誰かに聞いて欲しくなった。
良かったら語らせて。
うちは父さんと母さんと、兄ちゃんと弟の5人家族。
両親は共働き。裕福じゃないけど、貧乏でもないと昔は思ってたなぁ。
別段変わった所もないけど、こんな感じかなw
じゃあ、俺が産まれた辺りのことから書いてくよー
よくある事なのかはわかんないけど、実際に産まれてくるまで間違えてたってw
父さんと考えてた名前も大慌てで変えたって。
だからって読んでた小説のページから2文字取った名前にしないでやw
おかげで今、すっごい名前負けしてるわw
とりあえず、俺の小さい頃は凄く大人しいかったらしい。
出掛けるのもあんまり好きじゃなかったって。
だからってチャイムだけ鳴らしてばあちゃんの家の前に置いてかないでw
でも、俺は俺で黙って戸が開くを待ってたらしく、おかげでじいちゃんばあちゃんに凄く可愛がってもらった!
この辺りからは俺もうっすら覚えてるから、頑張って書いてく!
でもと言うかかやっぱりと言うか、俺は保育所が好きじゃなかったw
いっつもずる休みしようとしてたわ。
一番母さんに迷惑をかけたのは車の中で籠城したことかな。
俺が中から鍵を閉めるのと、母さんが外から鍵を開けようとするのでいたちごっこw
最後は泣きながら保育所の先生に引っ張られてったなぁ。
本当にワガママでごめんよー。
じいちゃんとばあちゃんってほんと優しいよね!
両親とはまた違った好きだけど
俺がいつもみたいに保育所に行きたくないってぐずってたら、体調も悪くないのにわざわざ仕事を休んで
「じゃあ、今日は母さんも具合が悪いから保育所休んで、看病してね?」
って言ってくれた。
結局、一緒にテレビ見て、一緒にご飯を作って、って普段となにも変わらなかったけど、そういう日はなんか凄く楽しかった。
そのころから、母さんと一緒に習い事を探し始めた。
俺はどれも嫌だと文句を言ってたけど、半ば強制的に、学習塾と柔道と水泳をすることにした。
当時は子供だったから、それだけで母さんを嫌いになりそうだったけど、今思うと教育熱心でいてくれたんだと思う。
まだ大丈夫w
結局、大会で良い結果を残すことは一回もなかったけど、試合や大会が終わった日には、俺だけ、ご飯の後にこっそり手作りのデザートをくれた。
ゼリーだったり、菓子パンだったり色々種類があったなぁ。
おかげでいまでも果物とかスイーツがだいすだわ。
一緒に我慢しようぜ!
そのころ俺の一番仲の良かった友達が、野球少年団に入った。
おかげで俺も野球がやりたいと思ってたけど、水泳と柔道を続けながらやるのは練習日の関係で不可能だった。
そんな感じでグダグタ悩んでたら、休日に母さんに近くの公園まで家族で連れてかれた。
いつもは怒ってばかりの父さんとも、いつもは喧嘩ばっかの兄ちゃんとも沢山遊んだ。
ひとしきりはしゃいだ後に母さんと二人で散歩をした。
その時に、母さんから、何か隠し事があるでしょ?って聞かれた。
よくわかんないけど当時の俺は、ぜったいに怒られると思って途中から泣き出したw
そんな俺の予想を裏切って、母さんはOKの二つ返事だったw
むしろ、「○○がやりたいことを言ってくれて嬉しい」って頭を撫でてくれた。
たしか、それで安心して俺はまた泣き出した。
子供の頃はみんなかわいいよなぁ
いいお母さんだね。
ありがとうー
いまでも自慢の母親ですよ!
俺が行った中学は野球部が有名だった。練習と顧問の厳しさが半端じゃないことで。
みんなから反対されたけど、何となくで俺は野球部に入ってしまったw
アホみたいに厳しい練習や、勉強が厳しくなってテストで順位が出たりで、俺はだいぶ家族に八つ当たりしてたと思う。
休日だろうと朝5時頃から1日練習、つまり昼のお弁当を作ってくれる母さんは4時頃には起きていた。
それに加えて兄が高校に進学して、弟が小学校に入学して、出費も増え、この頃から母さんは仕事を増やし始めた。
多分酷いときは夜は3時間位しか寝てなかったと思う。
それなのに俺は 自分が辛いからって母に部活の愚痴を言ったり、家事は自分の分しかしなかったり本当に最低だとおもうわ。
とりあえず、とんでもなく母さんに無理させたって話だけ覚えておいてくれればok
結局、中学校生活は3年生に近づくにつれて勉強も置いていかれる。特に目標もなくとりあえずで進学校に進んだり、周りに迷惑をかけるだけかけて終えた。
部活もあまりキツくない所を選び、バイトもはじめて部費を自分で払ったりしてたので、なんとなく余裕が出来て、母さんともまた仲良くでき始めてた。
でも、大人になるのが遅すぎたんだよなぁ、って今でも思う。
父さんは仕事に行って、兄ちゃんと弟と母さんと4人で朝ごはんを食べてたら、母さんが急に気持ちが悪いと言い出した。
あまりにも具合が悪そうなので、父さんに連絡。
兄ちゃんは、弟を小学校に送って行って、俺は父さんが帰ってくるまでずっと母さんの背中をさすってた。
1時間もしないで、父さんが帰ってきて母を病院に連れてった。
すごく不安だったけど、俺は父さんに言われて、高校に行った。
「母さん、手術して入院することになった。詳しいことは病院で話すから早退してこい。」
こんな感じの内容だった。
メールを貰ってすぐに早退をしたけど、高校から病院まで、少し距離があったのでつくのがだいぶ遅くなってしまった。
よく分からない状態で先生から話を聞いた。
スキルス性胃癌とかよく分からない事を言われた。
ただ、話を聞いて、原因は不規則な生活とストレスだって事だけは理解できた。
すぐに入院して、準備ができたら胃の全摘出。
転移があるかないかを調べる。
ただ、症状はだいぶ進行しているみたいなので何年も命は保障できない
こんな感じかな?
入院しながら術後経過を確認してた。
そこからの1年は、母さんは入退院を繰り返してた。
何ヵ月か入院して退院、薬をのみながら家で生活してまた入院。
だけど家に居る期間はどんどん短くなって、逆に入院する時間は長くなっていった。
授業中に折り紙でジオラマ作ってみたり、小学校の頃作ってくれたデザートを作ってみたりもした。
そんな事をしていたら、母さんが病室でとてもニコニコしている日があった。
理由を聞いてみたら
「高校生にもなって、折り紙とかお菓子とか、保育所の頃から変わんないね。」
と笑われてしまったのを覚えてる
そんな感じがずっと続いて、2年生は終わって受験生になった。
この時期くらいから進路の話も本格的になってきた。
俺は今まで、とりあえず大学に行って~、とか考えてたけど公務員を目指すことにした。
教師の人には反対されたけど、無理矢理話を押し通した。
母さんとも進路の話をした。
「やっぱり俺は就職するわ!父さんと協力して弟と生活してく!」
的なニュアンスの説明をしたら、母さんを泣かせてしまった。
やりたいことをやらせてあげられなくてごめんって言われた。
俺は、母さんを安心させてあげたくて選んだんだから、泣かないで欲しかった。
そのころには母さんは、外泊申請も断られるようになってしまった。
試験の本番の朝は誰もいなくて、1人で家を出た。
いつもは家を出るまで見送ってくれた母さんがいないのは寂しかった。
試験はかなり手応えがあった。生まれてはじめて本気で勉強した成果が出たと思う。
そんな事を報告したくて、試験が終わってすぐに病院に向かった。
母さんは薬を打って眠っていた。
その日は体調が悪かったらしく、薬を強くしてもらっていたので、目が覚めたあと話しかけても返事は返ってこなかった。
結局、直接報告は出来なかったなぁ。
体にチューブみたいなのを繋げながらだけど、1人じゃ満足に歩けない状態だけど、それでも嬉しかった。
その日は母さんが昼御飯を作ってくれるって言った。
待ってたら台所から小さく泣いてる声が聞こえた。
母さんが、「味がわかんなくて美味しい物を作ってあげられない」って泣いてた。
だから、父と兄と弟で、作りかけの、とても味の濃いご飯を残さず食べた。
晩御飯は普段料理のしない男4人で作った。
一口か二口しか食べれないのに母さんはすごく美味しい、って言ってくれたなぁ
昔話や思出話ばかりだったのが、少し辛かった。
もう、これからのことは考えてないんだなぁって。
次の一週間はとても体調が悪そうだった。
病室に言っても薬のせいで眠ってばかり。
起きていてもこっちを見たり首を振るので精一杯だったみたい。
母さんは俺にいろんな事をしてくれたのに、俺は迷惑しかかけられなかったなぁって今でも思う。
って言う話
諸事情で母さんと同じ病院に入院してるので、思い出して誰かに聞いて欲しかった。
後半は文章グダグダ+かけあしで本当に申し訳ない
思い出して涙がちょちょぎれてたので言葉がおかしい所があるかもw
とりあえずこんな自己満足に付き合ってぐれてありがとう。
もしあるようなら少しだけ質問に答えますー
お前も死ぬの?、
死なないと思う多分w
ただ、体は大事にしようと思ったw
おい!
うわああああん
こんな駄文に最後まで付き合ってくれてありがとう。
ありがとうー!!
多分俺は母さんよりも幸せだったと思う。
だから、何も返せないのは悔しいなぁって。
母親もこんなに良い子どもに育って嬉しかっただろう
ありがとう。
まさか母さんが最後に言ってくれた事と、おんなじ事を言ってくれると思わなかったわw
こんなに優しくてあたたかみのある親なら子どもの成長が一番の喜びだと思うよ
あなた いいやつ ありがとう
色々似てるけどそこだけ逆だな
それなー
どっちかと言えば姉が欲しかった
進学したってよかったんだよね
自分にはもう未来はないけど、息子の未来を思い描ける
そういうのもお母さんの希望でもあったのかもしれない
でも息子の立場で未成年でそれを選ぶのは難しかったろうね
まあ、泣かないでって言うのはワガママだったかなって思うわ。
でも、これ以上養ってもらうのはメンタル的に苦しかったし、間違いではないと思ってるし、信じたい。
ただ、俺もそんな風に人の立場で考えられる大人な思考が欲しいよぉ。