思い立ったので書きます。
私は結婚5年目で2歳の子供がいるのですが、
結婚当初から旦那の親族からの悪口や嫌がらせに
本当に参っていました。
中々子供ができなかった事もあって
年に数度ある親族との集まりでは私は標的になり、
子供ができないのはどういうワケか、できなかったら
結婚させた意味もない、ちゃんと妊活してる?
など言われたい放題。
本当に本当に親族の集まりは行きたくないと毎回言うのですが、旦那は長男だし、行かないと絶対にダメだから付き合ってほしいと泣きそうになりながらお願いしてきます。
年に数回だけ我慢すればいいかと思っていたのですが、今度は親族が私たちの家に訪ねてくるようになりました。
そんな下世話な話ではありません。
心が腐ってるんですね、わかります。
ノイローゼ気味になってしまい、こっちも子作りどころじゃなくなってしまって、年に数度の苦痛が頻繁な苦痛になってしまったんです。
教育熱心で息子さんたちも東京の有名な大学に通っています。
義母姉は独身なのですがなぜか親族の長的なポジションにいます。嫌味がひどい人です。
私も旦那も名前も知らないような大学を出て、名前も知らないような会社で働いていたため、優等生の義父弟家族や義母姉からは散々なモノの言われようでした。
私たち二人だけが標的に思えました。
もしかしたら、子供ができても同じようにいびられ続けるのかもなんていう最悪の考えもしてしまい、親族から離れられないなら死んでしまいたいなんて思ったりもしました。
旦那の事は愛しているので離婚は考えた事がありません。
義実家では食事は御膳に置かれ一人一人に一つ用意されます。親族が集まる時は必ずこのスタイルでした。
本来なら私も旦那も早めに行って、私は御膳の準備の手伝いをしなければならないのですが。
車に乗っている途中、何度も気分が悪くなってしまって、予定よりもかなり遅れて実家に到着したんです。
そこでまた、準備に間に合わないってどういう事?実家に来る時体調悪くなるなんて、都合のいい体調ね。その都合のよさ、妊活に活かしたら?などと笑いものにされ、もう限界を感じました。
申し訳ありませんといいながら、御膳の前に付き、ここからまた色々言われるのかという絶望感と戦っていました。
親族が全員席に着くと、御膳が一個余っていました。
義母が、ちがうのJが来るの、と言いました。
その場が凍りついたのがわかりました。ピーンと何かが張ったような感覚というか。
とにかく、いい雰囲気ではないなと感じました。私にとってはもともといい雰囲気ではないんですけど。
Jは実に10年ぶりに帰ってくるとの事でした。
あれだけ和気あいあいとしていた雰囲気を壊すくらいの存在の人って、また新しい敵が増えちゃう…などと怯えていました。もう本当にやっていける自信ない。旦那に目をやると、旦那はなぜか嬉しそうな表情をしていました。
その表情に正直一番ムカッときました。こっちはこんなに苦しんでるのになんでそんな顔ができるの?!とその場で言ってしまいたくなるくらいです。
来て欲しいって言うのに庇ってくれないって全然1の気持ちになれてない
こうやっている間は私に危害はありません。みんな勝手に話しています。
そのあとが地獄。会話が途切れたら必ずと言っていいほど、私の話になります。
「おじゃましまーす」
顔も見るのが嫌でした。何か言われたらどうしよう…そんな事ばかり考えていました。
「俺どこ座ればいいの?ここ?」その空いている席は旦那の横です。
旦那もJの事は話さないし、親族も話しません。
私は旦那の弟の事は普段も気にもとめていませんでした。
「あ、あなたが奥さん?どうも弟のJです。いつも兄がお世話になってます。」
「いやー、にしてもなんでせっかくのお盆にこんなクソ田舎に来なきゃならんのかね?」
「にいちゃん夫婦も嫌でしょ、こんなん。」
「あ、俺ウィスキー。は?ねえの?買ってくるわ。」
といい、家をでて行きました。
20分くらい経って、片手にジャックダニエルを持って帰って来ました。
旦那には似ていると言われれば似てますが、それでも何もかも違う人です。
「A子さんもこっちきて一緒に飲もうよ、ねえ!酒飲める?」
飲めますが…と言ったら、その子は妊活中だからお酒はダメなのよ!と義母姉が遮って来ました。
すると
「うっせえババア。てめえが心配する事じゃねー。A子さん、飲めるなら一緒に飲みましょ★」
と声をかけてくれました。
義父弟が、おいお前なんだその言い方は。よく帰ってこれたな?
「帰ってきたんじゃねーよ。呼ばれたからきてんだよ。だからお邪魔しますって言ったろうが。ただいまじゃねー。」
義父弟が、誰だ呼んだのは、と言うと
義理の母が、私です。就職祝いもあったし、いい機会だと思って、と。
義父弟が、就職ってお前26だろう?26歳で初めて就職?今までなにしてたんだ。これだから兄さんの系列はどうのこうの…
「あ?」とものすごい睨みをきかせました。義父弟がたじろぐのがはっきりとわかりました。
義父弟が、お前はまたそうやって暴力暴力。昔からなんもかわらないな。お前が警察沙汰になる度に
我が家の名前が汚れるんだ。就職ってまさか暴力団じゃないだろうな?な?わかっただろ?ろくに勉強もしないとこんな大人になるんだと、義父弟の息子さんに言いました。息子さんは怯えている様子。
「今日はJのアメリカでの弁護士さんの合格就職祝いだから奮発しちゃった」と大きなカニを持ってきました。
義父弟が、アメリカの弁護士…お前、また出まかせか?東大受かっただかなんだか前に聞いたがそれっきり何も聞いてない。嘘だった事はわかる。またお前そんな出まかせいうのか?
学歴で人を判断する奴の脳みそはやっぱりどうにかしてんな? なあにいちゃん」
旦那がやっと口を開きました。
「そうだね」と。一瞬あっという顔つきになりました。本音が出てしまったようです。
「それ、俺が弁護士だって証明するカード。アメリカでは弁護士会に入らなくてもいいんだけど俺入ってるから、電話して俺の確認しろよ。英語が話せればだけどな笑 頭のいいH大ならできるよな? 今ロスは深夜だから明日の早朝にでも電話してみろよ。」
「いやー、大学でどうすれば警察に捕まらずに色々できるか考えながら勉強してたら、もう勉強が止まらなくなってだな笑」
「にいちゃん、今どんな会社で働いてるの?」
と、また旦那とJの二人の会話になりました。
旦那が、せっかく東大出たのに日本で弁護士ならなかったのなんで?と聞くと
「ほら、アメリカってかっこいいじゃん。ロスに住んでるとかちょーかっこいいじゃん笑 ロスに住める最短距離が弁護士になる事だったからさ、大学4年の時は。」
「にいちゃんのおかげで大学通えたんだよ。本当にありがとうね。これからは俺が支える側になれるように頑張るよ」
旦那が、お前に支えられたら終わりだな笑
なんだか、私に少し希望の光が見えてきた気がしました。
義母姉が、不妊治療が…
「うっせえばばあ。てめえに聞いてねえことわかってんだろ。もう呆けたか?誰も面倒みねーから一人で勝手に施設入ってくれよ。」
「で、A子さん…まあ色々あるけど、とりあえず飲もうや笑」
そこから私もどれくらいぶりに笑って会話したかわからないくらい、笑うっていいなとか、自分たちのことを愛してくれる親族がどれほど大切かわかりました。
Jは私の体のことなんて聞かない。私が何かの返答に困っていると、必ず周りから私への視線をそらすことをしてくれる。会話から旦那のことを心から尊敬して好いていてくれていることもわかる。
そんな旦那を支えてくれてありがとうと私にはっきり言ってくれる。
嬉しくて嬉しくて、涙が出ました。
いい感じで酔っ払ってるな、旦那も笑ってる、私も笑ってる、Jはふざけ出した。旦那もふざけ出した。
私、え??そんな間違いあるんですか?じゃあwomanを男だと思ってたってこと?
「いや、男はメ〜ンだと思ってた」
苦しくなるほど笑ったことって誰でもあると思うけど、まさかそれが義実家で起こるとは夢にもおもっていませんでした。
「A子さんさ、この世で絶対な物って何かあると思う?絶対な物。」
「法律。日本は法治国家だからそれは絶対。
たとえどんなに血の繋がった関係であったとしても、法律のは絶対。
ひとりぼっちになっても、法律が味方してくれる。法律はただの暗記じゃなくて、一条一項それぞれにそれができるまでのドラマがあったんだ。
常に法律を感じながらこの8年は生きてた。そこから学んだのは、法律は基本的に誰かを守るために作られたってことが共通して言えること。
だからにいちゃんもA子さんも、何かあったら俺に相談して。」
「あ、同じところで代行2台分頼んだから、一緒に出られるね。準備しよっか。」
「じゃあねーにいちゃんA子さん。A子さん、にいちゃんが不倫したら俺はA子さんの弁護するからねー笑」
旦那が、お前日本の弁護士免許持ってないだろ?
「取るよ。数年以内かな。だから数年は不倫しないでね笑 じゃ!!」
Jは帰って行きました。
私たちも車に乗り込みました。
旦那は「僕もJの事はあまり知らない。あいつが中学の時はもうすでに問題児で、家ではない更生施設に入ってた。
そこでも事件を起こしてね。テレビでも報道された事件だったんだけど、そういう事もあって中学の時はほとんど会わなかった。
あいつが高校の時も、ほとんど家に帰ってこなくなったからな。
だからお互い多分ほとんどの情報を持ってないんだ。」
と。
アメリカの大学はスカラーシップというので学費を賄っていたそう。
色々聞いたけど、 Jの事、例えば何が好きでどんな趣味があって食べ物の好みとかそういうプロフィールのようなものはほとんどわからないとの事。
それはともかくとして、私が心に抱えてたイライラやストレスはほとんどなくなりました。
その日の夜、旦那と行為をしました。
その日にした事がきっかけで、私は妊娠しました。
報告すると、Jも喜んでくれました。
それ以来、私はもっともな理由をつけて義実家にはいかないようにしました。
だから10ヶ月本当に平穏に過ごせたんです。
出産も無事に終わり、今とっても幸せに暮らしています。
以上です。
本当に、よかったな。
名前はJにつけてもらいました。恩人ですから。
本当に良かったです。今とっても幸せです。ありがとうございます。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
思い出しながら書いていたので、どっか変かもしれませんが。
manが女で笑ってしまったww
シモネタかよ~
ほんとうにそう思っていたみたいです。信じられないですよね。
メ〜ンは今でも思い出し笑いします笑
思い出し笑いできるって、幸せの証拠だと思うよ。幸せじゃなきゃ、思い出し笑いなんてできないからな。
まぁ、思い出し笑いはスケベの証拠とも言うけどなww
そうですね。今では子供とJがスカイプ通話を楽しんでいます。
かばってはくれません。ですが、息子である旦那の味方ではあります。
義母はJを気にかけますが、義父とは一言も話しませんでした。
息子の味方なら庇ってくれてもいいのにね
息子が好きになった人なんだからさ
まぁ嫁はやっぱ他人なんだよねー
それはとても感じました。でもいいんです。今幸せですから。
笑ったりできた事でストレス発散にもなって良い方向に転がったんだろうね
1さん一家と義弟さんがこれからますます幸せに過ごせますように
読んでくれてありがとうございます。
あれからJとスカイプで旦那や子供も含めてなんども話しましたが、どうやら彼女がいるらしいです。
アルゼンチン人の弁護士だそうです。
参りました。なんて行動力だ。
鷲津ファンドのハゲタカの鷲津以上じゃねーか。
すげーや
鷲津ファンドのハゲタカの鷲津さんを知りませんが、Jはとてもすごい人です。
アルゼンチン人の彼女との生活からスペイン語を習得しつつあるそうです。
ロスにはスペイン語しか話せない方がとても多いそうで、仕事に役立つみたいなのです。
おそらく60歳前後だと思います。
そういう意味で言っていたのでしょうか?笑