彼女のお父さんが俺の独立資金を
だしてくれることになった
それなりにきつい生活送ってきたんだけど
ちょっと書かせてもらう
母親は警備員しながら俺と兄ちゃんを養う
炊事家事は俺と兄ちゃんが後退でやってた
一級建築士のおじさん(母親の兄ちゃん)のなにかの保証人になったらしいが
小5の時におじさん薬で捕まる
おじさんの借金がうちにふりかかる
ここから貧乏生活突入
借金取りがうちにも来たりして
俺が家に俺しかおらず不用意に出てしまって
借金取りから金の話をされる俺
未だにピンポンなると体が硬直する
周りに比べたら苦労はしてきたと思う
俺と兄ちゃんも家のことは全部やって少しでも負担をなくせられるようにしてたんだけど
たまに母さんの逆鱗に触れるとストレスが爆発したように殴られたりした
真冬の極寒の中文字通り全裸で1時間くらい叩き出されたこともある
怒られるとか責められることに恐怖しかなくて
母親が怖くてたまらなかったし大嫌いだった
今にして思えば母さんも必死だったんだなって思う
そう伝わっちゃうよな
ちゃんと書くけど俺の境遇が負い目で結婚を快諾してくれないかもってのもあったし
彼女と結婚できることがなによりうれしいよ
でもそれと同時にもう一つの夢を他力ながら叶えられること
自分が認められたことが本当にうれしいんだよ
少しでも家計の足しになればって思って
ちょうどそのころ母さんは正社員として雇ってもらえることになったらしくて
給料上がったらしく少しだけ生活にゆとりできてきたけど
それでもまだまあだ電機が止まったりした
電機と待ってるからお湯でないし
カセットコンロでお湯沸かして水でいい温度に薄めながら髪の毛とか洗ってたわ
その日は俺が夕飯の支度で蕎麦にしたんだよ
具材はねぎだけな
でも風邪で鼻が詰まって味見しても全然わからなくて
懐中電灯はあったけどそれでも見た目じゃよくわからなくて
めちゃくちゃまずい蕎麦ができたことあったわ
生活は大分楽になってきた
と思ったら母さんは人が良すぎるというかバカなんだろうな
おばさん(母さんの妹)が車買うから保証人になってくれって言われたらしくて
また保証人になったんだよ
俺はおばさんが今でも大嫌いで
うちがおじさんのことで苦労してる時に助けてくれたことなんてないしな
そうしたら案の定おばさん飛びやがって車の金はうちが払うことになった
このときは本気で殺意が芽生えたわ
凄い環境だな
>>17
俺はその辺聞いちゃいけない気がしてわからないんだ
母さんを追い詰めることになりそうだったからさ
ボーナスが入った日に職場の人を社用車で送る途中に
郵便局に用事があって車を止めて用を足してる間に
その職場の奴にボーナス盗まれた
もちろん証拠はないけど鞄に入れていたはずなのになくなって
入れてから鞄から離れたのは郵便局でだけらしいから
十中八九そいつが盗ったんだと思う
ここから母さんの人間不信が始まりさらに怖くなる
やけ酒するときなんて怖くてたまらなかった
母親らしいことってほとんどしてもらった記憶ないんだけど
仕事はかなりできたようで真面目さもあってか
騙されたりもしたけど人望はあったらしい
仕事で使う資格とかもどんどん取って
警備会社っていう男社会でどんどんのし上がって
俺は母さんと兄ちゃんから高校行けって言われて進学したんだけど
高校進学と同時に母さんが別の会社から所長として引き抜きされたみたいなんだ
中学生の頃のこと思い出したら今でも涙出るよ
嫌いな部分もたくさんあるけど心から尊敬してるし感謝してる
所長だしそれなりには貰えてたと思う
それでもおじさんの借金が多すぎたのかまだまだ借金はあった
でも俺も高校に進学したからバイトをして家計の足しにして
将来は安定して働ける場所に就職したいと思ったから
公務員を目指したんだよね
憧れもあったから警察官になるために勉強した
それでも仕送りしてくれるし俺もバイトしてたから
このころには電機とガスが止まるってことはなくなってた
それでも極貧生活には変わりないけどな
俺も働いてさっさと借金を返済しようって意気込んで勉強してたんだよ
そして好位置から目指してた警察官になるべく試験を受けたんだ
一応自衛隊も受験したんだ
結果としてはどっちも落ちた
今はいい方向に向いたようだね
良かったな
続けてくれ
ありがとう
今でも10代を思い出すのが辛い
俺の好きな曲をよく知ってるな
まさかここで出てくるとは
あれは本当に涙流れる
槇原氏の歌だっけ
作曲マッキー
作詞松ちゃん
歌 浜ちゃん
先生からもそれなら受かるはずとか言われたし
自分でも受かったと思った
でも結果はどちらも落ちた
なんで?って思ったしなにがだめだったから考えたけどわからなかった
でも大事なこと忘れてたんだよね
それが身辺調査
三親等までの前科とか調べられるあれね
おじさんが服役中なのか出所したのかなんて知らないし
もしかしたらまた捕まってるかもしれないけど
落ちた要素がそれしか思い浮かばなかった
本当は面接とかがだめだったのかもしれないけど
この時の俺はおじさんのせいだって思わないとやってられなかった
俺の人生にまで迷惑かけてくるのかよクソ野郎って思って部屋で泣いた
でもなにが一番きつかったって俺が落ちた理由を母さんも察したのか
俺が泣いてるとこに「ごめんね」って言われたことだわ
過呼吸になるかと思った
母さんは悪くないのに謝られて本能のままに泣いたわ
安心して泣けるし読める
こっからはそんなに浮き沈みはないんだけどな
貧乏って本当につらいよw
本当に心配してくれた
小中高でも友達はいたけど本当に仲の良いのが小学からの付き合いの
幼馴染の男女2人で我が家の事情を全部話したのはこの二人だけだわ
だからほかの友達とかは貧乏だけどおちゃらけたやつって印象をもたれてた
幼馴染2人には本当に助けられたし2人の家族にもご飯食べさせてくれたりしてよくしてもらった
聞きながら読もうぜ
マジで泣いちゃうからやめてw
おい!目頭が熱くなったぞ!
これは当人の
>>1にとってはグッとくる曲だな
俺も
>>1ほどじゃないけど、苦労して育ったからな
好きな曲なんだ
兄ちゃんが中学卒業してからずっとイタリアンレストランで料理人してて
ちょうどこの時期にシェフの紹介でイタリアに行くことになったんだよ
イタリアに行く前に店の計らいで俺と母さんを店に招待してくれて
兄ちゃんの料理を食べたんだけど
今でも人生で一番美味い料理って言われたらこの時の料理だわ
思いで補正とか気持ちがモロに入ってるけどさ
なにより料理を作る兄ちゃんが格好良くて俺も料理人になることを決めた
思い出補正なんかじゃないだろ
その時の1にとって世界一の料理人は兄さんだったんだから
今でも俺の中で一番の料理人は兄ちゃんだわw
ジャンルはどうするか迷ったけど
どうせやるなら兄ちゃんとは違うものって思って
和食の道に進むことにした
兄ちゃんがその話をシェフにしたらしくて
それならってシェフの知り合いの店を紹介してもらえた
それなりに高級店でいろいろ学べるからって
紹介してもらえたのも兄ちゃんが真面目に頑張ってきてくれたからだろうなって思う
時間は長いし仕事もきつかったけどいろいろなことができるようになっていくのは
本当に面白くて全然苦にはならなかった
待遇も飲食店にしては悪くなかった
ここで同期入社の女の子がいて
その子はホールだったんだけどその子と付き合うことにもなって
19歳の時に初彼女ができた
このころには怒られるってことはなかったけど
仕事が仕事で周りが男ばかりだったから気性は相変わらず荒かった
俺も仕事も恋も順調に行ってて
幼馴染には彼女のことも紹介して幼馴染それぞれの恋人とも仲良くしてた
友達付き合いなんてそれくらいだけだったけど毎日が充実してた
成人した時は親方がアルマーニのスーツ買ってくれて
スタッフの皆からは靴をプレゼントされて号泣したわ
成人式では母さんからタケオキクチのネクタイプレゼントされて
身の丈に合ってない分不相応な格好で成人式に行ったわ
仕事は休み貰えてたしこの日どうしてもしたかったことがあって
同窓会の誘いは断った
夜はその恰好のまま母さんを連れて自分の働く店で食事をして
恥ずかしながら20年間育ててくれてありがとうみたいなことを言ったわww
思い出したら恥ずかしいww
カッコイイな…!
まぶしくて見えないや!
その時は全身の力が抜けてほっとした
でもその年に彼女とは別れたんだけどねww
そして1年後23歳の時にきっかけがあってフランス料理の世界に行くことにした
別ジャンルに行くことは親方を裏切ってしまう気がしたけど
快く承諾してくれて新しい世界に飛び込むことになった
でもだからこそ面白くて勉強にもなった
24歳の時に幼馴染の女がずっと付き合ってた彼氏と結婚することになって
あの時連絡を受けて自分のことのように嬉しかった
翌年に兄ちゃんが帰国して久しぶりに再会したときはまた泣いた
俺は自分が涙もろいんだと悟ったわ
26歳の時に幼馴染の男が結婚して
その年に幼馴染女が出産と嬉しいことが続いた
仕事関係で仲良くなった人もたくさんいるけど
友達という意味では俺にとってその2人しtかいなかったわww
そして同じ年に俺に二人目の彼女ができた
それが今の彼女もとい奥さん
彼女は栄養士として働いてて
ジャンルは違えど同じ食の仕事をしてるから意気投合して
知り合ってすぐ付き合うようになった
ここからは特に大きな出来事はないんだけど
28歳で幼馴染男にも子供が生まれて
俺は店でスーシェフになってた
それを機に同棲も初めて順調にいって
去年30歳の誕生日の2か月前にシェフからフランスに行かないかって打診があった
>好きな曲なんだ
苦労は買ってでもしろっていうけど子供の時の苦労は売りたくなるくらいつらいよな
だな。子供の頃の苦労はだいたい周りからの押し売りだ
おじさんとおばさんを許すことは死んでもない
日本でフランス料理やってたら知らない人がいないような店
正直迷った
彼女とは結婚を考えてたしフランスに行くとなれば数年間は日本を離れるわけだし
彼女を待たせるわけにもいかない
というか俺自身結婚願望が強かったし
自分のやりたい料理っていうのもあったからフランスで修行ってのは重要じゃなかったから
ありがたい話ではあったけどフランス行きは断った
自分の思いっていうのをシェフに話したらわかってくれて
そのまま彼女にプロポーズした
尊敬しちゃう
苦労しないにこしたことは本当にないよ
子供のころの経験が未だにトラウマになってること多いし
本来ならそのまま一生懸命働くべきなんだろうけど
多少の貯金はあったし融資もしてもらえる自信はあったし
なにより自分のやりたい料理をやるために独立をしようと思った
彼女の両親というかお父さんは弁護士をやってて
店にも食べに来てくれてたりはしてたんだけど
改めて結婚となると結婚を許してもらえるか不安だった
おいまだ人生閉じるな!
友達とか職場には恵まれてきたと思う
正直何度も死のうと思ったことあるし
電機と待ってる家で暗闇の中包丁持ってこのまま死んだら楽になれるかなとかww
死ななくてよかった
人生で一番緊張した
水分t摂っても摂っても喉乾いたし声震えながらだったけど
予想に反してすんなり承諾してもらえた
母さんに報告したら彼女に深々と頭下げてたわ
幼馴染は泣いて喜んでくれたな
美人だと思う
本仮屋ユイカに似てるかな
凄く優しい人だよ
顔思い出せなくてググったら本仮屋ユイカめちゃくちゃかわいいじゃねーか羨ましくて嫉妬
参考画像
>>72
まさに美女と野獣と惚気てみる
なんでと言われても知らないw
俺に関して言えば本当に涙もろいけど
かといって日常ではそうそう泣かないよw
捻くれてるとか人の気持ちがわからないやつって言われない?
それに泣いてるのはほとんど1じゃん
幼馴染も1の小さい頃を知ってたらそりゃ嬉しいだろうし
母ちゃんに限っては息子に感謝それりゃ泣くんじゃね?
後ろ指さされるのには慣れてるから気にしなくていいよw
優しいな
その時に独立資金は任せなさいって言ってくれた
金にまつわる不幸ってのを経験してきたから
最初は断り続けたんだけど
彼女からの聞く俺の話とか数は少ないけど俺と会った印象
なにより働く様とか料理をよく知ってるからこそだって
最後に結婚祝いと思ってくれって言われたときは格好いいなって感じた
父親ってものをよく知らなかったから嬉しかったわ
「お父さんと・・・お呼びしていいですか」
母子家庭の人はわかると思うけど
お父さんっていうのに憧れるし同じくらい声に出すのが恥ずかしい
今フランスに行くべき
用意してた開業資金を使わなくていいから
それで新婚旅行はフランス行ってくる
働くわけじゃないけど本場の風とか文化を感じてこようと思ってる
レストランとかワイナリー回ってくるよ
ありがとう
生活もあるしちゃんと残しておくよ
結婚式どうしようと思ってる
親族は母親と兄ちゃんだけだし
呼びたい人も幼馴染夫婦と最初の店の親方と今の店の人達くらいだけど
店は休むわけにはいかないし
なにより彼女は親族もしるし友達も多いし職場の人もいるだろうし
してない
離婚した理由もしらないけど
女手一つで育ててくれたことを思うと
暗院に会いに行くのは違うかなと
というか連絡先知らないから調べるとなると中々の手間だしさw
少人数のレストランウエディングをしたいってなたったら女性は嫌なのかな
レストランウェディングっておしゃれな感じでいいと思うけどなー
1は料理人だしむしろ合ってるじゃないか?
イッチが頑張って生きてきたからだ
お疲れ様でした
いい話をありがとう
おめでとう
お幸せに\(^o^)/
>>80
>>83
>>84
ありがとうございます
これからもっと頑張っていきます
自分の作りたい料理をしっかり作れるように頑張ります
お店に行けないのが本当に残念!
お店教えて!!笑
ありがとうございます
軌道に乗ってきたらまたスレ建てようと思いますw
おめでとう
美味しい物は人を幸せにすると思う
それに触発されて美味しい物を作ろうとする後の世代もいると思う。
頑張ろう。
俺も畑違いだけど、美味しい物を作る仕事してる。
文化を守り続ければ伝統になるよ。
前半が大変だった分、これからは幸せの方が多い人生になると信じてるよー!
心より結婚おめでとうございます!!!
今ではよく見る物になったけど
日本人の自分がフランス料理を作る意味っていうのを考えたら
やっぱり和食もやってたし日本料理の要素は入れたいと思ってる
それであってガストロノミーや創作フレンチっていうよりは
クラシックなのが好きだからクラシックフレンチに日本の要素を取り入れた
自分が作る意味を見出したいなって
以前北海道の札幌市にあるMiYa-vieってとこに食べに行った時に
クラシックなフレンチではないけど和の要素を取り入れたフレンチで
どの料理にも感動した
もし札幌に行くことがあればぜひ行ってほしい
かっけーな
札幌遠いけど行くことがあればその店行ってみるわ!
ぜひぜひ
>>1 ほど酷くはなかったな。 自分の方が恵まれていると思ったよ。
それを乗り越えたのだから、尊敬する。
子供が生まれ、孫が生まれ、
遠い昔にそんなことがあったなと笑い話に出来るくらいになってほしい。
ありがとう
でも苦労の感じ方は人それぞれだから一概には比べられないけど
自分でも苦労はしたと思うw
お互いがんばろう!
jお母さんまで読んだ
自分で見て笑ったw
ただのタイプミスだwスルーしてくれw
子供のうちに苦労した人が羨ましく感じるよ
お客さんとかとも知り合って言っていろいろ話を聞くけど
若いうちに独立するための武器をなにか持って独立してる人が
結構多くて驚いた
俺は飲食業界以外はよくわからないけど
業種によってはスキルアップしてより良いとこに行くのもいいだろうし
独立可能な業種なら独立目指すのも手だし
今の仕事じゃなくてもいいなら今のうちから働きながらなに見つけるのもいいと思う
あんまり悲観的になってもいいことないから空元気でもポジティブにいよう
昔悲観的になりすぎててこれじゃあだめだって思ったw
介護職が一番自分に向いているからそれで社会復帰できたらいいなと思っている
精神病んで働きたくても働けなくなって、生活費のためだけに少額借金して、返済すらできずに自己破産して、26の今もナマポ生活
本当に辛くて詰んでる時ってどうしてた?
好きなことをしてても虚しくなる
気持ちわかるわ
本当に当時は耐えしのいでてなにをしてても無気力だった
家事とかご飯作ってる時はそれに没頭できたし
高校入ってからは公務員の勉強とバイトでなんとかなったけど
中学の頃は節約料理をいかに作れるか考えるのが好きだったな
周りなんかきにせず自分のペースでいいと思うよ
もちろん少しの頑張りは必要だけど
それはあくまでも自分自身の中でで
周りと比べることなんてないよ
普通っていう言葉に後ろめたさを持たないように
なんて偉そうなこと言ってるけど当時は貧乏なのが本当に嫌で恥ずかしかったけど
いつからか気にしなくなったらだいぶ気楽になった
目標ができたらとりあえず進んでみるといいよ
大したアドバイスなんてできないけど
お互い頑張ろうね
子供の頃に苦労したけれど、羨ましがれることは何も無いよ。
学問やスポーツで苦労したことはプラスだけれど、
貧乏とか家族死別の苦労はマイナスだよ。
マイナスでしかないけど強みになることもあるんだよ
古くは雑草魂っていうのかな、そういうの
子供の頃は、そう思っていた。
この苦労は人生の強みになるときがあると。
国立大学理系を卒業して、就職したときは、やったぜと思った。
子供が生まれ、もうひとつの人生を見ることになって、そうじゃないと気がついた。
子供達は大学生になり、しかも優秀。
自分の学生時代は、質素な生活をして、アルバイトで生活費を稼いで、精神的に少し病んでいたが、
子供達の学生時代は、学問、スポーツに専念して、健全な精神を持っている。
同じ苦労でも、中身が大切だなと。
巻き込まれ苦労よりも、立ち向かう苦労がプラスになるなと。
巻き込まれ苦労は精神的に病むところがるなと。
両親が生きていて、そこそこのお金がある普通の家庭がいいなと。
だから、
>>143
を書いたんだ。
1さんおめでとう!がんばってください
ありがとう
死ぬ気で頑張る
いっちは頑張って夢まで叶えるとこまできたのは素直に凄いよ
こういう人を応援できない人ってかわいそうだよな