしろっていうんだよ」
「とりあえず、行動すること」
「それが一番大切」
「頭で考えても、現実は何一つ変わらない」
「何をすべきかすら、見失う」
「でも・・・・・・」
「行動を起こして」
「あなたにしかできないこと」
まだ時間も早いというのに、早々にレイはいなくなってしまった。
少し前の俺なら、そこでまた悩みに悩んだ挙げ句、
妄想にこてんぱんにやられて朝を迎えるコースが鉄板だった。
一度の外出に成功したとはいえ、それだけで精神がレベルアップするわけないし。
けど、それは置いておいても、一つだけ、俺の頭から離れて消えないことがあった。
あの公園にレイが残したという、〈証拠〉だ。
植え込みの中の、青い小瓶。
まさか、ただ小瓶を埋めたわけじゃないだろう。
中には何かが入っているはずだ。
レイの残した、何かが。
午前一時過ぎ。
親はとっくに寝入ってる時間だ。
また、家を抜け出してみようか。
俺はほとんど自然にそう考えた。
心臓はどきどきしていたが、それは小瓶の中身への期待だっただろう。
不審者だと思われたらどうしよう、とか
通報されたら、巡回中の警察に遭ったら、とか
いつものぐるぐるとした考えは、割合簡単に押し込めることができた。
そうなったら、そうなったときだ。
そう思えた理由は、この前の午前六時の外出よりは、他人もいないだろうと思ったのと、
〈とりあえず、行動すること〉
レイの言葉が後押ししてくれたせいも、大いにあるだろう。
それに、今回の目的もはっきりしてる。
レイの〈証拠〉を取りに行くことだ。
まあ、これはレイにも引きこもりにも全く関係ないことなんだが・・・・・・
俺、お化け怖いじゃん? 真夜中って出そうじゃん?
こないだのときは他人をお化け扱いしといてなんだが、
俺は本物のお化けも怖かった。
○○公園は、昔の処刑場だったって噂もあったし・・・・・・
ってか、それくらい、どうしてもレイの〈証拠〉が欲しかった。
夜の町に人気はなかった。
俺の足音だけがひたひた響いた。
時々、ぱっと明るくなる人感センサー付きの玄関ライトに飛び上がりつつ、
俺は公園への道を急いだ。
歩きながら、唐突に俺は思った。
別に動物に興味はないけど、
こうやって歩くときに、犬を連れてたら、犬の散歩なんですって感じが出る。
不審者度も下がるだろう。
いや、それは犬を連れた不審者にグレードアップするだけか?
考えていたら公園に着いた。
案外簡単だったな、俺は余裕だった。
俺は考えた。
引きこもるのも、外に他人がいるからだ。
だから、誰にも会わないって保証があれば、俺だってこれくらいなんでもないんだ。
そして、俺は大層馬鹿なことを思った。
あーあ、世界が俺一人だけだったらいいのに。
どうでもいいことを付け足していく。
っていうか、コンビニが成立するためには工場とか、農家とかは必要だな。
そしたらそこで働く人たちが必要になるわけで・・・・・・
内心では「お化けなんて嘘さ」の歌を大声で歌いたいくらいの気分だったから、
こんなどうでもいいことを考えたのかもしれない。
と、想像の果てに俺はふと思った。
違う。
こんなこと考えてても、俺の望む世界になんかならない。
それはレイに何度も言われたことだった。
けど、何度言われてもわからなかったそれが、
なぜかいま、俺の中ですっと理解に結びついたんだ。
俺がAを殺すのは、俺の望む世界に一歩でも近づくためだってこと。
なぜ俺がAを殺さなきゃいけないのかというと、それは俺が生きるためで、
それにはAの命を押しのける必要があるんだってことが。
目的のための手段。
そのための行動。
俺にもやっとそれがわかったんだ。
すると、指はすぐに小瓶らしきものを探し当てた。
公園のライトの光が届かない暗闇だったから、
それが本当にレイの〈証拠〉か確かめる術はなかった。
けど、あった。
小瓶の存在は、俺の興奮に拍車をかけた。
レイの言葉は本当だった。
彼女は本当にここにいたんだ。
俺はすぐに家にとって返そうとした。
そのときだった。
Aだ。
Aはレジ袋片手に、道を挟んだ向かいのコンビニから出てきたところだった。
普通に歩いていたら、木が邪魔をして公園の中からコンビニは見えない。
それは、俺が植え込みに座り込んでたから見えた、奇跡だった。
Aか? あれは本当にAなのか?
笑い出しそうになる膝を抱き込むようにして、俺は何度も瞬いた。
Aらしき人影は止めてあったチャリのところで、カバンをごそごそしている。
光に伏せられた顔は、暗くてよく見えない。
Aだ。
けど、俺は確信した。
あれは絶対にAだ。俺が見間違えるはずがない。
いつも一緒の取り巻き連中はどこだ?
俺はコンビニの中を見通すように目を細めた。
しかし、そうする間に、Aはチャリにまたがり、暗い道にこぎだした。
一瞬、チャリの明かりが俺の目を刺した。
けど、その背中が遠ざかっても、取り巻き連中が現れる様子はない。
どうやら、Aは正真正銘、一人きりのようだった。
何だ?
俺は首をひねった。
どうしてこんな夜中に一人きりでコンビニにいるんだ?
それに、近所でもない、あいつの住んでる場所からは遠いコンビニに。
まさか、いままで遊んでいて、いまから帰るところなのか?
いや、それにしたって同じ地区に住む取り巻きと一緒じゃないってのはおかしい。
それから、帰途につこうとした。
すると、公園を通り抜けて、滑り台側の入り口から出たとき、
またしてもチャリが脇目も振らずに通り過ぎていくのに出会った。
とっさに顔を伏せたが、それはやはり俺と同じ中学生に見えた。
なんだ? これは??
頭のはてなマークが増殖した。
真夜中に、中学生がチャリを漕いでるって、普通の光景なのか??
俺は考え込んだまま、無事部屋までたどり着き・・・・・・とりあえず、アレを取り出した。
アレ。
つまり、レイの〈証拠〉だ。
光の下に取り出したそれは、キラキラ光って、
レイのイメージ通りの涼しげな青い色をしていた。
珍しくもないだろうけど、俺は子供の頃、「宝物」に無性に憧れた時期があった。
海賊の宝、とか、○○の秘宝、とか、そういうやつ。
そして、宝だ! って見つけてきたものは、
タイルの欠片とか、鳥の巣とか、そんなもんばっかだった。
けど、これは違う。
これは、本物の宝だ。
行動の結果、俺が勝ち取ったものだ。
俺は小瓶の蓋を開けた。
その瞬間、甘いいい香りが匂った、ような気がした。
童.貞.な俺はたやすくそう信じ込んだ。
どうやって瓶の中にレイの匂いがこもるんだよ!
・・・・・・と、いまなら思えるが。。。
でも、あの一瞬、甘い匂いがしたのは事実だったかもしれない。
なぜなら、青い小瓶はたぶん、もともとは香水が入っていたらしき瓶だったからだ。
中を覗いて、そこにあった紙片をつまみ出すと、大急ぎで蓋を閉めた。
レイの匂いを逃がしたくない、そう思ったんだ。
それから、瓶を置き、小さく折りたたまれた紙片をゆっくりと開いた。
いまでもその紙は俺の手元にある。
「レイ」
綺麗な筆致で、たった二文字だけ記された、小さな紙が。
>>298 ありがとうございます!!
「レイ」
その二文字は、俺の迷いやためらいを断ち切ってくれるようだった。
流されてばっかりの俺に櫂を与え、自らこぎ出す勇気をくれるものだった。
そうだ。
俺は紙を傍らに置くと、引き出しを開けた。
記録だ。記録をつけよう。
俺はノートを取り出すと、そこにこう記した。
『レイの小瓶を取りに行った』
『帰る途中?のAを見かけた』
三月・・・・・・昨日の今日だから、十日でいいんだよな。
と、そう書こうとして、俺の手はふと止まった。
三月? あと一ヶ月で中三?
そうだ、もしかしたら・・・・・・。
なぞなぞの答えは、本来ならば俺も置かれてるはずの環境を考えれば、至極簡単だった。
「受験か・・・・・・」
俺は思わず声に出して言った。
あそこには地元じゃ有名な塾がある。
スパルタで、夜12時まで自習室が開いてるところだ。
Aの家からは少し遠いが、あいつが通ってるとしたら説明がつく。
俺は、塾帰りのAを見かけたんだ。
謎が解けた快感に自分で何度もうなずきながら、俺は考えた。
俺たちが通う中学は公立だ。
だから、ほとんどの生徒は高校も受験の必要もないような、名のない公立に進む。
学力の低い、取り巻き連中や俺のことだ。
けど、頭の出来の違う、一部のやつらは違う。
そいつらは大学付属の高校に進んだり、
公立は公立でも、県内トップの公立を受験したりする。
俺をいじめるような最低野郎とはいえ、Aはなぜか頭だけは良かった。
〈Aの祖父は県会議員をしてるのね〉
レイの言ったとおりなら、それはAがいい家の坊ちゃんだからかもしれない。
そういう家は、学歴が必要だったりするんだろ、多分。
俺はパソコンに飛びついた。
まだいつもなら話してる時間だから、レイもまだパソコンの前にいるかもしれない。
そう思って、チャットに文字を打ち込もうとした。
と、俺はログの最後に、妙な一文が増えてるのに気づいた。
「あなたはどうして自殺したいの?」
ん?
俺は首をかしげた。
見ると、発言はレイのもので、時刻は一時間ほど前だ。
つまり、俺が公園に出かけている間の時間。
「あなたはどうして自殺したいの?」
胸にふっと不安がよぎった。
レイはどうしたんだ?
変な考えだが、俺はレイがバグったと思った。
だって、その台詞はまるで、
アンドロイドが間違って記録媒体を初期化してしまったみたいに見えたから。
急展開なら・・・・・・バッドエンドでリトライ、ってシナリオですかね・・・・・・
恐る恐る、俺はそう打ち込んだ。
「俺がいまでも自殺したいかってこと?」
「それなら、大丈夫だよ」
「とりあえずは」
「それより、すごい発見したかもしれないんだ」
「・・・・・・って、いるかな?」
「・・・・・・落ちちゃった?」
大分間の時間を空けて、俺はそう書き込んだ。
けど、どんなに待っても、レイの返事はなかった。
俺はなんとなくもやもやしながら、朝方ベッドに入った。
まさか、記憶がリセットされたわけじゃないよな?
レイの〈証拠〉を手に入れたというのに、
それは確かに生きた人間の筆跡だったというのに、
俺の中のレイは、再びアニメの無表情キャラに戻った。
俺は、記憶を消去され、たくさんのクローンと共に出荷されていくレイの夢を見た。
「嫌な夢を見たから」
「なんとなく、心配になっただけ」
「虫の知らせなんて当てにならないものね」
現れるなりレイはそう言って、俺を安心させた。
「それより、すごい発見ってなに?」
「聞かせて」
よかった、いつものレイだ。
俺は嬉しくなって、懸命にキーボードを叩いた。
レイの〈証拠〉を見つけたこと。
Aは塾に通ってるかもしれないこと。
そこには取り巻き連中はおらず、Aは一人きりであること。
この頃になると、俺のキーボード入力はそこそこ早くなっていた。
が、我流なのでやっぱ遅いことは遅かった。
俺の報告を聞き終わると、レイは突然そう言った。
「え? 学校?」
「そう」
「知ってる?」
・・・・・・不登校の俺がそんなことを知るはずもない。
「3/27ね」
すると、レイがそう言った。
「え? なんで・・・・・・」
「市のホームページに一覧が載ってる」
「・・・・・・そうなんだ」
「塾通いがわかったのは大きな成果」
「でも、それが毎日なのかはわからない」
「引き続き観察が必要」
「それに春休みに入って、行動パターンが変わる場合もある」
・・・・・・なるほど。
頭の回転の早さに、俺は感心した。
打ち込みながら、手がぞわっとした。
計画。
実行。
簡単に言っちゃってるけど、俺、Aを殺そうとしてるんだよな・・・・・・。
やれるのか?
興奮と不安が入り混じったような気持ちが、腹の底からぐうっとこみ上げた。
「まだよ」
しかし、レイはそんな俺をたしなめるように言った。
「言ったはず」
「まだ観察が足りない」
「塾通いも、毎日じゃないかもしれない」
「あなたは完璧を期す必要がある」
「そうでしょう?」
このレイの台詞は、俺の厨二心を捉えた。
そうだ、俺がやろうとしてるのは完全犯罪だ。
完璧じゃなきゃ、捕まっちまうんだから。
そう思うと、毎日の観察という一見億劫そうなことも、
なんとなくやり遂げられそうな気がした。
完全犯罪のための忍耐。
それって、何だかかっこよくないか?
唐突にレイが言った。
「そろそろ時間よ」
時計を見上げると、確かにそんな時間だった。
「・・・・・・頑張るよ」
ついさっきカッコイイと思ったことを忘れて、面倒くさいなと俺は思った。
けど、レイの手前、行かないわけにもいかなかった。
それに、いつもの取り巻き連中がいないという事実は、
俺に少し勇気を与えていた。
「行ってきます」
俺は打ち込んだ。
「行ってらっしゃい」
レイはもう一度、そう言ってくれた。
レイが見送ってくれてると思うと、こそばゆいような気持ちがした。
玄関から出入りしてると、いずれ親に気づかれるような気がして、
俺は一階の裏窓から出入りすることにした。
窓の外は隣家との狭い隙間になっていて、誰にも気づかれる心配はないし、
物音も立てずに済む。
俺は秘密兵器のカバンを背負って、毎晩そこから出入りした。
けど、幸いなことに、この時間帯は人に遭うことも滅多になく、
たまに遭ったとしても、疲れてるのか、俺には無関心な人たちばかりだった。
秘密兵器のカバンだ。
そこには俺が持ってる、ありったけの教材が詰めてある。
「○○塾の帰りなんです」
そう言って、その中身を見せれば、うまくごまかせるはずだ。
何たって、ほかにも塾帰りの中学生がうろついてるんだから。
けど、そんな心配をよそに、俺は呼び止められるようなことは一度もなかった。
初めは心臓ばくばくだった夜の外出も、そのうち大分慣れ、
俺は、胸を張って歩けるようになっていた。
とはいえ、〈自分のことが何より大切〉とレイに言わしめた俺が、
その自分大好き根性をすぐに手放せたわけじゃなかった。
外にどうしても出られない、繊細で敏感で可哀想な俺、
そんな役割を演じて、引きこもりたい衝動に襲われるのは、毎度のことだった。
厨二って人と違うことに命をかけたくなるだろ?
それがどんなに不幸なことかも想像せず、
隻眼カッコイイ! とか、天涯孤独カッコイイ! とか。
普通なんてかっこわるい。
二十歳まで生きられなくてもいいから、天賦の才が欲しい。
そんなことを思っていた時期が、俺にもありました・・・・・なんて、
茶化せないくらい、何だかどうしようもない話だ。
けど、俺はかっこわるくそれをこじらせた。
それが問題だった。
自意識過剰でぶくぶく精神を太らせた俺は、
「今日は無理かも・・・・・・」的なことを言って、何度もレイに絡んだ。
「昨日もいったから疲れちゃったよ」
「どうせ俺にはできないよ」
「もうやだ」
「やめて、一生引きこもろうかな」
「そんなことないよ」
「あなたはよくやってると思う」
「頑張ってると思う」
レイにそう言われたいがための誘い水だった。
けど、いま思えば有り難い話で、レイはどんなときも揺らぐことがなかった。
「とにかく行動すること」
「頭の中で考えていても、〈現実〉には何の影響もない」
「記録があなたの努力を可視化する」
レイは淡々といままでの言葉を繰り返した。
けど、むやみに俺にはっぱをかけるだけじゃなかった。
「疲れたなら休めばいい」
「読みたい漫画があるなら、読めばいい」
「ただし、それを怠けてるとか、俺はできないやつだ、と思わないで」
「そんなことを考えることに意味はない」
ただ、
「何でもいいから、答えを探して」
そう言われたときのように、
最初のうち、俺はその言葉を素直に受け取ることはできなかった。
読書感想文の「蜘蛛の糸」の話と同じだ。
休めばいい、そう言われて素直に休んだら、皮肉を言われる。
・・・・・・それがいままでの俺の環境だったから。
まあ、でもそれは俺だけじゃない、
きっとほとんどの人が経験したことがある、本音と建て前ってやつだとは思うけど。
「今日は行かない」
ある夜、そう言ってみた俺に、レイはあっさりうなずいた。
「わかった」
「じゃ、また明日」
そう言って消え、翌日も何の変わりもなく俺に接してくれたのだ。
それは、俺にとって不思議で、けどすごく大切な経験になった。
「明日も学校ね」(宿題と明日の準備はすべて済んだか?の意)
ってな感じに、究極遠回しな親のもとに生まれ育った俺は、
(まあ、親のせいとも一概には言わないが・・・・・・)
人の言葉の裏の意味を読むことに必死になって生きてきた。
だから、言われた言葉をそのまま信じていい、
そう思えることは、俺にとってすごく楽なことだったんだ。
そして、そういう日には必ず記録をつけた。
3/13 Aいない。見逃した?
3/14 いなかった。
それから、日付が飛んで、
3/17 いた。前見たのと同じ時間で、コンビニ。
3/18 いない。
・・・・・・という具合に。
俺は自信がなくなりそうになると、よくその記録を眺めた。
そうすると、そこには書き付けたままの事実が並んでいて、
それは俺を安心させてくれた。
俺はもっと記録をつけたくなった。
それだけのために、早く明日になればいいのにとさえ思った。
記録が増えれば、それだけ俺は成長したんだ、そう思えるような気がした。
Aの出没パターンがわかったのは、
俺の〈努力の跡〉が少しずつ増えていった、そんなころだった。
その日、俺はレイとのチャットで、
「多分、Aは火・木・土、が塾の日だと思うんだけど」
と、憶測の発言をして、
「だと思う、じゃ完璧とは言えないわ」
レイにそうダメ出しされていた。
「もちろん、Aが風邪を引くとか、予測不可能な不確定要素はある」
「でも、それ以外のことはきちんと確かめるべき」
「けど」
レイはこうも言った。
「そろそろ、場所や時機をうかがってもいい頃」
「目的達成の手段も」
「周囲の観察も始めるといい」
それを聞いて、やった! 俺は心の中でガッツポーズをした。
それは俺が努力を続けた証拠で、同時にそれをレイが認めてくれた証拠だった。
俺はAが消え、ほかの塾生が消えたのも確認してから、
そっと公園の外に出た。
それは初めてのことだった。
俺は自分が何だか無防備に思えてどきどきした。
いままで自分を隠してくれてたフェンスや植木がないと、
こんなにも違うんだって、そう思った。
コンビニだ。
夜の中に煌々と輝くコンビニの光は、
できるだけ暗闇に溶けていたい俺には少しまぶしすぎた。
それに何より、あそこには人間がいる。
俺はしばらくためらったあと、Aの去った方向に足を向けた。
もちろん、できるだけ暗い道の端を選んで。
だって、いままでAが戻ってきたことはなかったし、
それに戻ってくる理由もない。
さすがに塾は閉まってるんだろうし、ただでさえ遅いのに忘れ物を取りに戻るなんて、
そんなことはしないような気がした。
・・・・・・そんな気がした、ってだけでうかつにうろつくとか、
完全犯罪はどうしたんだよ、ってツッコミはこの際しないことにする。
もう少し、Aの後を追ってみようかな。
そう思って、この先、Aがどの道を帰っているのか知らないことに気づいた。
レイの言ってた〈周囲の観察〉ってこういうことか。
俺は非常に低いレベルで、そう納得した。
怪しまれないように、とりあえずは歩きながら、俺は考えた。
Aを殺す、場所と手段。
それを考えるためには、どうしてもそれを知らなくてはならない。
なぜなら、公園とコンビニに挟まれたあの通りは大きく、人目があるし、
曲がり角を曲がったこの通りもやはり明るく、いまにも人が通りそうだ。
それに、やっぱ捕まりにくいのは、通り魔的な殺人だろうしな。
観察を続ける間に、俺は殺しの手段をほぼ刺殺に絞っていた。
なぜなら、いままでの観察の成果からは、毒殺や密室トリック(!)はできなさそうだったし、
実際起きた事件を調べるうちに、その方法が一番いいと思ったのだ。
近づいて、グサッ、だ。
片手でナイフの素振りを真似ながら、俺は進んだ。
〈考えるより、行動〉
〈努力とは練習量〉
その二つの考えは、俺の中にかなり染みこんでいた。
本番前に、こうして素振りをすることもきっと糧になる。
俺は真剣だった。
「わかった」
暗がりで、追い越しざまにナイフで殺す。
次の日、そんな計画を打ち明けると、レイはやっぱり冷静に言った。
「どう思う?」
「あなたができると思うなら、できる」
「このまま、きちんと手順を踏めば」
やった!
俺はまたしても喝采をあげた。
物事は一度うまく転がり出せば、ゴールまで一直線に進む。
怖いくらい順調に進む計画に、俺は満足だった。
「解決すべきことはいろいろある」
喜ぶ俺に、レイはほんの少したしなめるように言った。
「えっと、それって・・・・・・」
「例えば、刃物の調達先」
「その処分方法」
「返り血をどうするか」
「ああ・・・・・・」
返り血。
その言葉は少し生々しく、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「それから一番の問題としてだけど」
レイは続けた。
「あなたは自転車に乗ってる相手を、どうやって刺すつもり?」
・・・・・・それは・・・・・・たしかに。
ぐうの音も出ず、俺は黙った。
そうだ。
あいつは自転車に乗ってたんだ。。。
ああああ、どうして俺の考えることって、こんなだめなことばっかりなんだ。。。。
俺の落胆を見取ったように、レイは言った。
「いまは計画の段階」
「誰も最初から完璧にはできない」
「少しずつ、進めればいい」
「違うと思ったら、引き返せばいいだけのこと」
「そうかもしれないけど・・・・・・」
俺は頭をかきむしった。
間違ったら引き返せばいい、そうは言っても、
一度決めたことを変えるのは、嫌だった。
それも、簡単に決めたわけじゃない。
俺が確かな努力の結果、何日もかけて決めたことだ。
しかし、珍しいことに、レイは俺を説得するように言った。
「例え、何かに失敗したとしても、それは同じ」
「それは決してゲームオーバーじゃない」
「あなたは何度でもやり直せる」
「いまから失敗だなんて言うなよ」
俺は顔をしかめた。
「縁起が悪いだろ」
すると、なぜかレイは少しの間、黙り込んだ。
ややあって、レイが口を開いた。
「もう言わない」
「そうしてよ」
なぜ、レイが黙り込んだのか知らず、俺は言った。
「わかってるよ。ちゃんと行動して、観察して、いいやり方を考えるから」
「いってらっしゃい」
いつになく寂しげに、レイが言った。
「行ってきます」
やっぱりなにも感づかずに、俺は夜の散歩に出かけた。
俺の足はいつもより早かった。
なぜなら、俺は焦っていた。
あと一週間もすれば、学校は春休みに入る。
行動パターンが変わらなければそれでいいが、もし変わってしまったら、
決行のチャンスは遠のく。
春休みが過ぎるのを待って、新学期に入ってからまた、調査をし直さなければならない。
それは嫌だった。
俺は一刻でも早く、Aがこの世から消えてなくなることを望んでたんだ。
目的を達成するためには、手段の変更も必要だということは理解していたが、
その方法以外、俺の頭には浮かばなかった。
一時は、Aをどこかに捕らえ、俺の恨みをぶちまけてから殺したい、そんな願望もあったが、
現実的に考えれば、そんな機会も場所もあるはずがない。
もしあったとしても、俺よりでかいAを捕らえるのは難しいだろう。
抵抗されて、逆にやられてお終いだ。
それが俺にできる精一杯だと思った。
けど・・・・・・レイの言ったとおり、Aは自転車に乗っている。
と、そのとき、向かいから自転車に乗ったサラリーマンがやって来るのが見えた。
あれをAに見立ててみよう。
俺はうつむき加減で歩道の端に寄り、
怪しまれないよう、速度をそのままに歩き続けた。
急いでいるのか、スピードはAより早いかもしれない。
すれ違った瞬間、ナイフを突き出す。
実際にやるわけにはいかないから、
俺は最大限に想像力を使ってシミュレーションした。
すれ違った瞬間だ、すれ違った瞬間・・・・・・
あと1メートル。
俺はタイミングを計り、想像の中でナイフを持った手を突き出した。
その瞬間、立ち止まった俺を残して、サラリーマンを乗せた自転車が遠ざかっていく。
俺は唇を噛んで、上着のポケットに入れた右手を握りしめた。
・・・・・・無理だ。
実際より、想像の方が簡単だというのに、
俺の想像のナイフはサラリーマンを捕らえることはできなかった。
それどころか、いろいろ問題が判明する結果となった。
さっきのサラリーマンもそうだったように、
俺という歩行者に気づいた自転車は、それを避けるように大きく車道へはみ出した。
これじゃ、物理的に手が届かない。
それから、自転車は意外と速い。
勝負はほんの一瞬だ。
引きこもりでなまってる上に、元々運動神経がいいとは言えない俺が、
その一瞬に急所を狙えるとは思えない。
それに、それらをしのぐ、根本的な問題があった。
両手でハンドルを持ち、サドルに座った状態の人間の体勢。
少し想像して欲しいんだが、殺すために狙わなきゃならないのは当然腹部や胸部だ。
そうすると、そこはうまく手と足に防御されていて、狙うのが難しいんだ。
特に、Aはスポーツタイプってのかな、身体が前傾するような自転車に乗ってる。
そうすると、さらに防御力はアップする。
俺の突き出したナイフは、太ももか腕をかするだけだろう。
再び、今度はがっくりと歩き出しながら、俺はため息をついた。
これじゃ完全犯罪どころか、Aを殺せもしない。
切りつけられたAはよろめくか、転ぶくらいで・・・・・・。
・・・・・・転ぶ?
俺ははっとひらめいた。
けど、転んで地面に倒れたAなら?
興奮が俺の中に戻ってきた。
Aが転ぶ、地面に這いつくばる、そこを一息にぐさっといける・・・・・・か??
俺はかぶりを振った。
何か完璧に転ばせる方法があったとして、Aが地面に這いつくばったとする。
けど、よっぽど打ち所が悪くない限り、そのまま這いつくばってるとは考えにくい。
Aはすぐに起き上がり、すごい形相をして俺に掴みかかってくるだろう・・・・・・
俺がナイフを刺すより先に。
〈ゲームオーバーね〉
レイの声と共に、勝ち誇ったAの顔が頭に浮かんだ。
引きこもりの同級生にあわや殺されそうになりながらも、
Aは勝利をを勝ち取ったのだ。
正当防衛。そんな堂々とした理由で俺を殺して。
俺はその想像を必死でかき消した。
俺はなんとかこの計画を成功させて、Aを殺さなきゃいけない。
生き残るのは俺で、ゲームオーバーになるのは、Aだ。
それは絶対条件だ。
俺はいつものようにAの後ろ姿を見送り、帰途についた。
Aを転ばせる。
Aを自転車から降ろす。
考える方向はそれで間違ってないような気はしたが、
具体的なこととなるとさっぱりだった。
俺はとりあえず記録をつけると、ふて寝するようにベッドに潜り込んだ。
そんな都合のいいことなど起こらないのが〈現実〉というやつのようだった。
俺は部屋のドアを開けると、いつものように用意されてた飯をほおばった。
ここで、普段なら飯が何だったとか、うまかったとかまずかったとかあるんだが、
その日に限ってはなにも覚えてない。
その原因は、皿の下に挟み込まれていた一枚の紙だった。
それは、朝刊の切り抜き、新聞のコラムだった。
インターネットが健全な発育を阻害するとか、
脳細胞がなんだとか、教育的になんだとか、フィルターが必要だとか、
まあ、そういうやつだ。
もし、それを俺が新聞で読んだとしたら、大人が勝手なこと言ってんな、とか思うくらいで
特に気にも留めないだろう。
ってか、まあそういう場所が救いになってるやつもいるのに、くらいは思うかもだけど。
もちろん、そのどうでもいいようなコラムのせいじゃない。
だって、いいか?
新聞だぞ。
それがわざわざ切り抜かれて、飯の下に置かれて、俺の部屋の前に置かれてたんだ。
誰の仕業か?
もちろん俺の親だ。
『これを読んで、インターネットなんかやるのをやめなさい』
なんだ?親はそう言いたいのか??
お得意の遠回しで、この切り抜き一枚でそう察せってか??
インターネットをやめろだなんて、
大体、この部屋の中で俺が何をしてるのか、あんたらは少しでも知ってるのか??
そりゃ、大声出したりもの壊したりはしなかったけど(親や他人の介入が嫌だから)、
枕に顔押しつけて思い切り叫んで、自分で自分の身体をひっかいたり叩いたりした。
攻撃しやすい太ももなんかは、すぐ青あざとミミズ腫れで血が出たりしたけど、
それでも俺はやめなかった。
悔しくて、悲しくて、情けなくて、
どうして俺はこんな部屋にこもってんだと思った。
どうして引きこもらなきゃなんないんだって思った。
もちろん、直接の原因は俺をいじめたAにあって、
それに正々堂々と打ち勝つ力のなかった自分のせいだったんだけど、
俺はこのとき、一番責められるべきは親だと思った。
俺をちゃんと育てずに、こんな負け犬にした親のせいだと思った。
甘えることが許されると思ってたし、それが許されて当然だと思ってた。
だって、俺はまだ中学生だ。
そりゃ、面と向かってガキだなんて言われたら言い返すかもしんないけど、
何から何まで親にしてもらって当然の子供だ。
飯も、洗濯も、学費も、何かするときのお膳立ても、
全部してもらって当然なんだ。当たり前なんだ。
だから、親は引きこもってる俺に気を遣って当然だ。
いや、むしろ気を遣うべきなんだ。
毎日食事を用意して、部屋の中でも俺が快適なようにはからって、
時には「必要なものはない?」と俺に伺いを立てて、
俺が欲しいものを言ったらすぐにそれを差し出して、
「気づかなくてごめんね」って謝るべきなんだ。
そうだろ?
ほかのやつらも、程度の差はあれ、そうしてもらってるんだろ??
いまの俺ならそう思える。
いや、思えるってよりは、〈現実〉を知ってる。
あのときの俺に、いまの俺はこう思う。
いいか、お前は結構幸せだぞ。
世間には虐待死する子供もいる・・・・・・だなんて極端な例を出さなくても、
お前は十分いい環境にいる。
こんなこと言うと反発するかもしれないが、
「お前は引きこもることができてる」
それだけで、幸せの立派な証明だ。
そりゃ、言うことが遠回しすぎるとか、いろいろ不満はあると思うが、
それはそういう人なんだからしょうがない。
親の性格が、お前に少し合わなかったってだけだ。
それだけで、「最低な親」だなんて烙印を押す必要はない。
そんなことお前は望んでないって言うかもしれないが、
親はお前が引きこもることを許してくれてる。
逃げることを許容してくれてる。
「それは違う」
「だって、親は一生こうしてていいって思ってるわけじゃない」
「早く独立しろとか、学校に行けとか思ってるはず」
「俺は必要ないんだ」
お前はそう言うかもしれない。
でも、まだ来ない何年も先のことを考えてもしょうがないから、
「いま」のことだけを考えてみて欲しい。
親はお前を安全な場所にかくまっている。そうだろ?
そうでなきゃ、お前なんかさっさと家から追い出してるさ。
本当にお前を必要ないとか、そんなふうに思ってるならな。
・・・・・・俺は、そう思ってる。
それだけで、いいか悪いかで言ったら、俺の環境は良かったに違いない。
けど、俺は人知れず暴れまくった。
それこそ、嵐みたいに。
いつもの時間に現れたレイは、まだ苛々していた俺にそう言った。
「親はあなたが心配なのよ」
「違うよ」
「親のことは俺が一番知ってる」
「いつもこうなんだ」
「遠回しに、言いたいこともはっきり言わないで」
「新聞の切り抜きだよ? 信じられる?」
「質問の答えなら、イエスね」
気の乗らない調子でレイは答えた。
「信じられるわ」
「違うよ、そういう意味じゃなくて」
「じゃ、どういう意味なの?」
「それは・・・・・・」
親は俺の奴隷でいろ、なんてリアルじゃ言えなくて、俺は黙った。
すると、レイはそう言った。
「けど、感情との折り合いがつかない」
「だから、怒っているのね」
「違う、そうじゃない」
けど、俺はしつこく言った。
「問題は親が遠回しすぎることなんだ。それがなかったら、俺だって少しは・・・・・・」
「少しは、何?」
「建設的な関係を築ける?」
「・・・・・・そう思う」
「そうかしら」
しかし、レイは素っ気なく言った。
「でも、あなたは?」
「・・・・・・俺?」
「そう」
「あなた」
「あなたはどうやって親に意見を伝えているの?」
「俺が? なんで俺が・・・・・・」
「伝えたいことがない、というのは、なし」
「他人に求めてることを、たまには自分に置き換えてみて」
「それがどんな要求か、よくわかるから」
「それはつまり、親も俺のことを遠回しな人間だと思ってるってこと?」
「はっきり要求を言えばいいのに、って思ってるって??」
「そう」
「違う?」
「そんなことない」
俺はよく考えずに否定した。
「だって、俺はいつも・・・・・・」
あれ?
そこで俺は思った。
○○をして欲しい、だなんてはっきり親に言ったことってあったっけ。
「それが一方的な要求になるという認識さえあれば」
「けど、それもなしに要求が通らないと騒ぐのは間違い」
「他人はあなたの勝手な要求を飲む義理はないのだから」
「でも・・・・・・」
そう言われてもなお、俺は不服だった。
「相手は他人じゃなくて親なんだし・・・・・・」
「親でも人間関係であることに変わりはない」
「多少許容される範囲が広いだけ」
身も蓋もない言い方に、俺は少しむっとした。
俺はふてくされて言った。
「俺も親の要求を呑む義理はないよな」
「だって、親の勝手な要求なんだから」
それはレイに対する皮肉のつもりだった。
親の言うことは絶対だ、そんな考えを俺は持ってたんだと思う。
しかし、俺の皮肉はすっぽ抜けた。
「ええ」
「聞かなくてもいいんじゃない?」
レイはこう答えたのだ。
自分の言い出したことだというのに、俺は焦った。
「だって、親の言うことだぞ? 聞いた方が・・・・・・」
「あなたは本当に言うことがころころ変わるのね」
今度はレイが皮肉を言った。
「親を批判しながら、今度はその言葉を聞くべきだというの?」
「それはだって・・・・・・」
「教えてあげる」
すると、レイはよくわからないことを言った。
「誰かの言葉通りに生きる必要もない」
「・・・・・・という、私の言葉さえ、本当は聞く必要はないの」
「わかる?」
「えっと・・・・・・わからない」
本音だった。
だって、親の言うことは聞くべきだ。
先生や、友達の言うことにも、耳を貸すべきだ。
誰もがそう口を揃えるし、そうでなかったら、実際どうするべきかわからないこともある。
「私は何も、すべて一人でやれと言ってるわけじゃない」
すると、レイは言った。
「あなたは他人の言葉に惑わされる必要はないって言ってるのよ」
「ええ」
レイはうなずいた。
「だって、新聞の切り抜き一つで、あなたはどれだけ消耗した?」
「どれだけの時間を無駄にしたの?」
「それは、惑わされているからでしょう?」
「でも、それは・・・・・・」
「そんなものは無視することよ」
「直接、目を見て罵られたのなら怒るのもわかるけれど」
「新聞の切り抜きは、新聞の切り抜きで、それ以上のものじゃない」
「つまらない憶測で、自分を傷つけるのは無駄」
だから、俺が思ったのは憶測なんかじゃなくて・・・・・・」
「それでも、よ」
レイの言葉は、静かだけれど力強かった。
「他人が何を考えてるかなんて、どうだっていいことなの」
「見えないし、聞こえない」
「馬鹿正直に憶測して傷つくことなんてない」
「あなたは、トゲが刺さると知りながら、目についたイガ栗を全部素手で拾おうとしてるの」
「他の人は、それを避けて歩いているのに」
「あなただけが、自分から拾ったイガ栗のトゲが痛いと嘆いてるのよ」
「そんなもの、拾わなければいいだけなのに」
そんなはずない、俺は反論しようとした。
「俺は、傷つきたくない。そんなこと、絶対に・・・・・・」
「なら、そういう癖がついてるのね」
レイはあっさりと言った。
「トゲは時に甘美だもの」
「自己憐憫にはちょうどいいのよ」
「そんなこと・・・・・・」
ない。
そう思いたかったが、完全には否定できないような気もした。
他人の気持ちに敏感な自分。
そして、敏感なゆえに傷つく自分。
俺はやっぱりそんな自分が好きだったからだ。
そして、それがレイの言う、〈イガ栗を好んで拾いに行く〉ということだろう。
これがイガ栗なら、どうしたら俺はこれを拾わずにいられるんだろうか。
気づかないふりをする?
それとも・・・・・・?
「簡単よ」
「握りつぶして、ゴミ箱に入れるの」
俺は早速その通りにした。
何だか、すっきりした気分になった。
「自分以外のことに、真剣になってくれる人間は稀」
「仮に、それが真剣な助言だったとする」
「それでも、その助言があなたに合うかはわからない」
レイは続けた。
「覚えていて」
「選ぶのはあなた」
「他人は責任を背負わない」
「あなたの行動の責任を取るのは、あなただけ」
「わかった」
俺はうなずいた。
けど、うなずきながらほんの少しその言葉に違和感を覚えた。
それはきっと、俺に助言をくれる立場のレイが、
自分の言葉を信じるな、そう言っているような気がしたからかもしれない。
レイと話しているうちに時間も過ぎていたし、
それも暴れたせいで身体のあちこちが痛かった。
自己憐憫。
レイが見たら、そう言われるだろうなと思いながら、
俺は身体についた傷を眺めた。
皮がめくれたミミズ腫れの跡を、
内出血して血の滲んだ打撲の跡を。
痛くなかったわけじゃない。
けど、その痛みを感じたいと思ったこともきっと事実だった。
もしかしたら、俺はそうして自分を罰したかったのかもしれない。
唐突に、そんな考えが頭に浮かんだ。
親の期待に応えられない自分を、
不登校をして、引きこもりになった自分を。
不登校や引きこもりは俺のせいじゃない。
この傷は、俺自身がつけたものだけど、俺はこんなふうに罰せられるべきじゃない。
「なら、罰を受けるべきは誰なの?」
すると、頭の中のレイが現れ、俺の耳許でささやいた。
「あなたのせいじゃなかったら、これは誰のせいで、誰が責めを負うべきなの?」
俺は傷跡から顔を上げた。
そして、そこにいるはずのない、想像のレイを振り向き、言った。
「それは・・・・・・Aだ」
「そうよね」
その答えを聞いて、頭の中のレイは嬉しそうにわらった。
つられて、俺も口角を上げた。
吐く息に混じって、気持ち悪い笑い声が漏れた。
「Aだ」
俺は小さく声を出してつぶやいた。
そうすると、いままで薄ぼんやりとしていた俺の言葉は、
実体となって現実に姿を現した。
それは俺の手にしっくり収まる、ナイフの形をしているように見えた。
それから、俺が新たな習慣を始めた。
何を始めたのか。聞いたら、みんなきっと驚くだろう。
なんと、俺が始めたのは俺は筋トレだったのだ。
なぜかって言われたら、なぜだろう。
別にレイに勧められたわけじゃないし、遅ればせながらビリーに憧れたわけじゃない。
俺は、俺の意志で筋トレを始めた。
もちろん、最初は腹筋10回くらいなものだったけど、
それも記録をノートにつけて、だんだん回数を増やしていった。
俺はそう思ったのかもしれない。
それとも、運動神経がない分を、せめて筋力でカバーしようとしたのかもしれない。
それはわからないが、いま一つだけ言えることは、
あのときの俺は強くなりたい、そう思っていたんだろうということだ。
・・・・・・いや、少し違うな。
「強くなりたい」だなんて、そんなことはいじめられたときから思ってた。
そのときこそ、俺には強さが必要だったんだから。
だから、強くなりたい。俺はそう「思った」だけじゃなかった。
強くなりたいとそう思って、なおかつそのためにはどうしたらいいか、やっと理解していた。
〈現実を変えるのは行動〉
その言葉を理解したとき、強くなりたい、そう願うだけの俺は消えた。
その瞬間に、俺は「強くなる」準備ができたんだ。
思えば、Aの観察も、筋トレも、
目標のために何かを積み重ねていくという点では同じことだった。
まあ、でも筋トレの方が客観的な成果を実感できるから楽しかったかもしれない。
だって、例えば「部屋を出る」から「家を出る」って行動の間。
俺的には、その間にはものすごい隔たりがあって、越えるのが大変だったわけだけど、
それって、俺以外にはピンとこない話なわけだ。
けど、最初「腹筋10回」がやっとだったのに、「腹筋50回」できるようになったって、
そう言ったら、おおすごいじゃん、ってなるだろ?
やればやるだけやっただけ、目に見える効果がある。
それは俺にとってかなり励みになった。
一日中、寝たりパソコンをしてるより、身体の調子がよくなったんだ。
腹も以前より減るようになって、俺は親のいない間に階下に降り、
自分で飯を食うようになった。
とはいっても、料理なんかしたことないから、
炊飯器の白米に納豆と卵みたいなやつだったけど。
まあ、健康にはよかったかな、とは思ってる。
「新学期を待った方がいいわ」
レイはそう言った。
「そうする」
俺は素直にそう言った。
けど、内心は、春休み中でもチャンスがあったら逃す手はないと思っていた。
これは俺の戦いだ。
一つの答えを出していた。
自転車を転ばせる。
俺の以前の考えは、実は正解に近かった。
俺の計画は、Aが自転車から降りている状態ならば、成立する。
ということはつまり、Aから自転車を奪えばいいのだ。
なぜなら、自転車がなければ、Aが車で送り迎えされることもあり得る。
そんなことになったら、ナイフで刺すどころじゃない。計画自体がおじゃんになる。
それならどうするか。
そこで俺が考えたのは、
塾に止めてある状態のAの自転車を、パンクさせるという手段だった。
そうなったら、こっちのものだ。
俺はそう考えた。
もちろん、Aが家に電話して迎えに来てもらう、という選択肢もあり得る。
けど、その可能性は少ないだろう、俺はそう判断したのだ。
なぜなら、夜道を心配するような家族なら、
そもそも最初からAを自転車で通わせたりしないだろう。
大体、ゆっくり歩いても塾からAの家までは三十分ほどで、
迎えに来るような距離でもない。
それに、どのみちパンクした自転車は持って帰らなければならないのだ。
スポーツタイプの高そうなものだし、放置も考えにくいだろう。
けど、俺はこの方法だけに固執するつもりはなかった。
肉体的にも、精神的にも、俺は強くなっていた。
だからもし、Aが親に迎えを頼むことになっても、それはそれでいい。
俺はそう思っていた。
自転車がパンクするなんてよくあることだ。
Aは特別警戒心も抱かないだろう。
それなら、チャンスはまだいくらでもある。
俺はいつか、そのチャンスをものにできる。
そう考えていたんだ。
計画を伝えると、レイはいつものように冷静にそう聞いた。
「いや、ないよ」
俺は答えた。
「でも、練習するつもり」
当てはある。自分の自転車だ。
もうずっと使ってないから空気が抜けているかもしれないが、
練習くらいにはなるだろう。
「練習?」
レイが言った。
珍しく動揺したような雰囲気に、俺は笑った。
「大丈夫だよ、家の自転車だから」
それから、少し考えて付け足した。
「計画の前に捕まるような真似はしないって」
自転車のパンクでも、何件も続けば警察が調べるかもしれない。
レイはそれを気にしてるんだろう。
「それならいいけど」
レイに冷静さが戻った。
信用されてないな、そう思って俺は頬を膨らました。
そりゃ、レイは頭がいいけど、俺だって考えてるんだぜ、そう思った。
「それからさ」
俺は続けた。
「そろそろナイフを手にいれとこうと思うんだけど」
「どこで買えばいいと思う?」
「ホームセンターとかだと、足がつくかな?」
足がつく。
どうかツッコミは許して欲しい。
ちょっと言ってみたかっただけだ。
レイは即座に否定した。
「夜中にでも買いに行かない限り」
「そうかな? 中学生が包丁買うとか、怪しまれない?」
「親に頼まれた、とか言った方がいいかな」
「何も言わなくても大丈夫だと思う」
「そんなことくらいじゃ、誰も怪しまない」
「それより、時間」
「昼間にあなたは買い物に行けるの?」
「それは・・・・・・」
俺はもったいぶってから言った。
「やるよ。だって、そうしなきゃ、目的は達成できないわけだし」
いままでのあなたじゃないみたいね、
冷ややかながらも、レイなりの褒め言葉を俺は期待した。
しかし、期待とは裏腹に、レイは気落ちしたように言った。
「なんだよ」
期待した分、俺は少し落胆して言い返した。
俺がつまずいていれば、根気よく諭してくるくせに、
いざ俺が快調に進んだら落ち込むなんて、そんなことあるか?
「そりゃ、昼間買い物に行くなんて、簡単じゃないよ。
夜中とは比べものにならないほど他人がいるし、知り合いに会うかもしれないし」
なんでちょっと「頑張ってる俺」を主張してんだ?
そう思いながら、俺は続けた。
「けど、行動しなきゃ。そうだろ?
目的のためには、考えてるだけじゃダメだ。
君がそう教えてくれたんだろ?」
「そうよ」
レイは答えた。
けど、やっぱどこかいつもと違う。
「どうしたんだ? もしかして、なんか調子でも悪r」
そこまで打ち込みかけたとき、画面がばっとスクロールした。
「ごめんなさい」
「今日はこれで落ちる」
「ナイフを手に入れたら教えて」
「それじゃ」
あとに残された俺は、あっけにとられて動かなくなった画面を見つめた。
一体どうしたっていうんだ??
俺、何か悪いこと言ったか??
ログを読み返して考えても、答えは出なかった。
というか、これまで俺がレイに吐いた暴言の数々を思えば、
あれ以上のもんなんか滅多に出るはずがない。
「どうしたんだ? もしかして、なんか調子でも悪」
画面の下には、エンターキーが押されないままの俺の台詞が並んでいる。
もしかして、〈現実〉のレイに本当になにかがあったのか?
俺は久しぶりに心臓が嫌な音を立てるのを聞いた。
それから、俺が自分以外の人間の心配を・・・・・・
つまり、レイの心配なんかしたのは初めてじゃないか?
そう思った。
いつの間にか気にしなくなっていた疑問を、俺は改めて自分に問い直した。
年は?
考えたくないが、性別は?
○○公園に来られるくらいなんだから、、近くに住んでる人なのか??
それから・・・・・・。
俺はいままでは気づかなかったことに、どきりとしながら、思った。
それから、俺と同じ時間帯に寝起きしてるなんて、
レイは一体どんな生活をしてるんだ?
一瞬、頭をよぎったのは、そんな考えだった。
が、俺はすぐにそれを否定した。
だって、レイは俺が外に出るために協力してくれたんだし、
何より、彼女が公園に現れたという〈証拠〉は俺が持っている。
俺は、クリアファイルに大切に仕舞って置いた紙片を取り出した。
〈レイ〉。
彼女があそこに現れた動かぬ証拠だ。
でも、それはどんな生活だろう。
夜勤をしているとか、夜間の学校に通ってるとか・・・・・・??
いや、それもおかしいだろう。
俺は自分の考えを自分で否定した。
だって、夜勤や夜間学校に行く人たちは、昼夜逆転の生活って点では正しい。
けど、その人たちはその夜の時間は、仕事場や学校にいるのだ。
俺の相手をしていられるはずがない。
それはそれで俺の相手をする暇なんかあるはずがない。
夜中に、何時間も、それも知りもしない俺の相手なんか・・・・・・
いやいや、俺を知ってたら尚更、こんな引きこもりの相手なんか嫌だろう。
それにそもそも、こんなに辛抱強く相手にしてくれる人を、俺は知らない。
親にだって腫れ物扱いされてるってのに。
うーん、俺は唸った。
レイの正体。
それはこれまで気にせずにいられたことが不思議なほど、思わぬ難問だった。
チャットの無表情キャラのアイコンを眺めながら、俺は考えた。
いままで、レイが答えてくれなかった質問はない。
だから、もしかしたら答えてくれるかもしれない。
俺はしばらく考えた。
すると、〈考えるより、とにかく行動〉、レイの言葉が浮かんだ。
このまま考えると、また負のスパイラルに入ってしまうことを、
俺はもう嫌と言うほど知っていた。
そして、渦に引き込まれる前に、それを拒絶する術を身につけ始めていた。
口で言うのは簡単だけど、なかなか実行するのは難しいことだ。
考えたい、と思わないこと。
自分の世界にどっぷり浸かりたいという甘美な誘惑を振り切ること。
それは経験したことはないけど、きっと酒や煙草をやめるときと同じだと思う。
誘惑を拒絶する、意志の力が必要なんだ。
もう一度、レイと約束をしよう。
○○公園まで来てくれって、そう頼んでみよう。
そしたら今度こそ、俺は時間通りにそこに行くからって。
・・・・・・そうして現れたのが、脂ぎったオッサンだったら?
それが〈現実〉だ。
それに、こっちだって気持ち悪い引きこもりなんだからどっこいどっこいだろ?
だなんて、本当にそう思えたわけじゃないけど、
でも、とりあえず俺はそれでレイの正体に決着をつけた。
その瞬間が来るまでは、レイには儚げな超絶美少女でいてもらうことにして。
一息つくと、俺はノートの新しいページを開いた。
計画はいよいよ大詰めを迎えていた。
完全犯罪には、少しのほころびも許されないし、本番は一度きりだ。
こればっかりは練習するってわけにもいかないから、
頭の中でイメージトレーニングを積むしかない。
それに、準備する品物のリストアップ。
ホームセンターにナイフを買いに行くのなら、
他のものもいっぺんに揃えておきたい。
俺は丁寧にノートにそう書き込んだ。
少し考えてから、括弧付きで
(できるだけ先の尖ったもの)
そう付け足す。
それから、千枚通し。
これは未だ実験はしていないが、タイヤをパンクさせるための道具だ。
ネットで調べたら、釘でパンクするというから、
千枚通しも似たようなもんだろうと思った。
・・・・・・ちなみに、俺はその当時「千枚通し」という言葉を知らず、
ノートには「たこ焼きをひっくり返す針」と、書かれている。
針って。
そう書いてから、俺は後ろに「?」を付けた。
返り血対策にいいと思ったのだが、
晴れた日のレインコートは、いくら暗闇でもちょっと不審すぎるだろうと思ったのだ。
透明の・・・・・・そう書き足してから、やっぱりぐちゃぐちゃと消してある。
そうだよな、透明のレインコートでも、本当にの意味での透明」じゃないもんな。
・・・・・・と、そこまで考えて、俺は首をひねった。
そんなに返り血って飛ぶもんなんだろうか。
パソコンで調べてみたが、そんな物騒な体験談が載ってるわけでもなく、
俺はノートに「「返り血」と書いて、そこに大きく丸を付けた。
これはあとで調べるか、レイに聞いてみよう。
これもノートに書いてから、「?」を付けた。
手袋なんてものを思いついたのは、
テレビでも漫画でも、「凶器の指紋」とか「指紋が出た」とか聞くからで、
その「指紋」を残さないためには、手袋が必要だと思ったのだ。
けど、これもどうだろう。
警察の科学捜査の知識なんかゼロの俺は顔をしかめた。
俺はAに刺したナイフをそのままにするつもりはなかった。
だから、指紋のことは考えなくてもいいんじゃないかと思ったのだ。
けど、もしものことがあったら困るから、しておくに越したことはないか・・・・・・。
俺は「手袋」に付けた「?」を消した。
それから、もう少し考えて、「黒くてすべらない」と付け足した。
いまなら呆れるようなこのリストを、大まじめに考えて、丁寧にノートに書き付けたのだ。
それは、目標が目標だから、あまり褒められたもんじゃないことは確かだ。
でも、このリストを見るたび、俺はあのころを思い出す。
そして、少し懐かしいような、微笑ましいような、
それでいて、息苦しくて胸が締め付けられるような、そんな気持ちになる。
これは、俺の過去の姿そのものだった。
それもとんでもなくリアルで、ありのままの。
ここには、まだ、あのときの俺がいる。
14歳の少年の、あまりに純粋な闇がここに息づいている。
俺はそれを感じて、どうしようもなく胸が締め付けられるんだ。
俺は自分では前向きに進んでいるつもりでいながら、
その肝心の未来のことなんて、これっぽっちも考えていなかったんだ。
Aを殺す、という目標の後も続くだろう、自分の未来のことを。
俺の思考は、Aの殺害で止まっていた。
そして、その先は真っ白だった。
Aを殺して、それで自分が逮捕されなければ、それでいいんだと思い込んでいた。
物語のように、映画のように、
画面に現れたエンドマークが、すべてを丸く収めてくれるんだと思ってた。
けど、それは違うんだって、
〈現実〉ではそんなことがあり得ないんだってことが、いまならわかる。
そして、それこそが、レイが本当に言いたかったことなんだってことも。
だから、俺が考えるべきは、目標の先のことだった。
あのときはまだ白いままの、俺の未来のことだったんだ。
俺は考え得る限りの品物をノートに記した。
それから、時間が来るとノートを閉じ、Aの観察に出かけた。
足音を忍ばせて、親の寝室の前を通り過ぎながら、
俺はあと何回、こうして出かけることになるんだろう、そう思った。
筋トレ分、飯の量は増えている。
炊飯器の米がなくなってるんだから、親も俺の変化に気づいてないことはないだろう。
この夜の外出も、気づかれるのは時間の問題かもしれない。
俺は初めて危機感を覚えた。
もし、外出に気づかれたそのあとに、A殺害のニュースが流れたら??
そうしたら、親は俺を疑うだろうか?
疑って・・・・・・どうする?
警察に洗いざらいしゃべるだろうか??
だめだ、考えるな!
俺はすんでのところで、その凶悪な指先から逃れた。
考えるな。何も、考えるな。
そう言い聞かせながら、窓を開けた。
いつもよりも慎重に、静寂の底を這うように。
けど、俺の心持ち一つで、それは何か恐ろしいものを秘めているように見えた。
『こんな夜中にどこへ行くんだ』
すぐ先の角から親が出てきて、俺を止めるんじゃないか、
警察に声をかけられるんじゃないか、
まさか、俺の魂胆を知ったAがナイフを構えてるんじゃないか。
挙動不審に陥った俺は、
いまでは完璧に見切っていたはずの人感センサーに片足を引っかけた。
ぱっと明るい光が、闇から俺を洗い出した。
通りがかりの人がいたというだけだ。
何もやばいことなんてないだろう。
だというのに、俺は思わず小走りになった。
何かに追いかけられるように足は止まらなくなり、そのまま公園まで俺は走った。
日々の筋トレのせいだろうか。
レイと約束をしたあの日、便所サンダルで走った道を、
俺はあのときとは比べものにならないほど軽々と走り抜けた。
けど、その成果を嬉しく思えるような精神状態にはなかった。
怖い。
怖い。
怖い。
何をそう感じるのかわからないまま、俺は走り続けた。
だから、俺は塾の前の通りを歩き、Aの自転車の位置を確認しておこう、
そう思っていたはずだった。
けど、なぜか俺はそうしなかった。
俺は、観察するうちに判明したAの帰路を一通り歩き、
それから引き返して、殺害予定場所に佇んだ。
そこは街灯の切れ間にできた暗がりで、
俺が潜むのにおあつらえ向きなゴミ捨て場から少し進んだ場所だった。
周囲の家は高い壁で囲まれていて、人目も気にならない。
ここで、Aが倒れる。
そのときの想像をし、俺は黒い道路を見下ろした。
俺のナイフが、Aの腹に刺さっている。
Aは仰向けに倒れ、瞳孔の開いた目で俺を見上げている。
お前か? お前に俺は殺されたのか?
そんな、驚いたような表情で。
ぽかんとバカみたいに口を開けて。
ぬるい春風だ。
だから、寒かったわけじゃなかった。
けど、風に追いやられるように、俺は踵を返した。
角を曲がり、犯行予定地が完全に見えなくなるそのときまで、
死んだAが俺の背中をじっと見ているような、そんな気がした。
そして、いつもなら始める筋トレをすっ飛ばしてベッドに潜り込んだ。
明日の昼間、ナイフを買いに出かける。
俺はそれをまるで与えられた任務のように頭にたたき込むと、目を閉じた。
それから思いついて、埃を被った目覚まし時計に手を伸ばした。
いつかの誕生日に、親にもらったロボット型の目覚ましだ。
「オハヨウゴザイマス、地球ハ朝デスヨ」
電子音代わりに、そんな音声の入ったものだ。
不登校になる前は、ずっと使っていた。
親がくれた他の誕生日プレゼントなんて、
何をもらったか、それをどこにやったのか、なんてあまり覚えてもいないが、
これだけは好きで使い続けていた。
だって、
「オハヨウゴザイマス、地球ハ朝デスヨ」
なんて、なんか夢がないか?
そんなわけあるはずないけど、
このロボットは宇宙と交信ができて、いろんな星々に朝を伝えてるんだ、
俺はそんな想像を膨らませていた。
火星の真っ赤な朝や、木星の煙った朝、
それから、太陽からずっと離れた星の、誰も知らない星の朝・・・・・・
ロボットはそれを俺に教えてくれる。
今日も始まる地球の朝。
輝きに満ちた新しい朝。
目覚ましを午後二時に設定しながら、俺は思った。
俺の朝はいつから来なくなってしまったんだろう。
再び目を閉じ、俺は強く思った。
Aを殺して、俺は自由になる。
そして・・・・・・俺の朝を取り戻す。
そのためにはナイフを買いに行かなくてはならない。
できるだけ早く、誰にも気づかれないうちに、事を済ませてしまわなければならない。
Aを殺さなければならない。
Aを殺す、Aを殺す、Aを殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す・・・・・・
つぶやきながら落ちた眠りは浅かった。
けど、それは逆に良かったのかもしれない。
こんなふうに高ぶった神経のままでなきゃ、俺は任務を成功させる自信がなかったから。
「オハヨウゴザイマス、地球ハ朝デスヨ」
「オハヨウゴザイマス、地球ハ朝・・・・・・」
ロボットが三回目の台詞を言い終わる前に、俺は頭のボタンに触れ、目覚ましを止めた。
「火星ハ夜ノ三時デス」
止まったときの音声に、俺は思わずふふっと笑った。
久しぶりに聞いたからってのも、もちろんあったが、
火星が夜の三時って何なんだよ、と思った。
まあ、それを言ったら「地球の朝」って何なんだよ、ってことだけど。
体中の神経がびりびりと敏感になっているような気がした。
窓の外には、夜には聞こえないさまざまな音が、当たり前のように充満している。
昼間の光に照らし出された町が、ざわざわとうごめいている。
他人だ。
俺はみぞおちがすうっと冷たくなるのを感じた。
この窓の外では、他人が笑って、話して、歩いて、車に乗って、仕事をして、
まるで働きアリみたいに、忙しく動き続けている。
俺が眠っている間に、
俺を置いてきぼりにして。
それから、そろそろと立ち上がった。
窓の外にいるあいつらに気づかれないように、
俺の気配を誰も感じられないように。
こんなことで、今日、買い物に出かけられるんだろうか。
不安が頭をよぎった。
俺は自分を叱咤すると、錆びて固まったような身体を無理矢理動かし、着替えた。
昼だと、いつものマリナーズ帽は目立つかとも思ったが、
帽子を外すことはどうしてもできなかった。
俺は肩掛けバックに財布を入れると、自転車の鍵を引き出しから探し出した。
近くではなく、少し遠いほうのホームセンターに行こうと決めていたからだ。
こう書き出してみると、俺は冷静で落ち着いているように見えるかもしれない。
実際、俺も何となく上の空ながらも「意外と冷静」だなーなんて思ってた。
いざ出かけようとして、
いつものように廊下に置かれた飯を蹴り飛ばすまでは。
どうやら、完全に地に足がついてないな。
俺は少し反省した。
幸い汁気のあるものはなかったから、
とりあえず部屋の中に飯を入れて、階下に向かった。
やばいやばい。
今日は玄関から出ないと・・・・・・。
俺は一度深呼吸をして、何とか気持ちを落ち着かせた。
靴を履き、魚眼レンズから外を覗いた。
誰もいないことを確認する、玄関に手をかける、もう一度確認する、
そんな何回か繰り返してから、やっとドアを開いた。
その瞬間、車が通った。
冷や汗が滴るのを、帽子のつばを下げて隠し、
家の横から自転車を引きずり出した。
そして、逃げるようにそれに飛び乗った。
俺はできるだけ顔を上げずに足を動かした。
誰も俺に声をかけないでくれ。
誰も俺に声をかけないでくれ。。。
その願いが通じたのか、俺は無事に危険区域(近所)を抜けた。
よかった・・・・・・
最初の難関をくぐり抜け、ほっとした俺の目に、
そのときピンク色の花びらが映った。
俺は思わず顔を上げた。
桜だ。
ちらほらと咲いた桜並木の中を、
人目を気にしながらも、俺は自転車を少しゆっくりと走らせた。
こんな俺にも、桜って花は何となく特別で、
見ていると心が洗われるような、前向きになれるような、そんな気持ちになるものだった。
ああ、もう春なんだなあ。
いっとき、Aを殺すことを忘れ、
俺は張り詰めていた心を緩ませた。
前から歩いてきたおばさんに、
すぐに目を伏せざるを得なくなったけど。
やっぱり、>>1は作家志望とかなの?
なぜ、いまこれを書いているかってのは、ラストにちゃんと書くつもりだ。
俺は明らかに挙動不審な仕草で、おばさんから顔をそらした。
・・・・・・と、その一瞬、ちらっと見えたおばさんの様子に少しギョッとした。
それから、そうか、と思いついて慎重にあたりを見渡した。
バス停のベンチに座ったおじいさん、コンビニから出てきたおじさん、
道の向こうを集団で歩いているどっかの女子中学生・・・・・・
みんながみんな、というわけじゃないが、
結構な人たちが、マスクで顔半分を覆い隠している。
花粉症だ!
俺はとっさに自転車から降りると、コンビニでマスクを買った。
一応、疑われないようにと思ってニセのくしゃみをしたが、
それはどうやら必要なかった。
・・・・・・俺はマスクを装備した!
・・・・・・他人の視線によるダメージが半減されるようになった!!
そりゃ、花粉症じゃないから言えることだとはわかってるが、
こんなに春という季節に感謝したことはなかった。
マスクをする。
たったこれだけで、こんなにも他人の目が気にならなくなるなんて。
俺はこのマスクが一生顔から外れなくったって構わないとさえ思った。
(飯のことを思いついて、あとで訂正した)
そんな話をよく聞くが、それはテンションが上がった状態でも同じらしい。
無事ホームセンターに着いた俺を待っていたのは、
さらにテンションの上がる発見だった。
それは入り口の「本日ポイント5倍サービス!」コーナーにずらりと並んだ、
市町村指定のゴミ袋だった。
・・・・・・もし、洋服に返り血がついても、これで捨てちまえばいいんじゃないか?
俺はとりあえず、ゴミ袋を手に取った。
犯行現場予定近くのゴミ捨て場に捨てるわけにはいかないけど、
もう少し遠いところなら?
事件が発覚して、警察が捜査し出す頃には、
物証は回収されて燃やされちまうってわけだ。
都会のように中を検めてどうのこうのって話も聞かない。
凶器の包丁も、もしかして洋服に包んでしまえば、
そのまま回収されて処理場行きだろう。
たぶん。
俺のテンションはさらに上がった。
その勢いで、俺はリストアップされた品物を次々にカゴに入れた。
それから、一番安い野球帽と、黒っぽい作業着の上下。
野球帽を買ったのは、せっかくのマリナーズ帽を汚したくなかったからで、
そう考えると、洋服も使い捨てが良いだろうと思い、購入した。
そうなると、靴も必要だろう。
けど、予算がどうかな・・・・・・??
そう思いながら靴売り場を覗くと、意外と二束三文の値段で売っていた。
すげえな、ホームセンター。
気をよくした俺は、最後の品物を買いに向かった。
包丁だ。
目移りしそうなほど並んだ包丁を見て、俺はひとまず感心した。
ステンレスから鋼、白いセラミック。
四角いのから、幅の細いの。
種類も様々なら、値段も様々だ。
一万円以上の値札が付けられた包丁を見て、
俺は目を丸くした。
よく切れるのかもしれないけど、これはさすがに買えないな・・・・・・。
すると、なんだかんだで3000円はいっていた。
財布の中身は・・・・・・俺は分かり切ってることを確認する。
使わなかったお年玉や、臨時の小遣い、
そんないままでの分を全部合わせた、計6000円だ。
残りを全額つぎ込むとして、買えるやつはアレとアレとアレと・・・・・・
とりあえず候補は出したが、なかなかどれを買うか決まらない。
包丁売り場で悩んでたら疑われる。
そう思った俺は、隣のまな板を手にとった。
そして誰もいない通路で、「俺が欲しいのはまな板です」アピールをしながら悩んだ。
そうすれば、どれが目的にふさわしいか、わかるような気がしたからだ。
けど、包丁はどれも箱に収められている。
・・・・・・よし、これでいいだろう。
俺は悩み抜いた末、一本を選んだ。
それは背が黒い色をした、比較的細身の包丁だった。
先がすっと尖っていて、よく刺さりそうだ。
そんな物騒なものが入ったカゴを持ち、俺はレジに並んだ。
レジには、二、三人の買い物客が並んでいた。
俺が並ぶと、すぐそのあとにももう一人が並んだ。
タンスが丸ごとカビたんだろうか。
箱形のでかい除湿剤を山ほどカゴに入れた、おばさんだ。
おばさんは、俺のカゴの中をちらっと見た。
『あら? あなた、誰かを殺すつもりね??』
だなんて、もちろん言われなかったけれど、
俺はいまにもそう言われそうで冷や汗が止まらなかった。
俺がその用途を知っているからだろう。
カゴの中身は殺人道具にしか見えなかった。
俺はレジの順番が来る間中、これが殺人道具じゃないという言い訳を考えることに費やした。
あ、フナとかじゃなくて、少し大きめの・・・・・・サバ? そう、サバとかで、
それで汚れない服装と、すべらない手袋と、ゴミ袋と、包丁が必要で・・・・・・
・・・・・・という言い訳は、さすがに苦しいだろうか。
というか、全然殺人の方向から離れてないし。
いや、それなら調理実習のほうが・・・・・でもそれならエプロンだろうな?!
いい加減、考えが煮詰まったころ、極めて順当に俺の番が来た。
ピッ、ピッ、ピッ・・・・・・
「5760円になります」
レジのおばちゃんは、俺には一瞥もくれず、品物をレジ袋に詰めた。
俺は黙って、6000円をレジに置いた。
レイに言われた言葉を、俺はぐっと飲み込んだ。
「240円のおつりになります」
「どーもありがとうございましたー」
俺の気も知らず、おばちゃんはさっさと釣りを押しつけると、
大量の除湿剤をレジに通し始めた。
俺は受けた衝撃から回復しないまま、出口へ向かった。
それは、俺の〈自意識過剰〉が簡単にいなされた衝撃であり、
それから、殺人道具一式がこんなに簡単に手に入ってしまったことへの衝撃でもあった。
そうは言っても、これじゃ簡単すぎる。
俺は出かける前の俺に聞かせてやりたいくらいの、
贅沢なつぶやきを口にした。
計画が順調なのは良いことだ。
けど、順調すぎても怖くなるのが、人間の心理だ。
そうだろ?
俺は自転車に飛び乗ると、桜並木の中、力一杯足を動かした。
この正体のわからない焦燥感を、そうすることで紛らわそうとした。
帰ろう。
家に帰るんだ。
春の陽気に汗ばみながら、俺はそれだけを一心に思った。
家に帰って、パソコンをつける。
そしたら、そこにレイがいる。
そして、俺に答えをくれる。
いつものように簡潔に、いつものように少し素っ気なく。
ひらひら、ちらちらとうるさく散り続ける。
それを蹴散らすように、俺は家へ急いだ。
なぜだか、少しでも早くレイと話さなくちゃいけない、そんな気がした。
「ナイフ買ってきた」
「他のものも」
まだレイが現れる時間じゃないことは知っていた。
けど、部屋に戻ると、俺はそう画面に打ち込んだ。
「チャンスがあったら、今日にでも計画を実行したいと思ってる」
「ってういか、する」
「それで、話があるんだけど・・・・・・」
俺は並んだ文字を読み返すように確認してから、続けた。
「この計画が成功したら、」
「俺が捕まらなかったら、」
「レイに会いたい」
震える指で、俺はエンターキーを押した。
画面に、俺の書いたままの文が表示された。
それを読み返し、俺は、なんかプロポーズみたいだ、、、、と勝手にどきどきした。
付き合うどころか、なくせに。。。
「前と同じ時間と場所でいい?」
「君の都合に合わせるよ」
一気に書ききって、俺はベッドに倒れ込んだ。
照れ隠しもあるが、早起きをして、買い物をこなして、本当に眠かったのもあった。
俺は眠いという欲求のままに目を閉じた。
そのまま、ひとときの眠りに落ちた。
時計の針は、まだ夜の九時過ぎを指していた。
今日、計画を実行するにしろ、日付が変わる前に家を出れば間に合う。
俺は思いきり伸びをして起き上がった。
それから、部屋のドアの方を見た。
さっきの物音は、飯が廊下に置かれた音だろう。
人の気配がないことを確かめてドアを開ける。
すると、そこにはまだ温かい生姜焼きが置かれていた。
皿を覆ったラップが、湯気で曇っている。
考えてみたら、今日はまだ何も食べてない。
昼にひっくり返したサンドイッチを振り返ってから、
俺はとりあえず生姜焼きのラップを外した。
それからお盆ごとパソコンの前に移動させると、白飯と共にかっ込んだ。
うまい。
思わず夢中で食べ進むうちに、俺は画面に新しい文章が増えているのに気づいた。
レイだ。
反射的に俺はそう思った。
同時に、俺の顔は嬉しさでほころんだ。
だから、というべきか、そこに書かれた言葉の意味を理解したのはその後だった。
俺は笑ったような顔のまま、画面の前で固まった。
「計画は中止して」
何度読み返してみても、そこにはこう書いてあったのだ。
どういうことだ?
レイは何を言ってるんだ??
俺は大量のはてなマークに埋もれた。
そうしながら、急激に不安に襲われた。
レイがこんなことを言うなんて、よっぽどのことが起きたに違いない。
殺人道具一式を買い込んだ俺が出て行くのを見計らって、
あのレジのおばちゃんがこっそりと警察に電話をする・・・・・・
・・・・・・そんな想像が俺の頭に浮かんだ。
今日はリアルタイムで更新されてる!!!
保守
ありがとう。でも書くの早くないです・・・・・
自分でした想像を打ち払うように、俺は首を振った。
俺はまだ道具を手に入れただけだ。
何も事件は起こしていない。
たしか、警察は事件が起こらないと動けないんじゃなかったか?
それとも、計画だけで逮捕するなんて、そんなことができるんだろうか・・・・・・!
「どうして????」
「何かあった?????」
俺は急いで打ち込んだ。
「レイ??????」
「大丈夫?????」
不安のまま、俺は呼びかけた。
レイがいなくなったらどうしよう、よくわからないがそんなことを考えていた。
「どうかしてるのは、あなた」
するするっと画面がスクロールし、レイが言った。
「よかった・・・・・・」
リアルでも、文字でもつぶやいて、俺はため息をついた。
レイはいた。
いつものように、ここにいてくれた。
でも、それなら・・・・・・と、俺は首をかしげた。
計画中止ってなんのことだ?
ここまでやり遂げて、あと一歩ってときに、どうして中止しなくちゃいけないんだ?
俺は聞いた。
「道具は揃えたし」
「千枚通しで、自転車もパンクしたし」
「あとは、チャンスをうかがうだけだから、大丈夫だよ」
実験結果もあわせて報告する。
「パンクってなんかすごい音がするかと思ったんだけど、そうでもないんだな」
これなら、誰にも気づかれることがない。
俺は自信を深めていた。
〈行動の記録が努力の証〉
俺はレイの言葉を忠実に守ってきた。
そして、その結果、計画もここまでこぎ着けた。
確かに最初の変化は、この部屋から一歩出た、それだけのことだったかもしれない。
けどその一歩は、振り返ると、いまやこんなに遠くまで、
想像すらできなかったところまで、俺を押し進めてくれた。
俺は自分が誇らしかった。
いや、これは堂々と誇るべきだろう。
何もできなかった俺が、周囲に当てつけるためだけに自殺しようとしていた俺が、
Aの殺害を計画し、あと一歩というところまで進めたのだから。
「何が大丈夫なの?」
だというのに、レイは冷たく言った。
「え?」
俺は思わず聞き返した。
それは、何かが壊れてしまうような、そんな予感に似ていた。
得体の知れない予感に怯えながら、俺はそう返した。
はっきり言って、レイが何を言ってるのかよくわからなかった。
何か計画に大きな穴があるのか?
俺は本気でそう考えた。
このまま実行すると、俺が捕まってしまうような、そんな穴が。
大急ぎで俺は打ち込んだ。
「俺は完璧だと思ってたけど、何かやばいとこがある?
あ、返り血のついた服をどうするか、だけど、
指定のゴミ袋を買ってきたから、凶器をくるんで捨てちゃおうと思ってるんだ。
もしかして、それってやばいかな??」
普段なら、俺がこれくらいの分量を書くころには、
レイはこの倍のレスをくれているのだが、
今日に限って、それがない。
「どうしたの? 調子が悪いの?」
この前、打ち込めなかった台詞を、俺は打ち込んだ。
「大丈夫??」
しばらく待つと、やっとレイの返事が返ってきた。
「なんだ、心配したよ」
俺はほっとしてそう返した。
それから、中断したままだった飯に手を伸ばした。
あ、そうか、レイも食事中なのかもしれないな。
呑気にそんなことを考える。
そのときだった。
「もう一度言うわ」
「私は大丈夫」
「どうかしてるのは、あなた」
箸を持った手が、宙で止まった。
もう一度、同じ台詞が画面に現れた。
そのまま、再びレイは黙った。
どうかしてるのは、・・・・・・俺?
のぼっていた蜘蛛の糸が、ぷつり、どこかで切れたような音がした。
なんだ? どういう意味だ? なぜレイはそんなことを言う?
糸はまだ完全には切れていない。
そこにしがみついたまま、俺は自問した。
あと少しで、お釈迦様の待つ天上だ。
そこに咲き乱れているという蓮の香りが漂い、
目にはその美しい風景が映ろうとしている。
だというのに。
なぜだ。
糸にしがみつく俺の中に、小さな空虚が生まれた。
それはじわじわと身体の内部を侵食し、俺を虚ろにしようとした。
俺はやっとそう打ち込んだ。
「わからない?」
今度はすぐに文字が現れた。
「わからない」
俺は答えた。
「全然わからない」
「どうして計画を中止しなきゃならない?」
「理由を教えてくれ」
ありったけの力を込めて打ち込んだ。
しばらく待つと、文字が現れた。
俺はその言葉が信じられず、何度もそれを読み返した。
言えない?
言えない、だって?
あの、レイが?
あの、何でも淡々と言葉にしてしまうレイが??
俺は急いで打ち込んだ。
俺は混乱していた。慌てていた。
だって、わけがわからない。
これまで積み上げてきた計画を中止しろ、だなんて。
そう言いながら、中止の理由も説明できないなんて。
「もしかして、俺のことが信用できない?」
わけがわからないまま、俺はそう聞いた。
「いざとなったらできないんじゃないかって、そう疑ってるの?」
「信じてる」
「信じてるからこそ、言ってるの」
レイは言った。
それから、彼女らしくもなく、言葉を翻した。
「いいえ」
「そうじゃなくて」
「あなたは間違ってる」
「だから、やめて欲しいの」
「間違ってる?」
計画を根本的に否定され、俺はさらに混乱した。
間違ってるってどういうことだよ?
そもそも、Aを殺せって言ったのは、ほかならぬレイだろ??
俺は懸命にキーボードを叩いた。
このときばかりは、レイが画面の向こうにいることがうっとうしくて仕方がなかった。
だって口で言った方が遙かに早くて楽なことも、
キーボードじゃもたついて、うまく伝わらない。
「俺の命と、Aの命、どっちが消えるのが正しいかって、君は初め、そう言っただろ」
〈あなたには生きる価値がある〉
レイはそう言ってくれた。
その言葉を土台に、俺はここまで立ち上がれたんだ。
いまさら、その土台が崩れ落ちるなんて、想像もしたくない。
レイはそう認めた。
けど、それはあんまりにも彼女らしくない、弱々しい言葉だった。
「けど、それはそういうつもりで言ったんじゃないの」
「そういうつもりじゃない?」
それはあまりに理不尽で無責任な台詞だった。
現実なら、俺は叫んでいただろう、そんな勢いで俺はキーを叩いた。
「じゃ、どういうつもりだったっていうんだよ!!!!」
茶色い色をした汁がそこらに飛び散った。
「なんなんだよ!!!」
俺は思わずリアルに叫び、パソコンをティッシュで乱暴に拭いた。
腕や足についた汁も拭った。
その延長で床も拭って・・・・・・同じく汁に染まった紙切れに目を止めた。
それはまたしても、新聞記事の切り抜きだった。
親がわざわざ切り抜いて、当てつけのように皿の下にでも置いたんだろう。
苛立っていた俺は八つ当たりをするように、それをぐちゃぐちゃに丸めかけて・・・・・・
・・・・・・ふと、その手を止め、シワになったそれを伸ばした。
切り抜きに並んだ小見出し。
その文字が俺を引きつけたのだ。
「私が求めていたのは、あなたの〈答え〉」
「あなたがこれからどう在りたいのか」
「私はそう聞いたはず」
画面の中のレイが、俺に語りかけていた。
俺はぐちゃぐちゃになった切り抜きを、しばし惚けたように見つめ、
それから、ゆっくりとキーを叩いた。
「俺はAを殺したい。それが〈答え〉だ」
いろいろな感情が渦を巻き、本当は自分が何を考えているのか、
あまりよくわかっていなかった。
「Aを殺す。もう決めたんだ」
「あなたはまだ〈答え〉を出していない」
レイの答えは、いままでと同じくらい早かった。
けれど、その無感情な台詞は、いままでにないくらいの悲壮感をまとっていた。
「あなたはその憎しみを糧に外へ出た。出ることができた。
努力をした。計画を立て、目標に進むことを知った。
素直に現実を見て、行動を積み重ねた。
あなたはもう――」
「もう、何だよ?」
たたきつけるように俺はエンターキーを押した。
レイの言葉が、俺の言葉でぶつ切りになった。
それでも、レイは続けた。
振り絞るように、声を上げた。
幸せな門出の言葉として、笑顔で言いあうべきものだった。
もしも、場面が違ったら。
俺とレイが、言い争いにならなかったら。
きっと、そうなっていただろう。
けど、現実はそうならなかった。
だから。
その言葉を口にしたレイは、まるで涙でしおれた花だった。
「あなたはもう、一人で立ち上がることができたのよ」
「おめでとう」
「あとは〈答え〉を見つけるだけ」
「あなたの〈生きる目的〉を」
レイの冷たい涙の雨が直接心に入り込んだかのように、
すうっと胸が冷たくなった。
「俺が、もう一人で立ち上があることができた?」
「何言ってんだよ、俺はまだあいつを殺してない」
「あいつを殺さなきゃ、俺は立ち上がることなんかできない!」
「俺の命か、あいつの命か。どっちかをこの世から消さなきゃならないんだ!」
そうなのに。
絶対にそうしなきゃならないのに。
どうして、どうしてなんだ。
どうしてレイはそんなことを言うんだ。
あなたも、それに気づいているはず。
あなたはあなたの人生を生きて――」
「違う。Aを殺さないと、俺は生きていられないんだ!
Aを殺す、Aを殺すために俺は!」
「違うわ!」
レイが叫んだ。
初めてのことだった。
「違う」
気圧された俺の隙を突いて、レイは続けた。
「計画は、あなたが立ち上がるために必要だっただけ。
弱ってしまった身体で立ち上がるために、必要な杖であっただけ。
「でも、足元を見て。
あなたはもう杖なしで立ってる。
もうそれは必要ないものなのよ!」
俺は思いきり叫んだ。
「この計画はそんなもんじゃない!
俺はAを殺したいんだ。
あいつを殺すためだけに、いままで努力してきたんだ!」
「これは杖なんかじゃない!
俺が生きるために必要な手順なんだ!!!」
レイはまたしても叫んだ。
もはやいつものレイはどこへ行ってしまったのか、俺にはわからなかった。
「じゃあ、聞くけど、あなたがAを殺したとする。
あなたの世界には、いっとき平和が戻る。
けど、そのあとは?」
「そのあと?」
「そうよ」
レイは少し落ち着きを取り戻したようだった。
「世界はいつまでも平和じゃない。
必ず、あなたはまた誰かと衝突することになる。
二度とあなたがいじめられない保証もない。
そのときは?」
「第二、第三のAが出てきたとき、あなたはどうするの?
そのたびにあなたは〈必要な手続き〉としてその人たちを殺すの?」
「あなたが歩く後に、屍を積み重ねていくの?」
レイの言葉を、俺は撥ねつけた。
「そのときはそのときだよ!
殺すかもしれないし、殺さないかもしれない。
そんなの、誰にだってわかんないだろ!!!」
叫びながら、何か空恐ろしいことを言っている気がした。
けど、そんなことはどうでもよかった。
俺は一度深呼吸をした。
俺が一人で立ち上がったんだとか、計画が俺にとっての杖だったんだとか、
レイの祝福に聞こえない祝福の言葉だって、その全部がどうでもいい。
それより大事なことを、いま、俺は確かめなきゃいけない。
俺は汚れた切り抜きを横目で見た。
「それよりさ」
「建前はいいから、本音を言えよ」
「レイ」
レイは戸惑ったように、けれど慎重に聞き返した。
当然だろう、そう俺は思った。
ここは戸惑ったふりをするべきだ。
なぜなら、レイの考えなら、俺は何にも気づかないはずだからだ。
何も気づかず、おめでとう、レイの祝福をありがたがって受け取るはずだからだ。
けど、そうはいかない。
レイへの尊敬を無理矢理憎しみに変換しながら、俺はキーを叩いた。
そうしながら、心ではまったく逆のことを思っていた。
俺の味方だと、俺を手伝いたいんだと、レイはそう言ってくれたはずなのに。
裏の意味を読む必要のない、真っ直ぐな言葉をくれたはずなのに。
どうしてなんだ、どうしてレイはいまになって嘘をつくんだ。
「本当に思ってること」
「いまさら隠さないでくれ」
「俺は全部知ってるんだから」
「知ってるって・・・・・何を?」
レイはやはりわからないふりをする。
しらを切り通すレイに絶望さえ感じながら、俺は切り抜きを見た。
相も変わらず、インターネットが青少年に与える影響を論じるその記事。
その記事には、こんな小見出しが踊っていた。
「続・インターネットの闇――絶えぬ少年への誘惑 殺人教唆で逮捕者も」
殺人教唆。
殺人をそそのかすことへの罪。
少年へ、殺人をそそのかすことへの・・・・・・
俺はできるだけ感情を抑えて言った。
「もし俺が失敗して、警察に捕まったら。
俺がしゃべらなくても、パソコンの履歴からレイの名前が出る。
あの〈証拠〉だってある。
だから・・・・・・君は怖くなったんだ」
レイを責める言葉は、俺自身を切り裂くような気がした。
それはまだ俺がレイを信じている証拠だった。
信じたいと思ってる証拠だった。
けど、それはもう無理だった。
無理だと思った。
だって、そのレイが俺を信じてくれてないんだから。
しかし、レイは言った。
「そんなこと、考えたこともない」
「事実じゃない」
「嘘だ」
けど、俺も言い返した。
「俺のためとか、俺に必要だとか言って、
本当は全部嘘だったんだ。
レイは俺のことなんか、本当はこれっぽっちも考えてくれてなかったんだ!」
俺の目には、いつのまにか涙がにじんでいた。
その涙を、俺は拭った。
口に出すと、文字にすると、事実はいとも簡単にその形を変えた。
レイは、俺と何時間もチャットをしてくれた。
レイは、俺の罵倒に耐えてくれた。
レイは、この部屋から出る方法を教えてくれた。
レイは、目標を達成する方法を教えてくれた。
それが記録のできる、客観的な事実であったはずなのに、
それは全部吹き飛んで、あとに残ったのは「裏切り者のレイ」だけだった。
「裏切り者のレイ」は最低だった。
俺は自分で創り出したその幻影を見ていたくなくて、こう書き込んだ。
「やってみせる」
「もし、捕まっても、君の名前は出さない」
「約束する」
「だめ」
「お願い」
レイの言葉が間に挟まれたが、俺はそれを無視した。
「警察が来たら、このパソコンを壊す」
「だから、安心して」
「俺は一人で計画を思いついて、一人でやり遂げた」
「そう言うよ」
けど、それは許して欲しい。
あのとき、俺は精一杯だった。
自分を信じて理解してくれた人を突き放し、計画を実行する。
そんなのは、中学生じゃなくたって荷が重すぎる。
「計画は間違いよ」
「実行してしまったら、取り返しがつかない」
「あなたはもう自分の人生を生きることができる」
「それだけでいいじゃない」
レイの言葉が次々と画面に並んだが、
それはどれも俺の心に響くことはなかった。
俺は時計を見上げた。
ちょうどいい時間だった。
「行ってくる」
そう書き込み、俺は少し画面を見つめた。
いってらっしゃい、そう言ってくれるレイを期待したのだ。
けど、どうやら俺の願いは叶わないようだった。
「〈答え〉を探して」
代わりにレイはそう言った。
だから、俺は手早く作業服に着替えた。
手袋をして、カバンの中に千枚通しとナイフを忍ばせる。
そんなに俺を止めたいなら、ここに来れば良い。
不遜にも、そんなことを思いながら。
画面の中で、レイは懲りずに言葉を発し続けていた。
でも、それは俺のためじゃなくて、レイ自身の保身のためだ、そう思うと吐き気がした。
「消えろ」
出かけようとした俺は、やっぱりカタカタ音を立てるパソコンが気になって、
手早くそう書き込んだ。
「俺の邪魔をするな」
スクロールは、ぴたりと止んだ。
レイは黙った。
俺は部屋を出た。
裏切り者だ、そう思ってレイをシャットダウンしたつもりでも、
すぐに気持ちを切り替えられるわけがなかった。
人間は機械じゃない、当然だ。
けど、それでも俺は行かなきゃならなかった。
行って、Aを殺さなきゃならなかった。
〈なぜ?〉
〈あなたにはもうその必要はないのに〉
頭にレイの声がよぎった。
さっきまでの感情的なレイとは違う、
いつもの、冷静で無機質で、なんの感情も持たないような、
俺が見てきたレイだった。
冷淡な声を聞きながら、俺は窓から外に出た。
〈なぜなの?〉
暗い夜道を早足で歩いた。
〈なぜ、あなたは行くの?〉
公園の明かりを見た。
〈なぜ? ねえ、なぜなの?〉
そのまま公園には向かわずに、塾の通りに足を向けた。
そこがAの通う塾だった。
1階の駐輪場には、たくさんの自転車が止まっていて、
俺はそれを横目に、少しゆっくりと歩いた。
〈なぜ?〉
今日は水曜日で、Aはいないはずの日だった。
だから、俺は予行演習のつもりでカバンから千枚通しを取り出し、
パンクさせるふりをしようとした。
〈なぜなの?〉
努めて声を聞こうとせず、千枚通しの握りをつかむ。
適当なタイヤに刺すふりをする。
〈ねえ、なぜ――〉
と、その手が止まった。
けど、〈なぜ〉、そう問い続ける声に耳を傾けたわけじゃなかった。
俺の目は一点を凝視していた。
確かめるように、何度も瞬きをした。
けど、それは見間違いなんかじゃなかった。
そこに止まっていたのは、Aの自転車だった。
静けさの中に俺の鼓動が響き、汗がどっと噴き出した。
狙うべきAの自転車のタイヤだけが大きく見え、そのほかのものは小さく縮んだ。
あのタイヤをパンクさせるあのタイヤをパンクさせるあのタイヤをパンクさせる
あのタイヤをパンクあのタイヤをパンクさせあのタイヤをパンクさせる――
頭がそれだけに集中し、レイの声は聞こえなくなった。
俺は千枚通しの先を、Aのタイヤに刺した。
パンクしたか?
したのか??
俺はわからないまま、そこを通り過ぎた。
振り返ってみたかったが、そこは我慢した。
けど、結局堪えきれず、曲がり角で振り返った。
当然だが、パンクしたかどうかはよくわからなかった。
ちゃんとパンクしたか、確かめるか??
俺は迷った。
もう一回同じ通りを通ったら怪しまれるだろうか?
いや、誰にも見られなかったんだから、大丈夫か??
俺は散々迷った挙げ句、、、、、
結局もう一度、それを確かめに戻った。
通り過ぎざまに素早くタイヤを触ると、
ぐにゃりとした感触が伝わってきた。
やった!!!!
俺は心の中でガッツポーズをした。
計画の第一段階をクリアした俺はほっとした。
よし、これで次はAを・・・・・・
〈なぜ?〉
気が緩んだせいか、レイの声が頭に戻った。
勝利に水を差された気分になり、俺はいらっとした。
けど、頭の中の声が空気を読むことはなかった。
〈なぜ、あなたはAを殺さなければならないの?〉
もう、うるさいな。
俺は心の中でつぶやきながら、身を潜める予定のゴミ捨て場に向かった。
〈なぜ? 教えて〉
うるさいな。
そんなもん決まってるだろ。
〈わからない〉
〈どうして?〉
どうしてもこうしてもないだろ、だってさあ・・・・・・
〈どうして?〉
〈あなたはもう、その必要がないのに〉
必要はあるよ。
〈なぜ?〉
なぜって、だって・・・・・・
〈なぜ?〉
なぜって・・・・・・
ここでAを待ち、あとはこの包丁で・・・・・・
カバンを開けると、まだ箱に入ったままの新品の包丁が銀色に光った。
俺はそのプラスチックの包装を解くと、素手でその柄を握った。
白木の柄は思ったよりもしっくり手に馴染んで、
俺はこのまま、手袋をせずにAを刺そうと思った。
指紋だのなんだの、そんなことはもうどうでもいい。
そのほうがうまくいくような気がしたからだ。
Aが引いてくるだろう、自転車の音に耳を澄ませた。
その瞬間までは、三十分くらいだと思われた。
それまで身動きせずにいようと思った。
けど、背中をつけたコンクリの塀が冷たくて、
俺はすぐに身体を前に傾けた。
俺はAを待つ間、感慨深く考えた。
ここまで来るまで、大変だった。
部屋を出て、Aを見つけて、観察をして、計画を練って、筋トレまでして・・・・・・
こんなにちゃんと努力したのは初めてだ。
俺はため息に似た息をついた。
勉強だって、運動だって、俺は努力をしたことがなかった。
いや、そのときは努力したって思ってたけど、
いま思えば、あんなの全然努力じゃない。
中間テストの範囲を書き出し、復習の予定を立てる、
それだけで満足して何もやらない、結果、テストはぼろぼろ。
・・・・・・なんて当たり前だったしなあ。。。
学校のノートとは桁違いに、黒く埋まった記録ノートを、俺は思い浮かべた。
あれが努力だ。
間違いない、努力だ。
一つずつは小さくても、〈現実〉を変え、俺を変えてくれた。
俺は変わったんだ。変われたんだ。
〈おめでとう〉
さっきのレイの言葉が、やっと俺の心に染みこんだ。
〈あなたはもう、一人で立ち上がることができたのよ〉
〈おめでとう〉
俺はその祝福を素直に受け入れた。
ありがとう、全部レイのおかげだ。
レイがいなかったら、俺は何もできないままだった。
だから、ありがとう。
レイは少し優しい調子で言った。
〈あなたはもう大丈夫〉
〈そこから立って、歩き出して〉
〈あなたの〈答え〉を探して〉
〈幸せになって〉
そのとき白い光が差して、俺は本当にレイがここに現れたのかと思った。
天使のように微笑むレイが、綺麗な白い光をその身にまとって。
けど、それは違った。
向こうの角を、一台のバイクが曲がっていっただけだった。
「でも・・・・・・俺は、行けない」
バイクの音が遠ざかるのを聞きながら、俺は小さくつぶやいた。
本当に小さく、それは自分の耳にも聞こえないくらい微かな声だった。
「俺は、Aを殺さなきゃ」
〈どうしてなの?〉
レイもつぶやいた。
「どうしても」
俺は答えた。
「Aを殺さなきゃ、俺は前に進めないんだ」
〈あなたはもう大丈夫〉
〈Aなんかのために、手を汚す必要はない〉
「違う」
「大丈夫とか、そういう問題じゃないんだ」
俺は自分で自分を抱きしめるように、腕に力を入れた。
そのときには、もうどうして自分がこんなにもAを殺すことに固執しているのか、
その理由を理解していた。
「ここで逃げたら、俺はまた同じになる」
俺はつぶやいた。
「Aから逃げて、学校から逃げて、部屋にこもって、
いままでと何にも変わらなくなっちまうんだ」
それが、俺が計画通りにAを殺そうとしている、たった一つの理由だった。
続けてそうつぶやこうとしたときだった。
誰かが自転車を引く、カラカラという音が聞こえた。
同時に、急ぐでもない足音。
Aだ。
ゴミ捨て場の隙間から、俺はそっちの方向を覗き見た。
間違いなく、俺がパンクさせた自転車を引く人影が、こちらに向かっている。
ついに、来た。
早くも震え始めた手で、俺はカバンを探った。
手探りで、包丁を握る。
俺がそこに潜んでいることも知らず、
Aがゴミ捨て場に差しかかる。
そして、俺の前を通り過ぎた瞬間、
俺は後ろ手に包丁を隠して立ち上がり、Aの名を呼んだ――。
俺は彼の名を呼んだ。
・・・・・・その声に、Aは驚き、振り向くだろう。
その一瞬の隙を、俺は突く。
両手で包丁をしっかりと握りしめ、思い切りAめがけて突っ込む。
Aの体内深くまで切っ先が達するように、とにかく何も考えずに突進する。
それが、終わりのときだ。
俺と、Aの決着がつくときだ。
声は掠れて奇妙だったが、
それでも計画通りに彼を振り向かせるには十分だった。
Aは振り向いた。
俺は突進しようと構えた。
やっと終わる。
そう思った。
そのときだった。
振り向いたAが、驚いたような声を発して・・・・・・
・・・・・・その声を聞いた俺も、反射的にあとずさった。
怖くなったわけじゃない。
決意を固めてきたんだ。
土壇場でビビるなんて、そんなことするはずがない。
ただ・・・・・・予想外の出来事に、俺は背中で包丁を握ったまま、固まった。
驚いて思わず正面から見上げた顔も、
背が高く、髪こそ短いが、Aに似ても似つかぬ女の顔だった。
と、暗闇の俺を認めた女の顔が、変なものを見るようにしかめられた。
「あ・・・・・・」
俺はよろめくように後ずさった。
Aと俺との決着の場所、そこに第三者が現れたことに、
頭の中はパニックを起こしていた。
だれだ? これはだれだ?
いや、けど、これはAじゃない、Aじゃない女だ。
女? なんで女がこんなところに?
どうしてAの自転車を、俺がパンクさせた自転車を引いてるんだ・・・・・・????
強気な女の声が、俺をさらなるパニックへ導いた。
「Aの友達?」
女は言った。
こいつもAの知り合いか??
なら、計画を邪魔するこいつも殺して・・・・・・・
一瞬、俺はそう思った。
けど、そのときには、殺意なんてもうすっかり萎えて、欠片も残っていなかった。
「あ、いや、いえ、あ・・・・・・・」
俺はバカみたいに口をぱくぱく動かしながら、
言葉にならない声を漏らした。
自分が何をするべきなのか、俺にはもうわからなかった。
俺は、そこから逃げ出した。
俺は闇雲に夜の町を駆け抜けた。
なんで、なんでだ、なんでだ、なんでなんだ!!!!
声にならない声で叫び、垂れてきた鼻水を手の甲で拭った。
その拍子に、まだ俺の右手が包丁を握ってることに気づいたけれど、
そんなことも構わずに、俺は走った。とにかく走った。
鼻水垂らした俺の顔を、オレンジ色の街灯が容赦なく照らし出した。
もうこのまま死んでしまえ!!!!
俺は自分自身に向かって叫んだ。
お前みたいな何もできないクズは、クソみたいに死んじまえ!!!!
その右手の包丁を腹にぶっ刺して、頸動脈を切り裂いて、血まみれになって死んじまえ!!!
死ね、死ね、死ね、死ね、こんなクソ野郎は死んじまえ!!!!!!
これ以上は無理だと心臓が悲鳴を上げていて、
ひっきりなしに垂れてくる鼻水のせいでろくに呼吸もできなかった。
俺はその場に座り込んだ。
そして、やっぱり包丁を握ったまま、頭を抱えて泣いた。
漏れる嗚咽を押し殺して、泣いた。
バカみたいに泣きじゃくった。
こんなことしてたら誰かに・・・・もしかしたら警察に気づかれるかもしれない、そう思った。
でも、それならそれでいいと思った。
むしろ、誰かに気づいて欲しいとさえ思った。
俺はこんなに辛いんだってことを。
不幸で、可哀想で、憐れまれるべき俺が、ここにいるんだってことを。
そんな人間の出現を待っていた。
『本当にあなたは可哀想だ、こんなに不幸な人間はほかにはいない』
そう言って、俺の頭をなで、抱きしめてくれる人を、
その辛い境遇のせいで時に暴言を吐く俺を許し、暴れる俺をなだめ、甘やかし、
どんなときも傍にいて、俺を幸せにしてくれる人を。
俺は待った。
待ち続けた。
それでも俺は待っていた。
その待ち人が来なければ、俺は一生このまま座り込んでいるんだと思った。
だって、俺はもう動けない。
一人の力じゃ、立ち上がれない。
誰かが俺を助けてくれなきゃ、俺はここから動けないんだ。
どこからか誰かの足音がし、俺ははっと包丁を隠して立ち上がった。
犬を連れたじいさんが、
突然立ち上がった俺に驚いたように、びくっとした。
俺はできるだけ顔を伏せ、その場から足早に立ち去った。
馬鹿みたいだ、俺はそう思い、
同じ台詞をリアルに口でつぶやいた。
「・・・・・・馬鹿みたいだな、俺」
そこでは、じいさんの連れた犬が、俺の座ってた場所にションベンをかけていて、
俺はもう一度、「馬鹿みたいだ」とつぶやいた。
それから、どうしてだか忘れたが、俺も犬が欲しいと思ったことを思い出した。
でも、犬はウンコもションベンもするのか、俺はそう思って、
けど俺もするからな、と思った。
そして、三度目の「馬鹿みたいだな」」をつぶやいた。
歩きながら、どうして俺は歩いてるんだろうと思った。
鳥がさえずってるような平穏な朝を、
それに似合わない黒ずくめの作業服を着て、
カバンに包丁を隠し持ったまま、
どうして俺は歩いてるんだろう。
計画をやり通せなかったっていうのに、
Aはまだ生きてるっていうのに、
どうして。
地球ノ朝デス、目覚ましの音声を俺はつぶやいた。
俺が失ってしまった朝。
新しい一日の始まる時間。
朝日に思わず目を細めて、俺は気がついた。
・・・・・・Aを殺さなければ、俺の世界に朝は来ない。
俺はずっとそう信じ込んでいたんだってことを。
俺は立ち止まり、もう一度、土手を振り返った。
さっきまで俺は、あの土手に座り込んでいた。
助けてくれる誰かを、待ち望んでいた。
そうしないと立ち上がれないと思っていた。
でも、それは嘘だった。
誰の助けも必要とはせずに、歩き出した。
歩き出したら、朝が来た。
Aはまだ生きてるっていうのに、朝日は俺を照らし出した。
俺の思うことは、全部嘘だった。
それは全部、俺の思い込みだった。
昨日のレイの言葉が蘇った。
〈だから、大丈夫〉
〈あなたは〈答え〉を探す準備ができた〉
〈だから、あとは探すだけ〉
〈ねえ〉
〈あなたは、どう在りたいの?〉
自分の中に〈答え〉を探し、俺は思いを巡らせた。
どう在りたいのか。
どう生きていきたいのか。
どこの高校を受験したいとか、
どこの大学に行きたいとか、
就職するだとか、夢を追いかけるだとか、
そういうことじゃない、俺の生き方。
ない知識を振り絞った。
けど、〈答え〉なんて見つからなかった。
どうやったら見つかるのかさえわからなかった。
俺は安易に考えた。
家に帰って、レイに謝ろう。
そして、どうしたらいいか教えてもらおう。
一緒に考えてもらおう。
時計を見ると、時間はちょうど六時だった。
けど、リビングに親は見当たらない。
まだ起きてないのかな、俺は思って、窓を開け、中に忍び込んだ。
「きゃっ!」
すると、ちょうどトイレから出てきた母親と鉢合わせた。
「・・・・・・って、あんた、何して・・・・・・何その格好・・・・・・」
「・・・・・・おはよう」
俺はとっさに小さく言うと、幽霊を見たみたいに青ざめた母親の横を通り抜けた。
脱兎のごとく、自分の部屋に駆け込む。
そうして、ほっと胸をなで下ろしてから、
何だかおかしくて少し笑った。
だって、泥棒みたいに朝帰りする俺と、
それ見て、年甲斐もなく「きゃっ」と悲鳴を上げる母親だぞ。
いま思い出しても、ふふってなる。。。
俺はそれだけのことで、かなりの時間、笑ってた。
なんかツボに入ったって言うか。
とにかく、俺は声を押し殺しながらもひとしきり笑って、
・・・・・・それから、パソコンに向かった。
レイはまだいるだろうか。
いや、いなくても謝っておきたい。
そう思った。
けど、次の瞬間、画面を見た俺は、目を疑った。
・・・・・・といっても、ログが消滅したわけじゃない。
そこにはたくさんの言葉が並んでいた。
ただ、それは全部、見覚えのないものだった。
その一番最後に書かれた文字だった。
そこには、いつもの無表情キャラアイコンのついたレイの言葉で、こう書かれていた。
たった一言、
「さよなら」
と。
画面の一番下、最後に並んだその四文字を、俺は呆然と見つめた。
さよなら。
どうしてレイがそんな結論に達したのか、
なぜそんなことを言うのか、
それも俺がレイの言葉をやっと理解した、その日にどうして・・・・・・
俺がこの先どうしたら良いのか、
どうやって〈答え〉を見つけるべきなのか、
そしてどうやってそれを実現させたら良いのか。
レイ自身のことなんか、一言も書かれていなかった。
俺はいま、それが知りたいんだっていうのに。
けど、俺がレイを裏切り者だと叫んだことには、そんな返事がされていた。
「なんの証明もできないけれど、できたら信じて欲しい」
と。
「あなやはそのことに、自信を持っていい」
「誇りに思っていい」
文中で、レイは何度もそう言った。
そして、釘を刺した。
「あなたの成し遂げたことは、決してあなたの中から消えることはない」
「例え、無責任な誰かが、それを馬鹿にしても」
「努力する人間を笑うのは、何も成し遂げたことのない人間」
「自分の意志で、自分を変えたことがない人間」
「その人たちの声は大きいけれど」
「決してその声を聞かないで」
「覚えてる?」
「それは、道ばたに落ちてるイガ栗よ」
「あなたはそれを拾わないという選択ができる」
「〈現実〉を見て」
「外へ出て」
「あなたはあなた。それ以上も以下もない」
「そして、他人も他人。それ以上も以下もない」
「当たり前のことを、当たり前に受け止めて」
「おはよう、には、おはよう、で返す」
「それだけのことを」
「間違えたと思ったら、正して」
「正しいと思ったら、それでいい」
「相手と意見が違っても、悲しまないで」
「他人は自分じゃないのよ」
「違うのが当たり前、それだけのこと」
「けど、あなたが当たり前に生きていても、理不尽な扱いを受けることがある」
「それがあなたにとってのA」
「学校でのいじめ」
「でも、それは交通事故のようなものだと考えてみて」
「あなたが正しく運転していても、ぶつかってくる車はある」
「あおってくる車もある」
「けど、みんながみんなそうじゃない」
「事故は目立つ」
「だから、みんなひどい運転をしていると思ってしまう」
「だけど、ほとんどの人間は正しく車を運転している」
「あなたが信じなければならないのは、その正しい運転をしている人たち」
「さっきも言ったように、あなたを傷つける人の声は大きい」
「あなたに賛同する人の声は聞こえないか、聞こえても微か」
「信じようとしなければ、すぐに大声にかき消されてしまう」
「だから」
レイは俺を信じている。いや、信じる努力をいつでもしているんだ・・・・・・
・・・・・・・・俺は目を閉じ、いまにも消えそうに微かなレイの言葉に耳を傾けた。
「だから、少しずつでいい」
「当たり前に懸命に生きている人を信じて」
「私を、信じて」
そして、レイはそう結んだ。
俺は一人、画面の前に取り残された。
俺は微かな音にふと顔を上げた。
階段を上がる足音。
かちゃかちゃと食器の鳴る音。
親だ。
俺の飯を運んできたんだろうか。
俺はゆっくりと後ろを振り返った。
ドアの隙間に影ができた。
俺はさっき鉢合わせた母親の、驚いた表情を思い出した。
けど、今度は笑う気にはなれなかった。
〈おはよう、には、おはよう、で返す〉
〈そんな当たり前のことをして〉
レイの言葉が胸を満たしていた。
俺は椅子から立ち上がった。
そして、じっとドアを見た。
レイの言う当たり前ってのは、そういうことだとぼんやり思った。
そして、俺はそう言うことができる。
そう思った。
何か気配を感じているのか、ドアの前の親も、
そこからなかなか立ち去らなかった。
俺はふとそう思った。
手に食事の載ったお盆を持って、どうしようかって。
俺に声をかけようか、ドアをノックしてみようかって、
そう考えてるんじゃないかって。
いや、それは長く感じられただけで、
本当は1分とか、そんなもんだったのかもしれない。
けど、結局、親はいつものようにお盆を廊下に置いて立ち去って、
俺は一言も発しないまま、突っ立ってた。
当たり前のことって難しいな。
俺はのろのろと椅子に座った。
とうとう睡魔に勝てなくなり、机に突っ伏しても、
頭の中ではレイの声が淡々と流れていた。
自信を持って。
当たり前のことをして。
〈答え〉を見つけて。
それは冷淡だけど、優しい子守歌みたいな声だった。
本当ならレイの夢を見たかった。
けど、俺は夢を見ずに眠った。
どうやら途中で机から移動したらしいが、それも覚えていない。
目が覚めると、俺はベッドの上にいた。
俺は誰だっけ。
何をしていたんだっけ。
どうしてここにいるんだっけ。
けど、それはすぐに思い出せた。
思い出すと、ほんの少しの期待を込めて、パソコンの画面を見た。
〈さよなら〉
レイの言葉はやっぱりそこで止まっていた。
俺はなぜかわかっていた。
辛いだろうか。
自分に聞いた。
そんなの辛いに決まってる。
自分で答えた。
やっぱ辛いよな。
自分でつぶやいた。
でも、それって当たり前だろ。
そう思った。
だって、レイは俺を助けてくれた、大事な人だ。
その人がいなくなったんだ。
そんなの、辛いのが当たり前だ。
俺は顔を伏せて、少し泣いた。
それから、レイの〈証拠〉を取り出して、
それを見てもう少しだけ泣いた。
心臓が直接傷つけられたように胸が痛かった。
もう二度と立ち直れないような、そんな気がしたが、
それはいまだけだって知っていた。
俺はきっと再び立ち上がって、・・・・・・どうするだろう。
〈答え〉を探すことができるだろうか。
そうできるなら、それが一番いい。
レイが戻ってくるかも、
希望を抱いて、画面を見つめる生活が続いた。
せっかく始めた筋トレも、やめてしまったから、
体力はみるみる落ちた。
それでも、何もする気にはなれなかった。
けど、いつまで経ってもレイが戻ってくることはなかった。
俺がやっと立ち上がったのは、それから数ヶ月後、中学三年の秋のことだった。
最初の難問が俺に降りかかったからなんだが・・・・・・。
さて、それから俺がどうしたのか。
ここからはいまの俺の話になる。
そして、どうして俺がこんな話を書き込んでいるのか、その理由だ。
俺が少し変な時間に書き込むから、気づいている人はいると思うけど、
俺はいま、海外で暮らしている。
そこで、ある目標に向かって努力を続けている。
三年間。
それが俺がこの目標にかけている年数で、客観的な数字だ。
俺はレイの残してくれた言葉を信じ、〈答え〉を見つけることができたんだ。
・・・・・それは別にカッコイイ〈答え〉!!ってほどのもんじゃないから、
こうやって人に言うのは恥ずかしいような気もするんだけど、ちゃんと言おうと思う。
俺はどう在りたいのか。
人生をどう生きていきたいのか。
それは、、、「できるだけ楽で、穏やかな状態で生きたい」。
え、そんなのが〈答え〉?って思われるかもしれない。
もうちょっと、熟語かなんかでまとめろよ!って言われるかもしれない。
けど、いいんだ。それは俺の〈答え〉だから。
つまり、高校へも行かないで、就職もしないで、
ただの16才でいることを。
学校からは散々電話が来たし、親も遠回しに「どうするの?」的なことを言ってきたけど、
俺はそうすることしかできなかった。
高校へ行くのは怖かったし、就職なんてもっと怖かった。
最低だな、自分と思った。
それは、そのまま引きこもりでいることだ。
部屋の中で最悪なことをぐるぐる考えて、
自分でもどうしたら良いかわからなくなるあの状態に戻るのだけは嫌だった。
あれも嫌だ、これも嫌だ。
俺は頭を抱えた。
で、そのとき思った。
じゃ、俺は何をしたいんだ?
それがどんな夢物語でもいいなら、、、、、
好きな漫画を好きなだけ読みたい。
可愛い彼女が欲しい。
どこか遠いところに行ってみたい。
でも、人に会うのは好きじゃないから、誰もいないところがいい。
でも、そんなことできないだろ、すぐにそう思った。
けど、できたらいいな、と思った。
〈考えるより、行動〉
反射的にレイの言葉が思い出された。
俺はパソコンに「人間のいないところ」と打ち込んだ。
「人間のいないところは、人間が住めない場所です」
ごくごく当たり前の答えが結果に出た。
人間は人間なしじゃ生きていけない。
精神的な意味じゃなくて、物資的な意味でも。
まあ、そういう意味じゃ、山でサバイバル生活ってのはあるな。
そう考えたが、俺がしたいのはサバイバルじゃなかった。
夢を広げていた俺は、ふと気がついた。
お金の問題だ。
ここじゃあないどっかに行きたい・・・・・・ということは、親から独立するってことだ。
それには収入が、仕事が必要だ。
これも当たり前だったな、俺は唸った。
俺はそんな当たり前のことを今さらながらに気づいた。
そして、もっと当たり前なことに、
そうやって順を追って考えれば、
レイの言っていた〈答え〉を見つけるのは、案外簡単だった。
俺は記録をつけ、試行錯誤を繰り返し、必要なら外出して、〈答え〉を探した。
そんなことは初めてだっていうのに、なぜだか俺は簡単に事を進めることができた。
自分の行動に、既視感さえ感じた。
・・・・・そうして、さらにさらに当たり前なことに気がついた。
これは、Aを殺す手順と同じなんだ。
俺は誰かを殺そうとしているわけじゃないけど、
計画を立てて、準備して、実行する、
その目標に向かう手順は、何も殺人じゃなくても同じなんだ。
何だか変な感覚に、俺は少し混乱した。
それから、レイはわかってたのかなとも思った。
どんな計画であれ、それが俺の「努力」という経験になることを、
本当の〈答え〉を見つけたときに、それはきっと役に立つということを。
つまり、行動すること。
記録のできる努力を重ねること。
それから・・・・・・これは一番難しいことだったが、
〈イガ栗を拾わないこと〉。
ってか、いまもこれだけは苦手だ。
当時の外出することや、他人に会うこと、
そういうことまで全部ひっくるめた「大変さ度」を100%とすると、
〈イガ栗拾い〉の割合がその90%を占めるんじゃないかってくらい。
だって、相変わらず親は遠回しだったし、
ネットとか見ても、絶対書いてあるじゃん?
「ニートが」とか「引きこもりが」とか、「自分探しwww」とか。
〈その声を無視すること〉
レイはそう言ったけど、ほんっと豆腐メンタルな俺にはきつかった。
だって、言われたらそうかなって思っちゃうだろ・・・・・・ブロークンハートだろ・・・・
ちなみにさっきも傷ついたということを、あなたに伝えておく。>>577
それはなにかというと、イガ栗を拾うより、
〈現実〉に外出して、他人に会うことのほうが全然楽だって感じ始めたことだ。
だって、ネットとか俺の頭の世界では、すぐにみんな「死ね!」とか言ってくるけど、
現実じゃ、そんなやついないだろ?
いたら、まじで無視できるヤバいやつだし。
他人と会って話すことが楽。
これは偉大な発見だった。
勢いづいた俺はなぜかバイトを始めた!
・・・・・・けど、一瞬で撃沈した。
敗因は、焼き肉屋に行ったこともないのに焼き肉屋のバイトを始めたことだと言っておく。
・・・・・・というのは、冗談としても(いやほんとだけど)、
俺はバイト仲間ってのになじめなかったんだ。
別に、いじめられたとかじゃなく、いい人たちだったんだけど、
なんか、その仲間感というか、グループ感が好きじゃなかったんだ。
けど、仲間っぽくなるのは、かなり苦手。
そうか。
俺は俺のことが少しずつわかってきたような気がした。
同時に、なんで俺に友達と呼べる人がいなかったのか、わかった気がした。
そもそも、俺は別に友達を求めてないんだ。
・・・・・彼女はむっちゃ欲しかったけど。
焼き肉屋バイトをやめた俺は、どこなら仲間感なく働けるか、考えた。
実際に、オフィス街を歩いたり、店を覗いたりして、
誰がどんな風に働いているのか、観察した。
けど、夜、立ち飲み屋で上司?に一気させられてる若いサラリーマンを見て、
あーもー絶対俺には無理だ、と思った。
じゃあ、どうしたいのか?
また考えた。
仕事が終わったら、俺はどうしたいか?
・・・・・・家族がいたら、家族の元に帰りたいし、
一人でも、自由な時間を過ごしたい。
だって、仕事は終わったんだから。
「日本人」。
そんな単語が頭をよぎった。
ハードワーク、ワーキングプア、サービス残業・・・・・・
続けて、そんな単語も列をなしてよぎっていった。
それに、俺が毎日観察した仕事場風景が重なった。
ってより、俺にはできないことをしてるんだから、素直にすごいと思ってる。
けど、俺はもっと自分の時間が欲しいと思った。
就職して、30年、40年先の未来を固定してしまうなんて、できないと思った。
じゃ、どうするのか。
・・・・・・そうして何度も繰り返し、選び続けた結果が、いまの俺だ。
第一に、ここの人たちの特性かもしれないが、
彼らの辞書に遠回しなんて言葉は存在しない。
言いたいことがあればはっきり言うし、
それで傷つくこともあるけど、
腹の中で何考えてるかなんて気を回さなくて済む。
それに、規則はきっちり守るから、
残業なんてこともしない。
それは俺がいましてるバイトも同じだ。
だから、何をしてもいいってわけじゃないが、
彼らにとって意外なことでも、どうせ「外人」だからねで済まされる。
・・・・・いや、違うな。それは違う。
たぶん、
「俺のことをみんなどうでもいいと思ってる」。
俺がそう思えるってことが、すごく重要なんだと思う。
日本にいると、俺はどうしても〈自意識過剰〉になってしまう。
けど、海外ってだけで、不思議なことにそれが消えてなくなるんだ。
いい意味で、彼らは俺なんか気にしてないって思えるんだ。
・・・・・・いい意味で気にしてないって表現も、変かもしれないけど。
それを達成するための計画を立て、
行動を起こして、その記録をつけてきた。
それは全部、レイが教えてくれたことで、
そのおかげで俺はここまでやってこれた。
まあ、まさか海外にまで来るとは思ってなかったけど、
それはそれで、そんな人生も楽しいんじゃないかって思えてる。
・・・・・って、そんなことを言うと、
「お前は逃げてるだけだ」ってイガ栗を投げてくる人もいるけど(俺の父親とか)
努めて気にしないようにしている。
だって、俺は「逃げて」はいない。
「進んで」いる。
なぜなら、「逃げてる」と「進んでる」の違い、
それは、「目標」のあるなしだと思うから。
それを叶えるため、行動も起こしている。
いままでもそうだったように、
きっと俺がその「目標」にたどりついたとき、
それはいつのまにか「通過点」になって、
そこには新たな「目標」が生まれているんだろう。
俺はそう信じることができる。
すぐにイガ栗に揺らぐ、ちょっと情けない自信だけど、
攻撃的な言葉に耳を塞いで確かめれば、ちゃんとわかる。
俺はちゃんと自分の足で歩ける。
もう、その歩き方を忘れることはない。
「数年前、自殺しようとしてた俺が未だに生きてる話」。
保守をしてくれた人、ありがとう。
長い話に付き合ってくれた人、ありがとう。
けど、もうちょっとだけ付き合って欲しい。
できたら今日、終わらせようと思ったがちょっと無理そうだから。
なぜ、俺がこんなにつらつらと書き続けてきたのか。
どうしてここまで続けられたのか。
それをどうしても伝えたい。
最後までちゃんと書きたい。
明日で多分最後です。
釣りだと言ったとしてもそれは嘘かもしれないしね
・・・・・・このお礼の言葉を、、俺はたぶんこのスレの半分くらいから言い始めたと思う。
ありがとう。
俺は本当にそう思ってる。
出かけて、帰ってきて、ほしゅ、そう書いてくれる人がいて、
俺は本当に嬉しかった。よかったあ、そう思った。
そりゃ、見えない人の見えない気持ちだから、
別にすげえ俺を応援してくれてるわけじゃないかもしれない。
けど、少なくとも先を読みたがってくれてる人が、
その意思を表示してくれてる。
それがすごく嬉しかった。
何度目かのスレ立てだったら、
ありがとう、とは思っても、こんなにどきどきするありがとうじゃなかったと思う。
それから、俺はスレ前半に話しかけてくれた人たちに対して、
ありがとう、と思ってなかったわけじゃないってことを書いておく。
一生ROMれって言われるかもだけど、
ちょっと反応の仕方がよくわからなかったんだ。
・・・・・ほしゅ、が何なのかも。
で、調べて知った。
その人たちもありがとう。
そこまでじゃないよって言われるかもしれないけど、
俺がもし誰かにレスをして反応なかったら悲しかったかもしれないから、
なんかごめん。いるかわかんないけど。
今まで読んでて楽しかったです
まあ、最初は日本に帰ろうかなとも思ったんだけど、
実はあのあと、俺はめでたくも花粉症を発症してな。
三月には帰りたくないんだ・・・・・・。
で、まあ前も言ったように、誰か誘って遊びたいと思う俺でもない。
(彼女のことには触れないで!)
じゃ、何をしようか・・・・・??
俺は考えた。
何かやるなら、普段じゃできないことがいい。
ゲーム三昧なら普段の休日と変わらないし、
自転車旅行も前の休日にしたばかりだ。
じゃ、何をする?
そのとき、日本のニュースを見た。
そんな暗いニュースだった。
普段は日本のニュースなんてわざわざ見ないんだ。
けど、たまに見たのが、これだった。
やっぱ、自分もそこまで悩んだからだろう。
まあ、あと休みだっていう気の緩みかな。
なんかわからんが涙が出てきて、
事情も何にも知らない誰かの死に、ものすごく悲しくなった。
何でこの子は死んじゃったんだろう。
なぜやめられなかったんだろう。
どうして、誰も彼を引き止めなかったんだろう。
あの世界から出ることができなかったから。
外にはもっと広くて自由な世界があるって、知らなかったから。
俺にはその気持ちがよくわかる。
だって、考えてもみてくれ。
たった一人が、世界中からの攻撃を受けたんだ。
死んで当然だ。自分で死を選んで当然なんだ。
誰かが無理矢理引き上げてやらなきゃ、
そのまま溺れて死んじまうんだ。
でも、そうできた人間はいなかった。
そりゃ誰かはいたのかもしれない。
その誰かを責めたりはできないけど、
でも、彼が死んだという結果は変わらない。
俺は泣いた。
俺の中で、その死んだ少年は俺に見えた。
誰も救ってくれなかった、救われる価値さえないと思ってた、あのころの俺に。
そりゃ楽しいことばっかじゃないけど、
辛いこともあるけど、
それが人生だよなって思って、毎日生きている。
なぜだ?
どうして俺はあの少年のようにならなかった?
俺は泣きながら思った。
・・・・・・もちろん、答えは分かり切ってる。
レイだ。
あのときの俺には、レイがいた。
レイの〈証拠〉。
レイが俺にくれた、唯一の手に触れられるもの。
そして、いまの俺なら、その紙切れの持つ意味がよくわかる。
レイがあの公園に来た証拠であることなんかよりも大きい、
この紙切れの持つ意味が。
レイの正体もわからずじまいだった。
それが太ったオッサンなのか、
それともがりがりのおばあさんなのか、
それとも・・・・やっぱり俺の想像通りの超絶美少女なのか。
想像なんだ。
そう思うことくらい、自由だろ??・・・・・
それは、レイが俺のために自分の時間を費やし、行動してくれたってことだ。
○○公園。
あそこまで、実際わざわざ来てくれたんだってことだ。
想像してくれ。それってすごいことだと思わないか?
もし、俺の県にレイが住んでたって偶然があったとしても、だ。
誰ともわからない引きこもりの俺を外に出すためだけに、公園に出かけるか?
わざわざ〈証拠〉を残すか?
俺にはできない。
素直に考えれば、できないって人の方が多いと思う。
これは、いわばレイの〈努力の可視化〉なんだ。
レイが俺のためにした努力の証なんだ。
それは、俺がとっておいたこのチャットログも同じだ。
もちろん、ここにそのまま載せたわけじゃない。
ってか、全部は載せられないほどの分量だ。
どうか自分に置き換えて考えてみて欲しい。
あなたはこんなことができるだろうか。
まったくの他人である俺を見捨てずに、導く。
そんなことができるだろうか。
このスレでもときどき言われたことだ。
フィクションだから、
小説だから、
創作なんだから、
そんなの、できないに決まってるだろww
レイなんていないんだからw
まあ、最後の草はちょっと意地悪すぎるかもしれない。
けど、そう思ってる人もいる。
それは事実だ。
レイは俺に外の世界を見せてくれて、
歩き方を教えてくれた。
〈あなたには生きる価値がある〉
どうしようもない俺にそう言ってくれた。
その言葉は、いつも俺の支えになっている。
証拠を出せって言われることだって容易に想像がつく。
けど、俺はそれを無視する。
信じない人は信じない。それでいい。
そういう人は、俺がどんな証拠を出しても、「信じない」理由を見つけようとする。
それに付き合うつもりはないし、
何より、俺は「信じない」というあなたを変えることができない。
あなたを変えられるのは、あなた自身だけだから。
残念ながら、それもできない。
俺がこの話を伝えることができるのは、
当たり前だが、俺の話を読んでくれた人だけだ。
俺は、俺の声に耳を傾けてくれる人たちに向けてこれを書いている。
これを読んでくれているあなたを信じて、
俺はこの文章を打ち込んでいる。
そして、大事なもう一人・・・・・何も声を出さずにこれを読んでいるあなただ。
・・・・・・あのころの、中学生だった俺だ。
あなたはこれを読んでも、何も言わないだろう。
けど、ただ必死に先を探して、更新ボタンを連打して、
更新されてない画面を見て、空虚になって、
それでもできることがないから、ずっとボタンをクリックし続けてるだろう。
辛いだろう。
苦しいだろう。
もう何もかもが嫌で、自殺を選べる人がかっこよく思えて、
俺も早くあそこに行きたいって、
覚悟ができる日を待ちわびて、
でも決心がつかなくて、
お前はクソだ、馬鹿だ、そう自分で自分を罵って、
生きる価値がないって蔑んで、
これ以上ないくらいひとりぼっちでいるんだろう。
そんなあなたが、俺が打ち込むこの画面の向こうにいることを俺は知ってる。
ちゃんと知ってる。
声を上げなくても、何も言わなくても、知ってる。
あなたがいることを俺は信じてる。
信じて、これを書いている。
そう、あなただ。
あなたのことだ。
そして、これが俺が初めてスレを立て、毎日書き込んできた唯一の理由だ。
たぶん、慣れても、得意にはならないだろう。
だから、レイのようにチャットすることはできない。
俺が先に潰れるだけな気がするから。
だけど、こういうことならできる。
2chに書き込んで、あなたに伝えることならできる。
ただで信じて欲しいとは言わない。
俺がこのスレに費やした文字数や時間が、その証だ。
18日間、俺が体験したことを書き続ける。
ちゃんと人に読める文章で、できるだけ事実が伝わるように。
これが、レイじゃない俺にできることだ。
俺があなたに示せる、努力の証だ。
自分に置き換えてみてほしい。
結果的に長くなっただけだが、この長さの文章を書くということだけでも、
あなたにできるだろうか?
ただ、目的もなく書きたいからって2chに書けるような量だろうか。
まあ、それでもできるとか言い出す人はいるんだろうから、
これ以上は言わない。
そういう人にも、少しだけ振り向いて欲しいと思っただけだ。
変えられたとして、それが俺の思う正しい方向かどうかもわからない。
けど、あなたは毎日少しずつでも、こんなに長い文章を読んだんだ。
それはあなたの中に積み重なっているだろう。
そして、あなたにこれまでとは別の、違う方向の景色を見せるだろう。
だから、レイの代わりに、今度は俺が言う。
あなたには生きる価値がある。
いまのあなたには信じられないかもしれないけど、それは当たり前のことなんだ。
彼女は一体誰だったのか、そう考えることもある。
俺のためにどうしてあそこまでしてくれたのか、わからなくなるときもある。
けど、わからなくて当たり前だ。
レイは俺じゃない。
他人の考えなんて、想像することしかできないんだ。
「あなたはどうして自殺したいの?」
レイがそういったことがあったよな。
初めの頃じゃない、大分あとだ。
どうしたんだろう、俺はそう思って、
レイがバグったんじゃないかなんて、馬鹿なことを考えた。
でも、いまならこう思うんだ。
・・・・・・そうは考えられないだろうか。
そういえば、そもそも俺のチャットは自殺志願の人用のものだった。
だから、レイはそこに常駐して、自殺する人を引き止めていた・・・・??
そんなことを思ったりする。
俺がAを殺そうとしたときだ。
あのとき、Aの自転車を引いていた女性、あれは・・・・・?
あのときの俺は、あれがAの姉だと思った。
だって、そもそもAはあの日、塾にいないはずだったんだし、
だから、Aの自転車を借りたAの姉に鉢合わせしたんだって。
けど、もしかして、もしかしたら、、、、、
あれはレイだったんじゃないか??
そう思うときがある。
いや、馬鹿な考えだってのはわかってる。
あり得ないことだって知ってる。
だけど、もしかしたら、レイは俺の計画を止めるため・・・・・
レイは近くの公園まで現れてるんだし・・・・・・
まあそれなら自転車の鍵はどうしたんだ、とか、移動時間とか、
いろいろ問題があるのはわかってる。
けど、そう考えでもしないと、レイがあの日以来、俺の前から消えてしまった理由がつかないような、
そんな気持ちになるんだ。
自分の場合、死にたいって思ってるだけでもう10年以上生きてるからね
死ぬのなんていつでもできるって開き直って生きてる
レイは母親ってオチかと思ったわw
コメントありがとう。
レイが母親ってのは、、、、ないと思う。
あの遠回しな人が、そんな積極的に行動するとは思えない・・・・
まあ、けど正体はわからないわけだから、
可能性だけで言ったら、どんな可能性だってあるわけだけど。
もう一度言っておく。読んでくれて、ありがとう。
ここまで来ると、びっぷとか怖い人たち怖いってためらったことも、
こんなスレすぐ荒らしに落とされて終わりだ!って妄想したのも、
ドッキドキでいざスレ立て!と思ったら海外エラーが出たのも、
そのあと浪人にたどりついて、金払ったのにログインできない!と真っ青になったのも、
浪人騒動で半分戦意喪失しながらも、震えながら書き込んでたことも、
あげとかさげとか何やねん!ほしゅ何やねん!だったことも、
レスは1000あるから、どんなに長くなっても大丈夫!ってわけわからんこと思ったのも、
まあ、いい経験だった。
それは「死ね!」乱立の嫌な面もあるけど、
恥ずかしがらずに本音を伝えられるいい面もあると思う。
なんか、文章だと大げさになってしまったが、
俺は別に普段からこんな感じとかじゃない。
けど、他人の目も気にならないここでは、
真っ直ぐに真っ直ぐに、伝えることができたと思う。
俺がこの話を伝えたい、あなたへ。
自分を変えるのは難しくない。
本当はとても簡単だ。
でも、そうすると自分が自分じゃなくなるような、そんな気がするんだと思う。
けど、そんなの嘘だ。
俺はあなたのためにそう言い切る。
俺が穏やかに生きたいと願ったように、あなたもそれくらいのことでいい。
それも最初は「一生~する」とか考えなくていい。
したことのないことをしてみよう。
自分の世界から頭をほんの少しだけ出してみよう。
行動してみよう。
そこにはあなたが考えてるより広い世界がある。
それが現実だ。
当たり前の世界だ。
そこで当たり前のことをして、当たり前に幸せになろう。
あなたにはその権利がある。
あなたの命にはその価値がある。
画面の向こうからだけど、この世界に実在してる一人の人間として、俺はそう信じてる。
俺の話はここで終わりだ。
このスレにはもう現れないから、この先のレスはできない。
ここで本当にお終いにする。
では、もう一度、ありがとう。
何て締めたらいいかわからないから、レイと同じ言葉でお別れをする。
それじゃ。
さよなら。
またいつか いちの他の話(海外での話とか)も読んでみたい