まあ聞いてくれ
俺はかなりの車好きだったのよ。だから子供の頃レーサーなりたくてカート乗ってたし、親父の手伝いなんかもよくやってた。
親父の跡を継ぐ予定だった俺は高校卒業したあと、東京の結構有名な整備工場(グループAとかにも出てた)に親父のツテで就職したのよ
そんな俺の夢はいつか自分の車を持つことだった。
凄いって噂は聞いてたけどあんまり信じてなかったおれは翌90年のレースでGTRがトップ独占した事がきっかけでgtrが欲しいと思った。 いろんな所から借金してGTRを買った。初めての自分の車だったよ
93年頃で800馬力オーバーのモンスターで俺は首都高を走ってた。
借金はまだかなり残ってたけどおれは幸せだった。
酒の席で彼女の事、借金の事なんかを様々相談とかしていたが、真面目に呼び出された事はなかった。
社長は、お前はもう十分一人前だと、もう家を継げるって言ってきた。そして、お前がもし借金を返したいって言うならお前のGTR+退職金で700万出すって言ってきた。
悪い話じゃなかったし、借金無くせば結婚もできる。どちらにせよそのうち実家に帰る予定だったし、いい機会だと思った。
俺は次のオーナーのために、精一杯の整備をした。エンジンはOHしたし、消耗品も交換、予備部品も全部つけてやった。馬力は同じチューンのまま450馬力に落として、やって欲しい事を手紙にして書いた
星野一義カルソニックスカイライン
日本一早い男、、俺の憧れだったよ
ファミリーカーを買って、それなりにがんばってたけどいつも頭の片隅にGTRの事があった。元気に走ってるかなって。
あとはBMWのM3とフォードシェラくらいか
最初は楽しかったけどつまらなくなってくのが悲しかった。
どーせ、GTRだろ?みたいな雰囲気も
明後日入札があるからそれまでに見に来い。間違いなくお前のだって。
業者オークションで400万で俺はGTRを落札した。
この手紙は私の前のオーナーが書いてくれたものです。
オイル交換は2000kmより前にしてほしい。
どんなに焦っていても暖気は必ずしてほしい。
少しでも気になる所があったら解決するまで整備してほしい。
大切に乗ってほしい。
前のオーナーは本当に大事にしてくれたと。嬉しくて仕方なかった。
俺は前のオーナーに会ってみたいと売り主に話した。どうしてそんな事を思うのかも。
とりあえずここまで。
少し落ちます。
おう、今年で45のおっさんだぜ
すまんな、昨日の夜は書けなかった。今日の夜までに終わらせる
ゆっくりでいいで
前にオーナーさんとは一ヶ月後に会うことになった。
俺はそれまでにこのGTRの車検と整備をしてオーナーさんと会う時に乗っていきたいと思った。
懐かしい
その後登場したエボ1をみて公道でモデルこれか!
とたまげた思い出も今見ると地味目
ランエボじゃなくて、エボって言うのがもうおっさんらしい
このまえ言われたw
嫁や娘は何でこんな車に400万も…とか言ってたけどな
付属品の中には、俺が最初に選んだホイールや自作したエアロなんかがピカピカのまま残ってた。
電源と燃料ポンプをオンにしてセルを回してみる。
キュルキュル、、ヴォン
昔と何1つ変わらないエンジン音がそこにはあった。今となっては喧しいマフラーその一個一個に涙がでたよ。自分が泣き虫だって嫌になるくらいに
毎日整備していると昔の時間が戻ってくる気がした。昔真面目に仕事をしなかった俺を変えてくれたGTRは今になっても特別だった
番号は前と同じ??32にした。
整備してて驚いたことは、消耗品がほぼ新品であったこと。
待ち合わせの料亭で待っていると、程なく車椅子に乗ったおじいさんがやってきた。
世間話から始めようと思っていたが、おじいさんは俺にありがとうございました。の一言から始まった。
でも当たり障りの無い話題を最初は話してたと思う
続きは夜に書きます。
質問があれば答えられる範囲で答えます。
では。
主とGTRの思いでをもっと聞きたいな
平成生まれのゆとりの自分はR34が至高。
1みたいに40代~の人はみんな32が一番っていうけど33好きって人あんまり見ない気がする。
平成2年生まれだけど32か33が好きだなぁ
人それぞれでしょ
R34もかっこいいですね。
自分は思い出補正が強いからかもしれません。
Z32フェアレディZ
S13シルビア
パルサーGTI-R
という日産スポーツ車最強の布陣の90年代
日本の旧車が海外でこんなに愛されているって凄い
英語は全く分かりませぬ(底辺)
あとで嫁に訳してもらいますw
まってました
今日中に終わらせるように頑張ります。
正直、おじいさんは当時の俺より思い入れがあるように感じました。俺はそこまでの愛がある車を手放す理由がわかりませんでした。
この時の会話は今でも鮮明に覚えてます。
俺「一つ聞いていいですか?」
じいさん「なんでもいいですよ」
俺「なんでこの車を売ろうとおもったんですか?」
じいさん「…..」
俺「○○さんは当時の俺よりも話を聞いていて思い入れがあるように感じました。なぜ手放そうとおもったんですか?」
考えてみれば金の事もあるだろうし、おじいさんがあまり歩けないのは明白でした。
でもおじいさんは、
「俺さん、車ってのは何のためにあると思いますか?自分は走るためにあると思うんです。私は3年ほど前事故で腰を痛め、ほぼ歩けなくなりました。
でもリハビリをする気になれたのは、いつかまたGTRに乗りたい、その一心でリハビリを続けることができたんです。
1年半のリハビリ生活の中私は毎週、GTRのエンジンを掛けていました。」
俺「….」
じいさん「リハビリが終わったあと私はGTRに乗りました。でも腰を痛めた私にもう乗れる車じゃなかったんです。私は車のほとんどを処分しました。
でもこの車だけは処分できなかったんです。」
俺「だったら家に置いておいても…」
じいさん「俺さん、私は車は走るためにあると思うんです。GTRはまだ走れる、そして私のようにまた夢を与えてくれる、って思いました。
だから私は俺さんがしてくれたように、変えれるだけの消耗品全てを変え、俺さんが書いてくれた手紙の様にまた手紙をかきました。」
そう言っておじいさんは一通の封筒をだしました。
俺はほぼ号泣でした。何も言えないくらいに。
おじいさん「だから私はこの車を手放そうと決めたんです。また走ってほしい、それだけで満足だって。」
俺「ありがとうございます」多分言葉になってなかったと思う。
俺はほぼ泣き続けてたと思う。
おじいさんと話して思ったのは、21年ぶりにこの車を手にしたとき、俺が最後まで乗ってやると思ってた気持ちが、いつかこの車に乗れなくなったとき
乗れる人に譲ろう、、そんな気持ちでした。
帰り際おじいさんに、少しドライブに行きませんかと誘った、おじいさんは笑顔で了承してくれた。
別れ際おじいさんと一つの約束をした。
俺「俺、自分が乗れなくなったらおじいさんみたいにこの車を乗ってくれる人に譲ります。」
おじいさんはうなずくばかりでした。
帰路に就く前、もう一度首都高に上った。昔と同じ800馬力オーバーのセッティングで。
やっぱりRは今でも最高だった。
21年ぶりの赤い光はやはり眩しく、財布に痛かった。
おわり
初めてのスレ立て、駄文、誤字すいませんでした。
付き合ってくれた方ありがとうございます。
少しでも車っていいなって思える方がいたら最高です。
リハビリ頑張れって意味でさ
リハビリはもう終わってるそうです。
車ってやっぱいいよな。特に古い車は、ときどき意志を持ってるんじゃないかと思うことすらある。
俺も免許とって初めて買ったアルトワークスをダラダラ維持してるけど、朝なんか調子が悪くて出かける気をなくしたりする日に限って、山の方で濃霧が出たり、一緒に走りに行く奴が事故ったりとかしてる。
真面目に車には、超常的な何かがあると思う。
どんな車も意思は持ってもすよ…絶対。
最初に買った車は特別ですよね。
やはりスカイラインGT-Rは世代を越えて愛される往年の名車だと改めて思う
末長く大切に乗り続けられますように