大学を卒業して獣医師免許を取ったばかりの頃のお話。
少し長くなりますが、ある出来事が有り今回一区切りとして
今一度あの体験を思い出し書いていきたいと思います。
よろしかったらお付き合いください。
私は大学附属の動物病院に勤務していた。大学附属と
言っても動物病院なんでそんなに大きい施設ではなかったが。
私の上司に当たる獣医師は、「獣医師業務は慈善事業でも、野良犬・野良猫の保護でもない。
そのへんにいる動物を片っ端から助けていたら破産する。ただでさえ給料が少ないのだから利益をいかにして出すか。獣医師はビジネスだってことを忘れるな。」そんなことを常日頃から言っている人だった。
何となく大沢たかおに似ていたため以下大沢とする。
「獣医はビジネス」という考えが理解できなかった私は大沢が大嫌いだった。
しかし、それが病院の理念でもありほとんどの獣医師がその理念のもと働いていた。
もともと動物が好きで獣医師を目指してきた私にとっては
病院が掲げるその理念は衝撃的であった。
もちろん動物が好きなだけではこの仕事が務まらないのもわかっていたし、
獣医師は法律上人間のために存在する資格であることもわかっている。
しかし、私の中での獣医師像とはかけ離れた「ビジネス、利益至上主義」のその病院のことは、
どうしても好きになれなかった。
考えてみて欲しい。
自分がとても可愛がっている家族同然のペットが、
大きな病気やケガをしたとき藁をもすがる気持ちで、
少しでもいい治療を受けられるよう病院に連れてきたのに、
必要のない薬や高価な薬を勝手に使われ高額な医療費を請求される。
飼い主さんにとっては「ただこの子を助けたい」という思いだけなのに、
そんな気持ちを踏みにじるような治療内容であることも少なくはない。
もうこの上司の下ではやっていけない。
こんな仕事やめて、ボランティア団体に行ってみようか。
最初はとにかく辞めたくてしょうがなかった。
そんなある日の深夜、一人の老婆が訪れた。
19歳になる猫の様子がおかしいので連れてきたと言うのだ。
猫は可愛らしい顔をしたアメリカンショートヘアー。
診察の結果腎臓が悪く、急に昏睡状態に陥ったようだ。
獣医は私と大沢の二人。
大沢はあからさまに嫌な顔をしていた。
仕方がないので私が診察に当たり、現在の状態を説明。
「詳しい検査もあるので今晩は預かります。詳しく検査をしてみないと
今後の治療方針も決まらないのでまた明日、お迎えに来てください」
と老婆に告げた。
老婆は分かりましたとポツリと言い残し去っていった。
なんか和む
詳しく検査した結果、腫瘍が全身に広がっていることが発覚した。
おそらくひどい痛みに耐えていただろう。
腎不全のため心臓も弱っていた。
19歳という年齢も考慮して、痛みを最小限に抑えてあげて、
お家で飼い主さんと最期の時を過ごしてもらうのが最善だろうという結論に至った。
そのことを老婆に告げると、色々準備をするのでもう一日預かってくれと言われた。
私は快諾した。
その日の夕方猫が目を覚ました。
痛々しい姿ではあるが飼い主を探すような仕草をして「ニャーン」と鳴いた。
私はひと安心し自宅に帰った。
すると大沢が大声で怒鳴り電話をかけてきた。
何事かと聞いてみると、なんでも猫の飼い主と連絡がつかないらしく
治療費を踏み倒されたらしい。
最初に名前と住所と電話番号を書いてもらっていたのだが全てデタラメだったのだ。
まあ珍しいことではないんですがね。
とりあえず明日まで待ちましょうと言い電話を切った。
翌日出勤してもまだ猫のお迎えは無かった。
大沢は「無料で治療は出来ない。可哀想だがこのまま投薬をやめて死ぬのを待つしかない。」
と言っている。
私は猫の顔を見ていると何だかとても悲しい気持ちになった。
勢いで言ってしまった。
今考えると、獣医師としてのプロ意識が足りないと思うし
正直考えられない行為だ。
なんでそんなことを言ってしまったのかわからない。
でも何だかこの猫を見捨てることがどうしても出来なかったのだ。
その日から、私は仕事以外の時間を全部猫の面倒を見るために使った。
数日間は病院に入院させてもらい、
病状が落ち着いてから家に連れて帰り点滴、投薬をした。
とにかく痛みを取り除くために手を尽くした。
病状は改善はしないものの痛みが和らいだため、
動くことができるようになっていたのだ。
餌も柔らかいものなら食べられる。
一安心だ。あとはこの猫のそう長くはない余命を、幸せに全うさせてあげよう。
そんなことを思っていた。
次の日私にとって忘れられない体験をすることになる。
事前に言っておくが、これは色々な人に話しても誰も信じないし、絶対にありえない。
お前人間の病院に行ったほうがいいぞと言われるほどブッ飛んだ体験だった。
帰ってすぐ電気もつけずに「ただいまー。具合はどうだい?」と何となく話しかけた。
すると猫が「腹減った」っと言ったのだ。
私は耳を疑った。「え??喋った?」
猫は続ける。「腹が減った」
私はびっくりして言葉が出なかった。
それから猫は良く喋るようになった。
不思議だったのが、私の知らない病院内の事情を教えてくれること。
それは決まって寝るとき電気を消してから一方的に喋るのだ。
私が話しかけても返事はない。
「あの婆さんは俺がいらなくなって捨てたんじゃない。
生活に困っていて俺を助けるために捨てたんだ」
「お前の上司、実はそんなに悪い奴じゃないぞ。よく見てみろ」
「俺たちに餌をくれる女。病院でタバコ吸ってるぞ」
「病院にいた毛の長い猫。あいつは気に入らない」
「病院にいた犬。あいつは元気になる」
「お前がくれる餌はマズイな」
「人間が思ってるほどまたたびは好きじゃない」
この時は大沢がいいやつなんて半信半疑で
「あんな冷血漢になんでこんなに肩入れしているんだろう?」ぐらいにしか思わなかった。
中でも女性スタッフの院内での喫煙は大問題になった。
猫が言っていたことが本当なのか確かめたくなり、
翌日こっそり女性スタッフをのぞき見してしまった。
すると個室に入ったスタッフは本当にタバコを吸っていたのだ。
彼女は10年近く働いている、所謂お局さん。私なんかが指摘したら後の仕打ちが怖い。
とにかく上司に報告し注意してもらった。
酸素を使っているのも知っているはずなのに、一体何を考えているのか。
それから程なくしてお局さんは辞めた。
時には私の悩みを見透かしたように
「そんなに背負い込むな。俺らはお前が思っているより強い」
「可哀想なんて思うな。俺らは幸せだ」
「人間はいつも忙しない。そんなに急ぐな」
「気まぐれで俺らを助けるな。死んだ方が幸せな奴らだっている」
「現実が残酷なのは当たり前だ」
「上司をもっとよく見ろ。お前はアレみたいになりたいんじゃないのか」
「お前は何も知らないんだな」
「知識だけで分かった気になるな。目に見えないものもある」
「目に見えないものこそ今のお前には必要だ」
「たまには気晴らしに散歩でもしてこい。散歩はいいぞ」
人の嫌な所ばかり見て、
自分の理想を追いかけ、現実は残酷だと嘆いているだけ。
この日ばかりは電気を消したまま、酒を飲んだ。
そしてそれから数日後猫は息を引き取った。
最期はとても安らかであった。
猫は亡くなる前日の晩
「世話になった。ありがとう。幸せになれ」と一言言った。
私は涙が止まらなかった。
たった一週間ほどの時間が私にとっては人生を変える時間となった。
ここで読むとちょっとは信じてみようと思うわ不思議
小さい頃から夢見ていたただひたすらに優しい獣医師に。
しかし、現実は甘くない。
一匹一匹の患畜に感情移入しすぎる私に大沢は
「プロ意識を持て。全ての動物を救えるなんて思うな。動物は人間とは違う。
病気になって病院に連れてきてもらえる動物なんてひと握りなんだ。
動物が病気になったから獣医に連れて行くのが当たり前だなんて思うなよ。
昔よりはだいぶマシにはなってきたが、未だに動物にそんなにお金をかけるなんて考えてない飼い主は多い。
人間にとって動物は所詮動物だ。どんなに俺らが頑張っても無責任な飼い主は減らない。
だから虐待されたり、捨てられたりする動物も減らない。それを全部助けようなんて一生かかったって無理だ。
俺だってできる限り助けたい。でも治療費を払うのは飼い主だ。ペットの生き死にを決めるのは飼い主なんだ。」
と悔しそうに言っていた。
色々その猫さんのこと書いてよ
大沢はよくわかっている。
死と向き合うことから逃げていたら一人前の獣医にはなれない。
私は覚悟を決めて動物の死と向き合わなくてはならなかった。
それから私はがむしゃらに働いた。
時には心を鬼にしなくてはならないこともあった。
猫が亡くなって数ヵ月経った頃、
心疾患で子犬の頃からうちの病院に通っていていたシーズー犬がいた。
6歳だった。
ある日飼い主は頻繁に起こす発作に耐えられなくなり
「こんなに苦しむなら安楽死させてやってくれ。終わったら連絡して下さい」といい
承諾書にサインをし、病院に犬を置いていってしまった。
私はやるせない気持ちでいっぱいだった。
「人間は自分のエゴで動物を飼う。今まであんなに可愛がっていたのに
死に目には会いたくないという。
勝手だな。でも俺はお前を殺さなくちゃならない。仕事だから。
俺じゃ役不足かもしれないが、最期まで見ているぞ。
お前は病気に負けず精一杯生きた。楽しいことよりも辛いことのほうが多かったかもしれない。
助けてあげられなくてゴメンな。もう頑張らなくていい。次は人間に生まれてこい。美味い酒でも飲みに行こう。絶対だぞ。約束だ。」
大沢は優しい顔をしてそんなことを言っていた。
私の不安は動物にも伝わる。この犬の最期の瞬間、不安な思いをさせてはならない。
私は涙をこらえて薬を注入した。
犬は安らかに逝った。
飼い主は遺体を迎えに来ると大声で泣き出した。
すると大沢は「あなたに泣く資格なんてない!」と声を荒げた。
私にとって初めての安楽死であった。
以上が私が体験した不思議な話だ。
母、父、妹、友達皆笑って「うそだーww」とバカにする。
しかし大沢だけは笑わなかった。
「そんなこともあるんだなあ。猫又とはよく言ったもんだ。
動物は俺らなんかよりずっと人間の本質を見抜いているのかもしれんな」
と言っていた。
大沢超良い奴じゃん
二年程前、大沢は「独立する。お前もついて来てくるか?
ついでに結婚してやってもいい。お前はどんくさいからな。このままじゃ行き遅れるぞ。」
なんて笑いながら言った。
今は結婚し、開業しました。
相変わらず生活はカツカツですが、大沢と私と猫一匹の三人で幸せに暮らしています。
大沢は「15年経ったらこの猫も喋るだろう。もし喋るとき苦労しないように、
色々な言葉を教えておこう。また会いたいな。猫又」と言いながら毎日猫に話しかけているが
一向にしゃべる気配はありません。
こんな話誰も信じてくれないし、私の夢だったのかもしれません。
でもあの猫との出会いは私の価値観を大きく変えてくれたのも事実です。
今回妊娠が発覚し、新しい命を授かりました。
あの猫が教えてくれた事、大沢が教えてくれた事をしっかり胸に刻み、
これから生まれてくる新しい命と向き合っていきたいと思っています。
きっと患者さんたちは幸せだろね
釣りでも許す
うちの猫は喋るまであと13年か…長生きしてくれるといいな
俺も実家にいた弟分の猫と喋りたかったよ
あっちは毎日長々と喋りかけてきてくれてたんだけも全く分かんなかったなあ
うちのもしゃべってくれないかな。
やたら「俺ってグレート!」と言ってた
夢の中でなら喋ったことあるんだけど羨ましい
素敵な話しを聞けてよかった。
たまにペットが何を言いたいか分かることはあるけど、きちんと会話してみたいな。
お仕事頑張って下さい!
何て言ってんだろうなぁって思う時期もあったけど、今は言葉は聞かなくても良いかなって思う
喋り方分かると像が出来上がってしまう
玄関開けると真っ先に迎えにくる、居間でくつろくと必ず横にいる、それだけで気持ちは伝わる
俺は信じる
>>1おつ
あんまり良い飼い主じゃないから恨み言言われるだろうか
サシミよこせとか布団でおならすんなとか
自分が飼ってるのは犬だけどやっぱり人と違って
言葉で意思疎通できないから
苦しそうにしててもどうしてか分からないのが
すごいもどかしい
泣けたわ
素敵な話をありがとう
若本わろたwww
1です。昨日はレスできなくてすみません。
今からレスしていきたいと思います。
もし質問がある方がいらっしゃったらどうぞ!
入院真っ最中なのに泣いたぞw
俺、信じるよ
色々その猫さんのこと書いてよ
まず、猫が言っていることがでたらめではないんだと思った言葉が、
「お前のくれる餌はまずいな」と言われたときでした。ピンときました。
もうほとんど経口摂取はできなかったんですが、柔らかいものを少し無理やり
与えていました。その餌というのが、腎臓に疾患のある猫専用の餌でした。
猫は腎臓を患いやすい動物ですが、やはり多少なりとも人間の食べ物を食べていた
猫の方がそのリスクは跳ね上がります。もちろん個体差はありますが。
あの猫はグルメだったんですね。
「まずい」と言ってからは一切口にしませんでした。
性格的にもとても強情な猫でした。
私が診てきたアメショの中でとても珍しい性格でした。
一般的にアメショは活発で甘えん坊な子が多いのですが、意地っ張りというか
頑固というか、何だか祖父と一緒にいるような感覚に陥りましたwwやはり貫禄がありましたね。
空耳とかいうのは全部そういう類。
よくあること。
でもいい経験できてよかったね。
後日談でいっきに釣り臭くなったが、おもしろかった。
乙。
よく幽霊を見たときも波長が合うとか言いますもんね。
私は精神的に参っていた時期でしたので、気がたっていました。
知らぬ間に感覚が研ぎ澄まされていて普段は感じないものを感じていたのかもしれませんね。
そこだけが気になりました
おそらく力不足ですね。
すみません。話を聞いているときは違和感がなくても実際に文章に起こして書いてみると、
自分が普段間違った使い方をしている言葉って多いものですね。
本来は飼い主に看取られたかっただろうなという意味で
私もそんな感じで今まで使っていました。
調べてみたら違う意味でびっくりです。
私も大沢も普段はめちゃくちゃな言葉使ってるなと今更ながら痛感しました。
飼い主さんへの言葉遣いは気をつけなくてはいけませんね。
自分の力に見合う役が無いという不満の意味なので
違和感を覚えた方が….
なるほど
これは気を付けなくては…
勉強になった!ありがとう
ペットとして飼われている動物は普段から色々な方法で飼い主さんに愛情を示しています。
よく猫ちゃんについて「すりすりしてくるのはただのマーキング行為」「喉を鳴らすのは鎮静のため」と言われていますが
それは飽くまで学説です。
確かにそのような行為は本能的に備えているものなので、するのは当然でしょう。
しかしそのような行為一つ一つが全て本能的に行っているかと言われると少し違う気がします。
私個人の考えですが、飼い主さんへの愛情表現として様々な行動をとるようになるものです。
学会や勉強会ではそのような考えを真っ向から否定する獣医さんも少なくはありません。
実際私は先輩獣医師に「綺麗事はいいから、技術と知識を身につけろ」と怒られていますが(^_^;)
まだまだ勉強不足です。
でも飼い主さんにはそんな動物たちの気持ち伝わっていますよね?
昔「犬の十戒」を読んでなるほどなと感心したことがありました。
ペットを飼っている皆さん。どうか最期の時まで幸せに命を全うさせてあげてください。
基本的には犬は自分のテリトリーを持っている動物です。
室内飼いのワンちゃんは家全体をテリトリーにしがちですが、本当はケージの中
など一番落ち着ける所を作ってあげて、そこで寝てもらうのが一番です。
また、一緒に寝るという行為は犬自身の順位付をする性質上あまり良くはないです。
犬は一度自分が家族の中で一番上だと思ってしまうと、思わぬいたずらをしたり吠えぐせがついたり、
最悪何かの拍子に噛み付いてくることもあります。
というのは、一応獣医としての意見です。
実際小型犬で室内飼いのワンちゃんは飼い主さんと一緒に寝ている子は結構多いです。
それでも何の問題もないなら私としてはそのままでもいいのかなと思います。
しかし、家庭内での序列ははっきりさせましょう。
ワンちゃん自身も戸惑ってしまいますからね。
もし、噛み付くまではいかなくても吠え癖や、飼い主さんを威嚇するような行動が
目立つ場合や、まだ子犬の場合は一回ケージに入れてみるのもいいでしょう。
親戚関係のトラブル(家の名誉?の為…親戚が異常だったです…)があり弁護士をたて、
やっと2012年の年末に決着が着いた直後でした。
そして、その半年後6月7日に14歳で犬もしんでしまった。
ちい(猫)もメイ(犬)も長い間苦労してきた父と母を(遠くにいる私にかわって)守ってくれてたのかなあ…と思いました。
ちいは、年末私が帰った日に調子が悪くなり、どんどん衰弱していきました。
生き物が死に近づく様子をみるのは初めてでとても悲しかった。私が代わりたいと思った。
最後の最後、声が出ないのに口あけて何か言ってるみたいだった。
私が母を呼んで、そして目を離しているあいだに動かなくなっていた。
何て言ってたんだろうな。私も話がしたかった。
メイの時は看病も看取る事も出来なかった。ちいとメイにありがとうって伝えたい。かわいくてやさしい子達だった。
>>1さんいい話ありがとうございました。長々とすみません
釣りでもいい話しじゃないか(´;ω;`)
おいで って胸の辺りトントンするとジャンプしてきて抱っこされる猫いたけど絶対言葉理解してると思ってたわ。
引用元:https://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news4viptasu/1390297540/